美術館とはどんな場所で、そこではどんな出会いがありどんな気持ちになるのだろうか? 私たちは何を求めて美術館に足を運ぶのだろうか? ライター・「QuizKnock」編集者で詩や文学にも造詣のある志賀玲太が美術館へのショートトリップへと誘う連載「立方体での千一夜」がスタート。第1回に志賀が訪れたのは、20世紀美術を中心とした多彩なコレクションや自然豊かな環境が魅力の、千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館。【Tokyo Art Beat】
美術館という場所が好きだ。
自分の行く場所がほかにないように感じられてしまうとき、漠然と知らない何かに出会いたいと願うとき、美術館はひとつの大事な選択肢だった。この世界からふわふわと浮いたように思える自分のことを、展示室に並んだ作品たちは、確かに地面につなぎ止めてくれるような気がした。私にとって美術館は学校で、安寧の得られる自室で、展望台の特等席であってくれた。
誰かが誰かのために残した作品がこの世には無数にあって、それは立方体の中で連夜ひしめき、また誰かの到来を待っている。私はそのことを覚えていたいし、語っていたいと思う。
先日、初めて千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館を訪れた。この美術館はその名の通り化学メーカーのDIC株式会社が関連企業とともに収集した美術品を収蔵・公開している施設で、約3万坪の敷地からなる庭園の中に佇んでいる。湖畔(といっても池なのだけど)のロケーションから、どこか小旅行にでも来たような気分になる。
そもそも東京からは少し距離の離れたところにあって、それが私をこの美術館から長らく遠ざけてもいた。それでも、美術館の話をするならばここへ来なければいけないという予感もあった。成田空港行きの総武線に揺られること1時間ほど、佐倉駅から送迎バスにまた揺られ美術館へと辿り着く。
DIC川村記念美術館の大きな特徴は、そのコレクションのラインナップだ。モネやルノワールといった印象派の画家、レンブラントの作品《広つば帽を被った男》(1635)なども目を引くが、それ以上に20世紀美術の充実度が高く、それぞれの展示室を彩っている。
今回見た展示「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」も、美術館の特色が最大限に発揮されているような展示で、魅力が伝わるものだった。
ジョセフ・アルバースは1888年にドイツで生まれ、造形学校のバウハウスで学び教鞭を執ったのちにアメリカへと移り、抽象画家として、さらには教師として多くの芸術家に影響を与えた人物だ。正方形の色面の中にまた別の色の正方形を配置したような、シンプルな構成の抽象絵画を多く描いたことで知られている。「正方形讃歌」と呼ばれるシリーズとその習作たちは、鑑賞者を取り囲むように強い存在感を放っていた。
絵画について語るとき、「四角」は大きなトピックだ。それは世界から切り取られた領域であるところの、ベーシックなキャンバスの外形を表す形だし、モンドリアン、マレーヴィチ……事物から離れる術を模索した画家たちにとって、ある種の「行き着く先」でもある。そんな四角に果敢に挑み、数多の手数をもって制御してみせるアルバースの姿は、まさに「実験」の語が似合うような研究者に見える。
いっぽうでこの美術館を訪れる前に、ほかの美術館の展示室で見た崇高さすら纏うようなアルバースのストイックな画面からは、一抹のとっつきづらさのようなものも感じていた。今回の展示も、彼の思案に寄り添うことは難しいのではないか?という不安もあった。
でも、それは杞憂だった。並んだ絵画たちは彼が伝えたい「授業」の一部として雄弁に語ってくれ、さらにその授業は誰にでも開かれたものだった。
今回の展示では、アルバースの作品そのものだけでなく、バウハウスや後のブラックマウンテン・カレッジで彼が学生に向けて行った授業の様子をうかがうことができる。素材や色彩について、物の見方を丁寧に基本から伝えるような授業の資料を眺めていると、なんだか自分も生徒のひとりになったような気がしてくる。そして素晴らしいのが、併設されたワークショップ・スペースだった。ここではアルバースが学生に対して行っていた課題の一部を、実際に自分の手を動かして体感してみることができる。
テーブルに置かれた見慣れたはずの色を組み合わせると、表れるのはそれまで気付けなかった、色彩同士が織りなす「きらめき」だ。簡単なワークを通じて、アルバースが絵画において成したかったことはおろか、身の回りに散らばる色と色との反応もまた新たなものに見えてくる。難しいなんてとんでもない、多くの人に触れてほしいと思うような魅惑的な体験だった。今後、美術については私はアルバース先生にしっかり教わったのだと、そう喧伝してやろうとすら思う。
DIC川村記念美術館に来るもうひとつの楽しみが、「ロスコ・ルーム」の存在だった。
ロスコ・ルームは2008年にこの美術館に増築された展示室で、抽象表現主義を代表するアメリカの画家、マーク・ロスコの「シーグラム絵画」が部屋を埋めるように飾られている。この絵画シリーズは元々ニューヨークの高級レストランの一室に掲げられる予定のものだったのだが、それが立ち消えになった後に、こうして作られた部屋に収まることとなった(イギリスのテート・モダンにも同様に「シーグラム絵画」を収めた展示室がある)。
アルバースの絵画とは、限られた色の数で構成された絵画という点では似ていると言えるかもしれないが、隣り合う色同士の「差」を楽しむようなアルバースの絵画とは異なり、ロスコの絵画において塗られた色はその境界線も曖昧に、周囲と溶けあうような感覚を生み出している。それこそ、中央からじっくりと眺めていくと、気付けばキャンバスの外形すらも忘れてしまうぐらいに。薄暗い照明の中、絵の中へとのめり込んでいくような体験はほかにないものに感じられた。静謐が支配する場所で、作品と自身との関係のことを考える。
もしも明日、世界が滅びすべてがなくなってしまうのだとしたら。私はこのロスコ・ルームへと駆け込み、残りの時間を過ごそうとするのではないかと思う。作品は多くのことを教えてくれるものだが、ときに作品の前に立つことそのものが人生の目的に感じられるようなことがある。この部屋での邂逅は、そんな気にすらさせてくれた。
ただ、世界の最後に展示室にいるには、今際の際まで美術館が開いていてくれないとどうにもならない。いつまでも、叶うなら誰にでも、美術館が開かれているような世であってほしいと思った。
志賀玲太
志賀玲太