ポーラ美術館で「フィリップ・パレーノ:この場所、あの空」が6月8日〜12月1日に開催される。企画は同館主任学芸員の鈴木幸太。
本展は現代のフランスを代表するアーティスト、フィリップ・パレーノ(1964〜)の国内最大規模の大型個展。パレーノは、ニューヨーク近代美術館やパリのポンピドゥー・センター、ロンドンのテート・モダンなどで数多くの個展を開催してきた、現在もっとも注目される作家のひとり。日本では2025年の岡山芸術交流のアーティスティック・ディレクターに選任されている。
本展はそんな作家のドローイングから立体、映像、大規模なインスタレーションまでを紹介する。ここでは作家のコメントとともに内覧会の様子をお届けしたい。
最初の展示室に入ると、バルーンの魚が展示室をふわふわと浮かび泳いでいる。奥には箱根の森が望め、イノセントで不思議な雰囲気に満ちている。《私の部屋は金魚鉢》(2024)という詩的なタイトルを持つ本作。鑑賞者が動くことで起きる空気の流れや、窓から入る外光など、周囲の様々な要素が魚たちにも影響し、展示室=水槽のエコロジーを作り上げる。
「もの・オブジェ」として作品を作ることには関心がないという作家。本作に登場する魚など、繰り返し登場するモチーフやイメージはあるが、それは各展示でインストールされるごとに新たな作品として位置付けられる。
「作品を作るというのは、私にとって会話をすることと似ています。最初からこういう内容にしようと決めているわけではなく、会話の最中で話したいことが出てきたり、変わっていく。そんなふうに作品もフィックスすることはなく、流動的であることが自然なかたちだと感じています。また昨今のデジタル化によって、データの更新などが容易になり、こういう制作方法がやりやすくなっています」(パレーノ)。
作家は自身の展覧会を、「カメラのない映画」と形容する。そのことをもっとも体感できるのが、《マリリン》(2012) という映像作品を中心に据えた展示だ。かつてマリリン・モンローが住んでいた高級ホテルの部屋を舞台にした映像は、物語性を帯びつつも「制作者側の視点」を露わにするメタ的な内容。
そして映像が終わったと思うと、背後の窓を隠していた覆いが上がり、部屋全体が明るくなる。そして屋外に設置された制御ユニットを備えたオブジェ《ヘリオトロープ》(2023/24)が太陽光を反射し、展示室内に赤い光を差し込ませる。映像が映されていたスクリーンの裏側にも空間があったことに気付かされ、フィクションとリアルの反転にはっとさせられる。さらにピアノの美しい音色が室内に響き、音・光・映像・オブジェなどによる多層的な作品全体に身体ごと包まれる。テクノロジーを駆使して解放/制御される面、そして屋外の景色やここに集まった人々の存在によって生じる偶発的な面。それぞれが空間に統合され、唯一無二の瞬間を生み出す。
これまでもパレーノは、美術館や展示空間と対話を重ねるように、その場所ごとの展示を生み出してきた。ポーラ美術館もこれまでにない使われ方がされており、「壁が少なく、これほど空間を広く使った展覧会は当館で初めて」(鈴木)だという。
「展覧会や場に対する私の反応は、本展のタイトル "Places and Spaces"(日本語タイトルは『この場所、あの空』)に表れています。場所と建物に対してどう反応して、それを展覧会に反映させるか。アートはつねに交渉をしながら作られていくものです。私にとって作品自体を作ることは目的ではなく、それらをどのように配置して展覧会を構成するかに重きを置いています。今回も、この場所や建築を訪れたゲスト(客人)として、それらを読み込み、どう介入できるかを考えました」(パレーノ)。
また「新作」について、自身の考えをこのように語った。
「本展でもある意味すべてが新作と言えます。というのも、たとえば《マリリン》の映像自体は以前に撮ったものですが、今回の展示構成は初めてなので、新しい作品として見てもらえます。作品は楽譜の中の音符のようなもので、それを全体の中でどのように奏でるかによって曲ができる。展示する場所への応答によって、作品はその展示ごとに更新され、見え方も変わっていきます」(パレーノ)。
本展ではホタルをモチーフとしたドローイングやインスタレーションが展示される。ここ箱根でもホタルが見られるが、作家はイタリアの小説家・詩人ピエル・パオロ・パゾリーニ(1922〜75)が書き残した「蛍論」に言及する。パゾリーニは戦後イタリア社会に生じた消費主義という新しいファシズムの浸透と、それを甘受する権力の虚しさを「蛍の消滅」になぞらえて象徴的に語った。作家はこうしたホタルの象徴性やイメージに着想を得、様々なかたちで作品にしている。
「《ホタル》の作品はかなり前(注:1993年)に作ったことがあったが、当時からもの・オブジェとして作品を作ることに懐疑的でした。その時もポーラ美術館のように自然公園の中にあるスペースで行う展示だったので、夜になるとホタルのように点滅する光の作品を作りました。日中訪れた観客は、パリゾーニのテキストを受け取るだけでその光は見られないという作品です。『ヴィジュアル・アート』と言いますが、私にとってのアートはヴィジュアルだけではなく、呪文をかけられたような感覚を残し、オカルト的な効果を生むものです。形を持つことは、誰かがそこに注目をした、視線を注いだことの副産物として現れた結果です。ホタルは生殖のために光を発しており、それは短い時間ですが、その呼びかけに応じて目を向けることに私は惹かれました」(パレーノ)。
《ホタル》(2024)はポーラ美術館のエントランスにも設置されている。実際、日中は気づかないが、夕刻、美術館を後にする際に目をやると、小さな光が点滅しているのが見えた。
ほかにも様々な作品が。1997年の初制作時は労働運動のデモンストレーションとして作られたものの、現在はSNS文化を想起させるなど多様な解釈ができる《ふきだし(ブロンズ)》(2024)。マクロコスモスからミクロコスモスまでを想起させ、生命についての思考が促される壮大な映像作品《どの時も、2024》(2024)。機械や自然といったノンヒューマンな存在との有機的なつながりや応答をミステリアスかつダイナミックに提示する展示が展開される。
箱根の森のなかで、その瞬間にしかありえない景色と感覚を体感しに、本展を訪れてみてはいかがだろうか。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)