芸術とアナキズムをテーマにした展覧会「しないでおく、こと。― 芸術と生のアナキズム」が、豊田市美術館で開幕した。会期は10月12日〜2025年2月16日まで。
近年、芸術を含む様々な領域で旧来のシステムへの抵抗や見直しの動きが進む。本展では、権力支配への抵抗や逃走の実践を行うアナキズムに芸術の本来の力を認め、現代の硬直化した社会を突破する契機となる可能性を問う。芸術と社会と深く関わりながら、抵抗・逃走し、創造してきた人々の活動が約100点の作品や資料を通して紹介される。企画担当は同館学芸員の千葉真智子。
内覧会に出席した千葉は、「アナキズムについて現在いろんな研究が深まっていて、一般書籍も増えている。資本主義やヒエラルキーなどがあるものに対して、そうではない水平的な関係のなかでどういうことができるかという第3の道を探るのがアナキズムの第1の特徴ではないか。今回はアナキズムをそのようなかたちで設定した」と本展の企画背景を説明。
展覧会タイトルに「しないで、おくこと」というフレーズを冠しているが、「私たちは何かをしなければならないということにとらわれていると思うが、しなければならないということ自体にも根拠がないのではないか」と、 「しないで、おくこと」の持つ創造的な可能性に言及し、「何かに制御されたり統治されたりすることのないようなものを目指していく動きとして、アナキズムの思想と芸術家の考えはシンクロするところがある。そういった活動が際立つ3組の(現代の)作家と前の時代のものをあわせて紹介したい」と話した。
展示は作家やテーマごとに大きく8つのパートに分かれている。まず冒頭で来場者を迎えるのは、ポール・シニャック、ジョルジュ・スーラ、カミーユ・ピサロといった新印象主義の作家たちによる絵画だ。
今回は19世紀半ば以降のアナキズムの高まりと軌を一にした動向として、新印象主義を展覧会の出発点に据えている。アナキズム関係の書籍に寄稿したピサロなど、彼らはアナキズムの思想に深くコミットしたという。
また本展ではその表現とアナキズムとのつながりにも注目。絵具の色を混ぜることなく、一つひとつ自律した色斑として均一に画面上に置き、全体として調和させることで風景などを描いた新印象主義の絵画と、支配されることのない個々の自律やそれによって全体の調和を生むアナキズムの理念に共通点を見出し、新印象主義の作家の作品を紹介している。
つづいて展示室の中に入っていくと、中央に木やスチールのラックに囲まれた大きな構造物が待ち構えている。大阪の北加賀屋にある協働スタジオ「コーポ北加賀屋」による作品だ。
コーポ北加賀屋は、建築家集団のdot architects、アーティスト集団contact Gonzo、NPO法人remo、オルタナティヴスペースを運営するadandaといった様々な分野の組織が集まり、水平的な関係の実践の場として共有/分有されている。本展ではコーポ北加賀屋そのものを美術館の展示室内に出現させる試みとして、コーポからそれぞれの事務所に置かれていた様々なものを持ち込んだ。
棚に飾られているのは、古い野球ボールや瓶、建築模型、おもちゃ、オブジェのようなものなど、共通点はなく雑多だが、すべてに番号が振られ、さながら博物館のように並列に陳列されている。マネキンや机に置かれた地球儀、ネオンライト、モニター、椅子などにも番号がついており、会場にあるQRコードを読み込むと表示されるリストには、それぞれの品々の所蔵先と、「法事でもらった壺」「どこかのお店で購入したもの」といったエピソードや制作背景などが一つひとつ記されている。
また美術館の庭園には、コーポ北加賀屋による小屋も出現。来場者はこの小屋に自由に入ることができ、会期中はコーポの入居者らがイベントを実施するなど、「動いていく展示」にすることを目指しているという。
同じ展示室の右側の壁面には、かつてスイスにアナキストたちが集った「モンテ・ヴェリタ(真理の山)」の歴史的展開を紹介する資料展示が展開されている。
19世紀末から20世紀初頭、産業化の進む都市を離れ、スイス南部のアスコナに多くの芸術家や思想家が集まり、コミュニティを形成した。ここでは同地近郊に住んでいた、ロシアのアナキスト、ミハイル・バクーニンに引き寄せられるように人々が集まり始め、展開していたった流れを1869年から時代順に年表で解説。ダダやバウハウス、ノイエ・タンツなどの芸術家たちとの関わりも、資料やラースロー・モホイ=ナジ、ハンス&ゾフィー・トイバー=アルプ夫妻らの写真や作品などを通して知ることができる。
またコーポ北加賀屋のインスタレーションを囲むように、反対側の展示壁ではシチュアシオニスト・インターナショナルの活動を紹介。1957年にギー・ドゥボールやアスガー・ヨルンによって結成されたシチュアシオニスト・インターナショナルは、都市を舞台に、剽窃と引用、転用と漂流といった手法を用いながら日常生活を転覆させる実践を行った。
ここでは、パリの地図を読み替えたドゥボールによる《パリの心理地理学的ガイド》や、《ネイキッド・シティ》といった作品を展示。
さらにデンマーク出身のアスガー・ヨルンにとくに光を当て、蚤の市で入手した絵の上に加筆して作品化した絵画や、コラージュ作品、そしてシチュアシオニスト・インターナショナルに関連する資料なども紹介している。
展示資料のなかには、コーポ北加賀屋のメンバーが提供した本や、藤原ヒロシが所蔵している資料も含まれる。一部資料に関しては、展示室内に設置されたソファに座って、実際に手に取って読むことができる。
展示室の中央に置かれた黒いボックスと、ボックスにつながるように延びる透明のパネルに囲まれた空間は、大木裕之の展示スペース。この空間自体が作品で、黒いボックスの中では2本の映像作品が上映されている。会期中、大木が何度か滞在し、手を加えながら現在進行形で形を変えていく展示になるという。
内覧会に参加した大木は、「僕自身はこれは4ヶ月間のライブだと思っている。展示でもないし、上映がメインでもない。会期中はずっといるわけでないので、予定はわからない。つねに即興。自分は“ネオ・シチュアシオニスト”と名乗っているが、状況で判断していきたいと思っている」と説明。内覧会の日はボックス内に人が入れないようになっていたが、「明日入れるかもしれないし、塞ぐかもしれいない」とのこと。まさに状況によって変わっていく予測不能な展示になりそうだ。
大木による黒いボックスの横の展示壁では、ソ連時代の1976年にアンドレイ・モナストゥイルスキーを中心に始まり、いまなお続くロシアの「集団行為」にフォーカス。ときに参加者にも役割を課しながら行った「集団行為」のアクションは169回におよぶ。今回は、第1回目の「出現」をはじめとするいくつかの象徴的なアクションを、行程や観客に与えられた指示内容などともにテキストや写真、一部映像で紹介している。イリヤ・カバコフなど、実際にアクションに参加したメンバーの談話も読むことができる。
さらに初期のアクションの重要な参加者であった、カバコフが手がけた絵本もあわせて展示されている。
最後の展示室では、オル太によるインスタレーションと映像作品、昨年に死去したマルガレーテ・ラスペの作品群が並ぶ。
5人組の芸術家集団オル太は、「団地」をテーマにした作品《Living Conditions》を発表。「しないでおく、こと」という展覧会タイトルから「資本や労働からの逃走」をイメージしたという彼らは、豊田市など様々な地域の団地で行ったリサーチをもとに、日常や家庭という視点から現代社会において人々が直面する状況を描いた映像作品を制作した。
会場には配管をイメージした構造物が作られ、パイプに囲まれるようにステンレスの流し台と座卓が置かれている。これは日本で初めてダイニングキッチンが導入された東京の晴海団地をモデルとしており、大量生産が可能なステンレスの流しは、資本主義下の女性の地位向上にも影響したという側面も持つ。映像作品は、すべて展示室をふくむ美術館内で撮影されており、展示室の外にも作中に登場する中華そば屋ののれんやカウンターなどが出現している。
また本展では、オル太が2017年から展開している、都市を観察・調査する「スタンドプレー」の一環として、2019年に多摩のニュータウンで行ったツアーパフォーマンスの記録映像《スタンドプレー vol.4 多摩ニュータウンでのアクティビティ》もあわせて上映されている。
ベルリンを拠点に活動したマルガレーテ・ラスペの作品にも、日常のなかの労働がモチーフとして取り入れられている。
会場では、離婚を経て子育てをしながら制作を行っていたという彼女が、自身の頭にカメラをつけ、家事を行う手元を撮影した映像作品などを上映。肉を叩きつけたり、クリームを激しく攪拌するなど、料理という行為を通して暴力性と生の力強さがユーモラスかつダイレクトに伝わってくる。
ラスペの自宅には、ウィーン・アクショニスムやベルリンのフルクサスの作家たち、アメリカの作家ジョーン・ジョナスらが集い、彼らと自宅の庭で自主企画展や上映会などを行っていたという。自律的に創作活動を続けながら、作家たちのハブとなり、場を提供するということもした彼女の実践に光を当て、本展は幕を閉じる。
主流や制度に抗い、逃れ、思考や創造を続ける作家たちの多様な実践に触れることのできる本展。展覧会タイトルが問いかける、あえて「しないでおく、こと」の可能性とはどういうことなのか? ぜひ会場で思考を巡らせてみてほしい。