荒木経惟と陽子、アルフレッド・スティーグリッツとジョージア・オキーフ…。これらはいずれも、恋人・夫婦関係がそのまま写真家と被写体の関係になっており、その対でしかもう考えられないほどの強い結合力を発している。他に、ロバート・メイプルソープも細江と同じように肉体への飽くなき探求心を持って、写真を撮影していたが、幸か不幸か彼には運命的な被写体が自分自身以外にはいなかった。筋骨隆々の黒人男性やロック歌手パティ・スミスがある程度有名な被写体ではあったが、それでもやはり彼のセルフポートレイトが鮮烈な印象を与える。ラバースーツ姿で挑発的なポーズを撮ったり、マシンガンを抱えて立ったり、右上半身だけが画面の端から現れ、手を伸ばしていたりするような若かりし頃の写真に始まって、髑髏のついた杖を持った晩年の写真で終わる。そこにあるのは出会いではなく、唯々自身の存在だけである。
そうした意味で、細江は被写体との運命的な出会いを何度も経験している数少ない写真家なのかもしれない。本展覧会は「薔薇刑」「鎌鼬」などの写真集によってセクション分けをしているが、それは同時に被写体で分けているとも言えよう。ただ写真を見るだけではなく、その被写体との「運命的な出会い」を追体験する。そんなことを感じさせる展覧会であった。
Bunmei Shirabe
Bunmei Shirabe