ポーラ美術館で開館20周年記念展「モネからリヒターへ ― 新収蔵作品を中心に」がスタートした。会期は9月6日まで。本展は展示室のみならず館内や遊歩道まで作品が配されるなど規模は同館史上、過去最大級。クロード・モネや藤田嗣治からゲルハルト・リヒターや杉本博司に至るまで、ポーラ美術館のコレクション拡充が伺える展覧会となっている。
印象派を筆頭に、19世紀後半から20世紀前半の絵画を中心とする同館のコレクション。だが近年はこうした近代絵画の拡充に加え、抽象表現などの現代美術作品の収集を強化。本展で公開される約120点の作品のうち、じつに半数以上が戦後に制作されたものだ。
「ポーラ美術館でリヒターを見る」と聞くと新鮮さを感じるかもしれない。けれども印象派という「光の絵画」をコレクションの中核に据え、晴れた日には館内に柔らかな日光が差し込むという同館の特色を思い出してみよう。新収蔵品の多くにも、〈光〉という主題が通底しているはずだ。
大きくは2部構成、細かくは20の章立てに分かれている本展。新たな〈光〉に注目しつつ、展覧会の概要を紹介していこう。
第1部ではポーラ創業家2代目の鈴木常司が収集したコレクションと新収蔵作品をもとに、9つの章立てに沿って近代絵画が展示される。
ピエール・オーギュスト・ルノワール《レースの帽子の少女》(1891)で幕開けする第1章のタイトルは「光のなかの女たち」。エドゥアール・マネ《ベンチにて》(1879)やキュビスムを経て独自のスタイルを築いたフェルナン・レジェ《鏡を持つ女性》(1920)、色彩が印象的なロベール・ドローネー《傘をさす女性、またはパリジェンヌ》(1913)などを楽しめるが、注目の新収蔵作品はベルト・モリゾ《ベランダにて》(1884)だ。
モリゾはマネに師事したフランスの印象派で活躍した女性画家。パリ郊外のブージヴァルに家族で滞在した夏に制作された《ベランダにて》で描かれているのは、陽光溢れる邸宅のサンルームで、机に向かい花を生ける一人娘の姿だ。身近な人物や風景を主題としたモリゾにとって、日々成長する娘を描くことは特に重要なプロジェクトだった。そんな作風を象徴した本作は一家の穏やかで幸福な生活が伺える。
第2章「水の風景、きらめく光」ではウジェーヌ・ブーダン、ニコラ・ド・スタール、ジョアン・ミッチェルらの水辺の風景画が展示。続く第3章「揺らぐ静物」では、黎明期のポール・セザンヌ《ラム酒の瓶のある静物》(1890)から、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックの最盛期までキュビスム絵画を系譜立てて鑑賞できる。
第4章「放たれた光彩」第5章「内なる光」はタイトルの通り、ポーラのコレクションを司る〈光〉という主題によりフォーカス。第4章ではアンリ・マティスらから始まるフォーヴィスムの作品が展示される。第5章は大正時代の洋画家が中心。明治期に見られた印象派風の明るい色彩とは対照的に、大正の洋画には黒を基調とし、暗鬱さが際立つ作品が多い。関根正二《小供》(1918)や村山槐多《賀茂の里》(1913)の持つ暗さは、夭折した彼らの短い生涯を示すかのようだ。愛娘を描いているにもかかわらず、ある種の不気味さを感じずにはいられない岸田劉生の「麗子」シリーズにも注目だ。
第6章では「日本のフォーヴ」として里見勝三と佐伯祐三が、第7章「レオナール・フジタ」では藤田嗣治の描く乳白色の肌のシリーズが見られる。
第1部のもうひとつの注目の新収蔵作品は第8章で紹介される松本竣介の作品だ。松本竣介は4月29日から神奈川県立近代美術館 葉山別館にて回顧展「生誕110年 松本竣介」も予定されている、抒情豊かな人物画や風景画を多く描いた洋画家だ。新収蔵となるのは《街》(1940)は、画面右下に街を行き交う人々が自由な輪郭線で描写され、残る部分には彼らを取り囲む建物や街路、線路、自転車が奥行きを持って表現されている。画面全体を覆うように水平に描かれた紺の油彩によってもやがかって見える街は、都市の喧騒を感じさせない。街は抽象化され、夢幻さを帯びている。
第9章として第1部を締め括るのは《月》(1966)など、光の淡さが目を引く坂本繁二郎の絵画。繁二郎は近年、アーティゾン美術館や練馬区立美術館の展示でも紹介されている画家だ。
第1部では会場は第1展示室のみだったのに対して、第2部では4つの展示室を舞台に、抽象絵画や写真、立体作品など新収蔵となる国内外の現代美術を鑑賞できる。
第10章「戦後日本の抽象」では、戦後日本の抽象絵画の作品を紹介。1950年代前半に渡仏した菅井汲、田淵安一、堂本尚郎や、国内で活動した田中敦子、難波田龍起などアンフォルメルの影響を受けた画家作品がずらりと並ぶ。ほかにも死を暗示した「Still Life」シリーズやコンセプチュアルな「Work」シリーズなど、独自の抽象表現を開拓した山田正亮、幾何学的な文様が印象的なオノサト・トシノブ、都市や地図をモチーフとした猪熊弦一郎の作品なども展示される。
戦後の日本の抽象画を代表する山口長男の新たな作品もコレクションに加わった。黒い画面に色面の矩形を描いた作風で知られる山口だが、60年代半ばからの作品では図としての矩形は画面全体へ広がり、黒い地はもはや面ではなく、区切り線へと近づく。地へと反転した黄土色の色面がキャンバスを越境しているようで、黒がそんな色面に貫入し緊張感を与えている《對》(1967)はそんな後年のスタイルを象徴する作品だ。
第11章「物質性の探求」では、今井俊満《瞑想》(1965)などジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェらアンフォルメルのパイオニアが念頭に置いていた絵画のマチエール(物質感)が強調される作品が並ぶ。なかでも、白髪一雄《波濤》(1987)や《泥錫》(1987)など身体の動きを足に集約させた「フット・ペインティング」は絵具のダイナミクスが際立つ。
中西夏之は身近なものにこそ芸術が見られるという主義のもと制作を続けた作家。《洗濯バサミは攪拌行動を主張する》(1963/1993)は、麻の画面に芸術と日常の混濁の象徴として洗濯バサミを貼りつけた半立体作品。もの派として知られる斎藤義重と李禹煥の作品も展示される。
第12章「色彩と抽象」で注目すべきは、今年東京国立近代美術館で大規模個展「ゲルハルト・リヒター展」が予定されているゲルハルト・リヒターの新収蔵品だ。《抽象絵画(649-2)》(1987)は1970年代後半から開始した「抽象絵画」シリーズの代表作。大きいキャンパスにスキージ(へら)で油彩が塗り重ねられた本作は複雑な画面構成が特徴。明快な色彩と筆跡が鑑賞者の想像力を掻き立てる。モネの《睡蓮の池》(1899)と並置された姿は、ポーラ美術館のアップデートを示す同展のハイライトだろう。
カラーフィールドと評されるモーリス・ルイスやヘレン・フランケンサーラーの作品のほか、同じ展示室内には第13章としてアニッシュ・カプーアの光の三原色をモチーフとした器形のオブジェが配されている。
第14章「ハマスホイとリヒター」第15章「中林忠良」第16章「杉本博司」は暗室での展示だ。
室内画で知られるデンマークのヴィルヘルム・ハマスホイの描く《陽光の中で読書する女性、ストランゲーゼ30番地》(1899)が窓から部屋に差し込む淡い光が内省的な孤独感を演出する。他方で、リヒターの風景にぼかしを加えて描かれた「フォト・ペインティング」シリーズのひとつ《グレイ・ハウス》(1966)に映る光は淡さはあるものの、露光が不十分な写真のような幽玄さを感じさせる。
杉本博司の最新シリーズ「Opticks」はプリズムを透過させることで光を色彩へと変換させ、撮影した作品。作家が「光を絵具として使った新しい絵(ペインティング)」と語る同シリーズに映る色彩の豊かなグラデーションは、会場で見ないことには伝わらないだろう。
展示室外にも立体作品が配置。第17章としてロビー横のアトリウムギャラリーに展示されるのは三島喜美代の新聞、雑誌、空き缶といった廃棄物をセラミックで再現した驚くべき陶芸作品。学芸員の内呂博之は「大量消費社会に対する批判と言われることもあるが、作家自身は陶による表現に好奇心を抱き続けて制作している。社会的な側面だけでなく作品を生み出す喜びに注目してほしい」と話す。
第18章は地上から地下2階までをつなぐ吹き抜けに吊るされたケリス・ウィン・エヴァンスの巨大なネオン作品。美術館の外縁をなす遊歩道では第19章「スーザン・フィリップス」のサウンド・インスタレーションと第20章「ロニ・ホーン」の水をたたえたようなガラスのオブジェも見ることができる。
先日、2032年ヴィジョンとして「心をゆさぶる美術館」を掲げ、サステナビリティへの取り組みの指針を発表したポーラ美術館。コレクションの拡充を筆頭に、時代に寄り添った変革を進める同館の活動に、今後とも目が離せない。