岡本太郎が、フランスでマン・レイやブラッサイなどの写真家と交流を深めたことは、本展覧会でも示しているところである。しかし、私がより重要だと思ったことは、彼の言説の中に、自然主義写真に対する彼なりの意見が見出せるということである。岡本は、単純に20世紀以降の写真を「流行」として取り入れたのではなく、19世紀末から隆盛していた自然主義写真にまで遡って、写真を捉えていたのである。自然主義写真とは違う写真を、20世紀において追い求めなければならないと。 こうした独自の見方を、岡本は日本の文化にも向けたのである。彼は、日本各地の祭や街中に残る、見過ごされる「モノ」に、再び光を当てようとした。そのことは、日本文化の「再発見」であると同時に、もう一つの面を明らかにしているように私には思える。それは、なぜ見過ごされるのか、ということである。岡本は、日本に残る素晴らしい文化をもう一度見直すということを目的としていたが、「見過ごす」というのもまた、一つの文化の現れである。我々は、ガイドブックに記されている、カラー刷りされた「遺産」を見に、神社仏閣を訪れる。「仏像」を見ることに集中して、建物の梁を見ようとはせず、「日本庭園」を見ることに集中して、床の板張りを見ようとしない。ガイドブックに載っていないものは、「文化」ではないとでも言うかのように。
岡本太郎の視線は、見過ごされた文化だけでなく、見過ご「させる」文化も同時に、捉えているのである。
Bunmei Shirabe
Bunmei Shirabe