展示される作品は連作を含め30点ほどと比較的少ないが、それでもポルケの多様な作風の一端を覗き見ることは十分可能だろう。
ポルケの作品は実物を見るに如くことはない。などというと芸術作品の鑑賞における紋切り型をなぞっているだけかと思われるかもしれないが、それには正当な理由がある。というのもポルケの作品について雑誌の記事やウェブ上の画像が与えてくれる情報はあまりにも貧しいからだ。既存のテキスタイルやイメージを流用して構成される代表作「不思議の国のアリス」(1971)や「結合」(1983)、「園丁」(1992)などは世に流通する同作の画像とは似ても似つかぬものである。巨大なカンヴァスの上に展開される奇妙なテキスタイルの拡がり、そしてそれに重ねられたさまざまなイメージの混成は、二次的に流通する際に大幅な圧縮を被らざるをえない。ゆえにこれらの作品は、写真などを通して「事前にそれを見ている」人間にこそ大きな驚きを与えるように思われる。もちろん他の作品にも同じことが言える。酸化鉄を用いて描かれた連作「魔方陣」(1992)や、タイトル通り朱砂が用いられた「朱砂」(2005)は「錬金術師」の異名をとるポルケらしい作品であり、こちらもやはり写真になるとその質感は大きく損なわれてしまう。
イメージの流用、あるいは事後的な流通によって作品の「真正性」が獲得されるという逆説。ウォーホルやリキテンシュタインを知るわれわれにとって、それもまた現代におけるひとつの「物語」と化してしまっていることは否めない。しかしポルケの作品におけるイメージの混成、あるいは特殊な素材の使用は、さらにそこから一歩隔たったところにあるのではないだろうか。それはポルケが複数の作風を併用していることとも無関係ではあるまい。テキスタイルと描線を混成すること、あるいはまったく異なる手法によって描かれた作品を併置すること、それはわれわれが生きているこの世界そのもの、われわれの現実そのものである。1963年にゲルハルト・リヒターらと「資本主義リアリズム」を立ち上げたポルケの作品は、今もなお資本主義を「内側から」批判しつづけていると言えるだろう。そしてポルケの作品において提示されている多層性や複数性は、この社会のみならず、われわれがたえず自己のうち抱えなければならない問題でもある。