「わたし」という一人称単数形でも「あなた」「あなたがた」という二人称単数・複数形でもない、「われわれ」という一人称複数形が特権的な代名詞であるのは、それが同一化と排除という二つの異なった原理を同時に孕んでいるからにほかならない。すなわち、比較的同質的な集団ないし共同体を包括しうるような文脈で「われわれ」という言葉が用いられた場合、それはふつう「同一化」を強化するものとして機能しうると考えられてよいが、そこから少し視点をずらせば、それがまさしく「われわれ」に含まれることのない他者を排除する原理として作用しているということはあらためて確認するまでもないだろう。それゆえ、「われわれ」というそれ自体フィクショナル(仮構的)な共同体を実体化しようとする試みは、その背後に存在する排除された他者への眼差しをつねに必要とする、ということはいくら強調してもしすぎることはない。
昨年の12月17日から、水戸芸術館現代美術ギャラリーでは『われらの時代』という企画展が開催されている。知られるように、こうした現代美術のグループ展は20代から30代までの若い作家だけで構成されることが少なくない。だが、茨城県に縁のある作家25名を紹介する本展の顔ぶれを見れば、まず作家の年齢が20代から60代と幅広いことに気づかれることだろう。
展覧会要旨にもあるように、本展はいまだやむ気配のない括弧つきの「現代美術」における表現の多様化を踏まえて構成されたものである。ともすれば、こうしたマニフェストがみずから批判する現状に安易に加担してしまうという事態が少なからず見られるなか、『われらの時代』において選ばれている作家の多くがすでに十分なキャリアを持つ50代から60代の、しかも必ずしも同時代の「美術」に身を置いていなかった制作者であるということは注目に値する。すなわちここでは、彫刻や陶芸といったむしろ一般的な意味での「ジャンル」に属する作品を長年つくり続けてきた作家たちが多く選出されているのである。だからここには次のような企画者の意思が疑いようもなく見て取れるし、それはこれを書いているわたし個人の実感ともすぐれて一致する。すなわちそれは、いわゆる「領域横断的」な活動というものがもはやひとつの保守主義に陥ってしまっているのではないか、という実感である。既存の領域や制度を横断的に走破しようとする試みが一定の飽和点に達したとすれば、そこで次に営まれるのは新たな領土化と再生産であることは疑いを容れない。そうした現状を踏まえれば、今まさに必要とされていることこそ、ここ数十年の「領域横断的」な実験の背後で息を潜めてきた堅実な歩みに目を向けることではないだろうか。
出品作家のうち最年長である伊藤東彦(1939-)の近作である花器や、同じく陶芸の世界で制作を行ってきた中井川由季(1960-)の作品は、これほどの高度な達成が「現代美術」の文脈でいまだ発見されていなかったことに対する驚きを与えるに十分な質の高さを呈している。それは言い換えれば、「現代美術」というひとつの世界がいかに恣意的な言説のエコノミーのもとに成立していたかということをまざまざとわれわれに見せつけると同時に、ふだん「伝統工芸」にカテゴライズされている「陶芸」というジャンルを「現代美術」の文脈に置き換えてみるとどのようなことが起きるか、というささやかな問題提起ともなっている。一方で若手の、こちらも質的に決して劣ることのない作品とそれらが並べられることによって顕在化するのは、異なった年代・領域に属する作家たちによって記述される「新たな歴史」であるとも言えよう。少なくとも「現代美術」という領域において大文字の「歴史」というものは存在しえない。それがいまだ”contemporary art”という名で呼ばれている以上、それはたえず書き直され、改訂されることを免れない暫定的な歴史なのであり、現在でも確実にその「歴史記述」をめぐる闘争は進行していると言ってよい。特にグループ展というのは、ひとつの恣意的な――もちろん客観性を欠いたという意味ではない――主題のもとに組織されるという性格を濃く有するがゆえに、それがすぐれて「政治的」な営為であることは否定できない。ここ今一度『われらの時代』に注目すべきなのは、このグループ展が、ある意味でまさにその「グループ展を組織すること」自体を問題としているからである。
どういうことか。本展の企画は、水戸芸術館現代美術センター芸術監督である逢坂恵理子、および同学芸員である浅井俊裕、高橋瑞木の三氏によるものである。一方で、作家の選出にあたっては「推薦委員」が設けられ、郷土博物館の学芸員から地元の新聞記者まで7名の推薦委員が選出に携わっている。絵画やインスタレーションだけでなく、陶芸、彫刻、あるいは人形といった多様な顔ぶれを本展に与えているのは、ひとえにこのような多様な方向づけであることに疑問の余地はない。常々、優れたキュレーターの手腕を実感させられるのは、思いもかけない作家・作品同士が併置されている時である。このようなとき、美術館の収集ないし展示といった行為がたんなる保存や配列とは異なる、すぐれて破壊的な力を持つ行為なのだと実感させられるわけだが、今回の展示空間から受けた印象はそれと若干異なるものだったということは付け加えておくに値するだろう。言うなればその印象とは、最終的な落としどころは見出しつつも、やはりどこか落ち着きのない展示空間のもつ「不穏さ」とでも呼ぶべきものである。おそらくそのような「不穏さ」とは、前述のように様々な分野の選出委員が企画にかかわっていることに由来するものだろう。だがしかし、そのような多様で、均衡を欠いた疑問符つきの「われら?」こそ、「われらの時代」の名に相応しいといったら言い過ぎだろうか。
この文の冒頭に書いた一文をもう一度呼び出してみたい。「『われわれ』というそれ自体フィクショナル(仮構的)な共同体を実体化しようとする試みは、その背後に存在する排除された他者への眼差しをつねに必要とする、ということはいくら強調してもしすぎることはない」。だが「われわれ」という発話につきまとうこのような「排除の原理」を完全に押さえつけることはできない。なぜなら「われわれ」なしには共同体はもとより、そもそも「わたし」も「あなた」も存在しえないからだ。だから「われわれ」と不可分な排除の暴力性を抑圧するためには、たえずこの「われわれ」とは誰か、そしてそこで排除されているのは誰か、ということを問い続けるしかない。もちろんそれが困難な営みであることは否定できない。『われらの時代』における――学芸員および選出委員による――作家選出、そしてその25名もの作家たちによって織り成される展示空間のある種の不均衡感は、まさにそのような「われら」の中性化、「われわれとは誰か」という問いを、積極的な仕方で提示しているのではないだろうか。すなわち恣意的に解釈すれば、「われらの時代」とは「われらの時代」そのものを問わねばならない時代、そのような意味でまさに、われわれとともにある時代である。