「ドイツ写真の現在」では、トーマス・デマンドによる事件現場を模型で再現した大画面のカラー写真が出品されており、「杉本博司 時間の終わり」では、実験器具という「模型」や、自然博物館の剥製という「模型」を写した白黒写真が出品されていた。「寺田真由美 新作展」では、トーマス・デマンドのように建物の模型を作り、それを杉本博司のように白黒写真で撮影している。しかし、寺田の作品には、デマンドや杉本の表現する「模型」と明らかに異なる要素がある。
デマンドが閉塞した空間を主に表現していたのに対し、寺田は扉や窓など、外界との接点を示す要素を作品の中に取り入れている。しかし、だからといって、開放感が得られるわけではなく、逆に「閉じ込められる」という不安感が、否が応にも湧いてくる(寺田の作品には、雨がしばしば用いられる)。
また、杉本の写真とも異なる。杉本が、いわゆるお手本のような白黒の階調を達成することで、ある種の写真的快感を与えるのに対し、寺田は、そうした階調を意識的に排除し、「灰色」を基調にしている。灰色は、色の「不安定さ」を示すと同時に、室内の「不安さ」を隠喩的にも示している。さも、この場景自体が、「不安さ」を醸し出しているかのように。
しかし、この「不安さ」は、この場景自体が「作り物=模型」であることによって、「宙吊り」状態にさせられてしまう。そして、今度は、その「作り物=模型」が世界それ自体の不安さ(神の「作り」しもの)を隠喩的に示す…。この「不安さ」の隠喩的連鎖は、次にどこへ向かうのだろうか。
Bunmei Shirabe
Bunmei Shirabe