渋谷区立松濤美術館で2022年9月3日から10月30日に開催される「装いの力-異性装の日本史」は、人間を「男性」と「女性」におおまかに区分してとらえる社会通念を、身にまとう衣服によって性の境界を越えてきた文化的な営みを通して再考する展覧会。
女装して敵を倒したヤマトタケルのように、日本の神話・歴史にすでに異性装の例は登場する。能や歌舞伎といった古典芸能においてもその傾向は顕著だが、時代が現代に近づいていくと商業演劇、マンガ、映画といったポップカルチャーにも異性装の文化は引き継がれ、拡張していった。同展では、その長い歴史を通覧し、性の越境を可能とする「装いの力」について考察する。
日本において異性装について言及された最古の例は『古事記』。九州討伐を命じられた小碓皇子 (おうすのみこと/ヤマトタケル)が熊襲兄弟を暗殺するために髪を下ろして女性の衣服を身にまとったという。この他にも平安末期から室町時代までに成立した中世王朝物語である『とりかへばや物語』や『新蔵人物語』などでは異性装の登場人物たちの恋愛や政治的駆け引きが描かれ、能などの中世芸能においても異性装は珍しい要素ではなかった。そういった神話や創作物語だけでなく、このコーナーでは、男装の女官である「東豎子(あずまわらわ)」や、僧侶と共にいる女装の稚児など、役職や立場から異性装を実践していた実社会における人々も紹介する。
戦場で戦うことが男性の仕事・役割と考えられていた時代では、甲冑を身につけ武具を持った女性も、異性装の人物ととらえられる。ここでは九州征伐や三韓征伐をした神功皇后、現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』でも印象的に描かれた巴御前や静御前 、『吾妻鏡』の板額御前(はんがくごぜん)といった平安時代末から鎌倉時代における女武者を題材とした作品が展示される。
江戸時代には、前髪のある元服前の少年を指したり、場合によっては男色の対象となった「陰間(かげま)」と呼ばれる少年や役者を指すこともあった「若衆」。この章では、中性的な美しさやたおやかさを備えた若衆の姿を描いた作品、彼らの美意識を反映するかのような振袖などを通して、性の越境を示唆する若衆の姿を紹介する。
出雲阿国が創始したとされる歌舞伎は、男装の阿国が女装をした夫とされる三十郎と戯れる「茶屋遊び」の演目で人気を博した。その人気を受けて、男装した遊女や女芸人による「女歌舞伎」、元服前の少年たちによる「若衆歌舞伎」が誕生。いずれも風俗を乱すという理由から禁止されたが、男性の役者が女役もこなすことで興行許可を得るなどし、この経脈は現在まで続く歌舞伎の基礎となった。
江戸時代に人気のあった小説などの読み物には、異性装の登場人物が活躍するものも少なくない。たとえば、曲亭馬琴(滝沢馬琴)による『南総里見八犬伝』では八犬士のうち2人が女装の剣士だ。創作物のなかだけでなく、山王祭や神田祭などにおける附祭(つけまつり)の中の、男装の女芸者による手古舞や獅子舞、助六、女伊達なども江戸の異性装の例だ。
明治時代以降、それまでの慣習、文化、制度は革新されていく。異性装に対し抑圧的な文化的背景をもつ西洋諸国に対し、恥ずかしくないものに矯正、整備することを目的として、「違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)」が制定。現在の軽犯罪法にあたる同条例には異性装禁止の項目も含まれていた。 これらの影響を受けたことで生じた異性装への嫌悪は、異性装を禁じる法令がなくなった後も、新聞雑誌などのメディアでの言説、西欧精神医学の導入などによって社会の中に流布され続ける。 しかし、そういった抑圧のなかでも、自身の嗜好により異性装をする者や職業とする者は存在した。
近代以降の抑圧を経て生まれた少女歌劇や舞踏などのように、表現の手段のひとつとしての異性装のキャラクターや表現がみられるようになり、それらは人々に熱狂や非日常的な世界への陶酔、笑いを提供する要素となった。 恋愛・冒険・笑いといったエンターテイメント性を軸としながらも、これらの作品のなかには、着るべき服装、取るべき態度、ある性別でなければ果たせないとされる役割や身分といった「らしさ」の規定への問題提起となる作品も多い。
最後の章では、森村泰昌の「女優シリーズ」作品、ダムタイプの《S/N》記録映像などを展示。異性装と密接に結びつくジェンダーやセクシャリティの諸問題を考える。 また、日本におけるドラァグクイーンの黎明期に、グロリアス(古橋悌二)、シモーヌ深雪、DJ Lala(山中透)らによって始められた、ドラァグクイーンによるエンターテインメントダンスパーティー“DIAMONDS ARE FOREVER”メンバーによる、スペシャルなインスタレーションも展開。独自の美意識に基づく華麗な衣装やメイクに身を包みパフォーマンスは、社会的・文化的に定められたジェンダー規範を打破するものと言えるだろう。
全8章を通して、日本における異性装の歴史を巡り、ひいては「装う」ことの社会的な力や批評性を問うのがこの展覧会の特徴だろう。会期中には社会・文化史研究者の三橋順子による講演、シモーヌ深雪とブブ・ド・ラ・マドレーヌが登壇するトークセッション、女装メイク講座(初級者コースとテクニカルコースの2種類を用意)など、イベントも盛り沢山。それぞれ参加人数が限られるので、美術館ウェブサイトで詳細をチェックしてほしい。