建築の展覧会をうまく見せるのは、とてもむずかしい。ともすれば図面や模型、あるいはドローイングや写真を並べただけの単調なつくりになってしまうからだ。そうした展示はたとえ建築の専門家には見ごたえのあるものであっても、素人には分かりづらい。そこで企画側は、建物の一部を原寸大で再現したり、映像を流したり、色々と工夫を凝らすわけだが、これはと思う独創的な見せ方には残念ながらこれまであまりお目にかかったことがない。
その点、現在東京・竹橋の東京国立近代美術館 ギャラリー4で開かれているこの企画は意欲的だ。これは日本の青木淳、スイスのペーター・メルクリという二人の建築家の創造のプロセスに焦点を当てた展覧会だが、過去の作品の模型や図面を漫然と並べただけの、単なる作品紹介のような展示では一切ない。むしろ特定のプロジェクトやテーマにのみ照明を当て、それが一つの作品として結実していく過程を丁寧に掘り下げていくのだ。
とくに青木についての展示は中味が濃く、素晴らしい。青木淳といえば銀座や六本木、表参道など、ルイ・ヴィトンのための一連の建築を手がけたことでよく知られている。しかし、ここで焦点を当てるのは《M》という一戸の住宅である。彼のセクションではこの小さな住宅が完成型に至るまでのプロセスを、時系列に並んだ約100点というおびただしい習作模型と建築家自身のコメントのみで再構築していく。
青木は当初、《M》の核として塔のようなものをつくろうと考えていた。このアイディアを反映して、展示台1には塔の造形を盛り込んだ模型が4、5点並べられている。しかし話はそううまくはいかない。模型脇のコメントにはこうある。「まわりの家は、それでも高いことを嫌うかもしれない。クライアントがそれを心配する。よって、廃案」。
そこで鑑賞者は二番目の展示台に移る。「では、他にどんな可能性があるのか。試行錯誤」。そしてそこに並ぶ模型も、このことばに対応するかのような豊かなバリエーションを見せる。新しいさまざまな可能性を模索する、かたち、かたち、かたち――。
このような調子で、私たちは展示を追いながら青木の思考の軌跡をたどり、追体験していく。建物の中心部をえぐり取って中庭をつくる案、カメラのような造形にする案、隣家の木に合わせて外壁をくぼませる案。さまざまな発想が現れては消え、消えては現れる。その思考のプロセスは、「AだからB、BだからC」と必ずしもすべてが理詰めで発展していくわけではなく、その合間には青木ならではのポエティックな直感が差し挟まれている。クライアントの要請や採光上の問題などの論理と、かたちに対する建築家の詩的な想像力。ここではそれらが相互に補い合い、《M》という物語を牽引していくのである。青木は創造の過程で、まるで物語を展開するように建築のかたちをつむぎだしていく。稀代のストーリーテラー青木の思考をたどるうちに、私たちはあたかも良質な中編小説を読んでいるような気分にさせられるだろう。
最終段階の模型に付されたコメントは、こう結ばれている。「中庭がなくなると、建物はコンパクトになる。……ようやくこの住宅が進む道が見つかった感じがする」。さまざまな紆余曲折を経た末に、ここに至って《M》というストーリーはようやくそのエンディングを迎える。鑑賞者は、見る者をわくわくさせるスリリングな展開と、さわやかな「読後感」を存分に味わうことができるはずだ。
建築模型を並べた青木に対して、メルクリの展示を構成するのは壁面をびっしりとうずめる約300点のドローイングである。彼の代表作には《ノバルティス・キャンパス・ビジターセンター》などがあるが、ここで展示されているドローイングは特定のプロジェクトとは関係なしに描かれたものである。一見子供のお絵かき風にも見えるが、どれも色とりどりで味わい深く、一枚一枚が作品として自立している。会場をパッチワークのように彩るそれは、建築という「硬い」ものの習作というよりも、手工芸品の素案のようなやわらかさと魅力を放つ。
ただ、青木の展示と比較すると見せ方がやや弱く、全体的に単調な流れになってしまった感も否めない。ドローイングのかたわらには学芸員の解説が付されるが、そこにはメルクリ自身のコメントが一切登場してこない。そのため、作者が何を考え、それにどう対応したのかという創造のプロセスが見えにくくなってしまっているのだ。一連のドローイングとは無関係の建築模型がなぜか数点申し訳のように展示されていたことも、展覧会タイトルにある「建築がうまれるとき」というテーマをぼかしてしまっているように感じた。
とはいえ、メルクリのドローイングはそれ自体で充分魅力的だし、一方の青木の展示はそうしたちょっとした欠点を補って余りある素晴らしいものだ。あれもこれもとできるだけ多くのものを詰め込んだ展覧会は、しばしば見ている側に散漫な印象を与えてしまう。言ってみれば、ある種の展示では何を見せるかという関心よりも、何を見せないかという自己抑制が重要になってくるのかもしれない。かたや模型、かたやドローイングと展示品の種類を絞り、自己抑制の立場を徹底させた本展を私は高く買う。小規模で地味だが、ぜひ一度足を運んでもらいたいお勧めの展覧会である。