この点を克服するには、他の四感覚を惹起させるか、会場に建築物をそのまま持ち込み、鑑賞者に長時間その空間を留まってもらうほかない。そうした行為は、対象と距離を生み出す視覚優先の鑑賞法-美術史家アロイス・リーグル(1858-1905)によれば遠隔像(entferntes Bild)-が支配的な時代において、有効なのか。またはどの点で実現可能なのか。前者は解答が難しいが、後者は今回の藤森展が提示している。
2006年の第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展の日本コミッショナーとして選出された藤森照信(1946-)は、まごうことなき都市計画の研究者そして日本近代建築史家である。その彼が建築設計を手がけたのは40歳を過ぎてからであり、それまで彼は前述の通り研究者として造形対象を採集し精査し建築を「眼差す」側にいた。今日、都市という文脈なしで我々の生活を語るのは難しい。建築は人々が集う「場」であり、人々の営みに合わせて機能が付随し造形化された存在である。そういったものを研究する上で採集し、精査するうちに、自ずと意図と目的に満ちた都市の文脈から外れたものを「発見する」視点が形成される。予定調和から抜け落ちた、無用の物体「超芸術トマソン」等の観察に焦点を充てた路上観察学会である。一方で、技術の進展に伴って機能性の向上を目指した近代建築史のパースペクティヴに対し、時代を逆行するかのような自然素材を用いた藤森の建築が建築の専門家以外の注目も集めている。今回の展覧会には、ヴェネチア・ビエンナーレ建築展の凱旋展示として、この二点を取り上げて都市、建築、空間を考察する企画である。
展示構成は三つのスペースから成る。最初の展示空間は藤森が実作に用いたアコヤ貝の壁と杉材を焼いて仕上げた壁で仕切られ、手前に工法と素材、その先に建築作品の写真や模型が展示されている。藤森建築のほとんどで用いられている木材の加工法が大部分を占めており、実際に削りかけた丸太材と道具がケースに収納されることなく裸のままで展示されている。視覚的な印象と共に木材もしくは他の素材が放つ匂いがある。視覚が圧倒する鑑賞行為から一歩進み様々な身体感覚を使いながら、展示物を認識できる。
奥の空間には初めて設計した《神長官守矢史料館》(1991年)から今年落成した《ねむの木美術館》(2007年)の写真や一木から削りだした彫刻模型が展示されている。写真によって建築物の外観と内装そして藤森建築の全貌を確認できるけれども、内部の空間構造を把握するものが写真展示のみであり、設計図やアクソメ図(矩形の角度全て90度で平面上で立体表現する投影図法)等はない。この部分は視覚中心の展示であることは否めず、藤森建築が生み出す肌触りや質感-即ち触感は伝わってこない。写真自体は非常に精巧で外観をよく捉えているのだが。
次の展示空間は、眼で味わう鑑賞方式を覆される。突如として大きな壁が立ちはだかり、靴を脱ぐよう指示され、昨年の《伊東豊雄 建築|新しいリアル展》と同様に裸足で鑑賞する形式が展開される。よく見ると、歌舞伎の鼠木戸のような入り口がその壁に穿たれており、中に入ると籐ゴザの敷物が一面に敷かれ、藤森の手書きスケッチと芝で造った塔が目に入ってくる。
この芝の匂いが展示空間に立ちこめており、嗅覚と足の触覚から作品を体験できるため、原っぱに迷い込んだかのような感覚を覚える。「野蛮ギャルド」の真骨頂たる展示と言えよう。入り口左手には、《高過庵》の制作を追ったドキュメンタリービデオコーナー、正面の巨大な塔に視界が塞がれる形で後方には縄で編み込まれたパオ(遊牧民の住居)のような建造物が設置されている。鑑賞者の視点を一定に固定する展示ではなく、鑑賞者が自由に導線をつくりながら展示作品を「発見」していくような構成。これは次の展示空間がメインとする路上観察学会を示唆しているかのようだ。つまり、都市や近代建築というスペクタクル(壮大な見せ場)の裏側やそこから抜け落ちた場面に遭遇するには、一定の観点に留まり対象に耽溺することなく、彷徨うことや身体の動きを伴う視線によってのみ獲得できる。展示空間後方に控えるパオへ入るには、身体を屈めなければならず、内部では路上観察学会の活動内容と路上で「発見」した数々の「物件」が紹介される。
路上観察学そのものが、視野に入る情報を処理する行為ではなく、積極的な身体の動きを伴う注視によって行われるマッピングであるということを示しているようでもある。
次のスペースは靴をはき直し、長い廊下の壁に路上観察学会メンバーの活動報告と著作が展示され、前出のスペースに比べ、博物館のような資料展示となっている。路上観察学会員(藤森、赤瀬川原平、南伸坊、松田哲夫、林丈二)それぞれの歩みと、各人の路上観察へのアプローチ方法が紹介されている。藤森建築のスペースが壮大なだけに、やや地味であることは否めない。しかしながら、彼らがフィールドとする「路上」というものが、そもそも都市の大通りから外れた場であるから、むしろこのようなひっそりとした空間構成が適している。各々の業績(紹介雑誌の掲載、書籍等)を中心に展示されたこの空間は、「学会」の名称にふさわしいやや厳そかな雰囲気を醸し出している。
路上観察学会と自然素材中心の藤森建築の展示が中心だが、記者としては彼の創作源泉ともなる、学部時代の卒業制作に着目した。東北大学時代に取り組んだ設計案《幻視によってイマージュのレアリテを得るルドー氏の方法-橋》(1970年)は、仙台にかかる広瀬川を舞台に橋梁都市を出現させ自然と都市を融合させるという試みであった。タイトルからも察しがつくように、フランスの建築家クロード・ニコラ・ルドー(1736-1806)によるスケッチ《瞳の中のブザンソン劇場 Eye Enclosing The Theatre at Besancon》をモチーフとして、建築プランが展開されている。
メガロマニア建築に先鞭をつけたルドーを引用することで、現実的な橋梁都市というより宇宙戦艦を彷彿とさせ、実現を想定していないプランであったことは容易に想像できる。藤森は「仙台市街を廃墟として広瀬川に宇宙船のような橋を忽然と出現させた」と述べており、この頃から彼が都市との関係において建築を考察していたことがよく分かる。都市が人間の営みにもとづいて形成されるものである故に「ヴァナキュラー」の概念はこのころから藤森にとって欠くことのできないテーマであった。
「ヴァナキュラー」建築とは狭義において「民俗的な」建築という意味だが、藤森建築では縄文時代にまで遡り、民族や文化が分化する以前に存在していたであろう様式なき造形を指している。閉塞感のあるインターナショナルスタイルを克服する藤森なりの試みであり、近代主義が依拠した国際的な普遍性に対抗しているようでもある。そのため「ヴァナキュラー」という言葉によって、原始的な人間の感覚をニュアンスとして含め、人間に備わる視覚以外の感覚機能を恢復させるかのようである。ここから、路上観察学や自然素材建築とのつながりが紡ぎだされはしないか。路上にある「奇異なもの」へのアプローチ方法、建築を自然素材に取り込む手法は視覚のみならず嗅覚、触覚といった感覚を刺激し、身体に訴えかけるのである。こうした身体性を扱う展覧会においては、もはや写真や映像といったメディアでは対応しきれないのではないか。
今回の東京オペラシティアートギャラリーの展示の大部分は、そうした感覚と身体の動きを誘発させるべく構成されている。「肌理細かく、肌触りを実感」できるかわからないが、建築の一般的な鑑賞法に飽きたら今回の藤森展をお勧めする。