国立西洋美術館で3月12日に開幕した企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? —— 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」の内覧会が11日に開かれ、そこで参加アーティストを含む有志が抗議活動を行った。こうした動きを受け、海外の美術館における抗議活動の事例や、パフォーマンスとアクティヴィズムの関わりの歴史を解説する、国際政治学者の五野井郁夫による緊急寄稿を掲載。【Tokyo Art Beat】
*抗議活動の様子を報じたニュースはこちら
国立西洋美術館の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」の内覧会にて、飯山由貴や遠藤麻衣、百瀬文ら展覧会参加作家と有志による抗議が行われた。飯山由貴はイスラエルのパレスチナ侵攻と、国立西洋美術館のスポンサーである川崎重工業株式会社への抗議を行った。
もともと松方コレクション(*)に端を発する国立西洋美術館とオフィシャル・パートナー契約を結んでいる川崎重工はイスラエルがパレスチナで人殺しに使っているIAI(Israel Aerospace Industories)の攻撃型ドローンの日本における輸入代理店であり、現在、防衛省は同社を介して100億円ほどの税金でイスラエル製の同ドローンの導入を進めている。一般的に美術界においては100年前のマリネッティやルッソロのような未来派か、あるいは形振り構わずファンディングが欲しい美術系起業家でもない限り、兵器産業を積極的に賛美することはないだろう。
*──川崎重工の前身である川崎造船所の初代社長、松方幸次郎が収集した美術品のコレクション。
様々な場所や機会でジェノサイドに抗議することは表現の自由が保障されている民主主義の社会においては許容される行為だ。今回飯山や遠藤、百瀬らが行ったように内覧会というメディアが集まっている場をとらえて抗議行動を行うのはとても効果的だろう。
しかし、今回の行動に対して、一般はもとより美術関係者からも懐疑的な声が上がっている。美術館のスポンサーに口出しをすることが驚きだとか、「抗議は作家を降りて行うべき」という意見も上がった。わたしはそういう声のほうに驚いている。
というのも、アーティストが美術館とそのスポンサーに対して声を上げたりパートナーシップの解消を求めるのは何も珍しいことではないからだ。近年では2019年に「BPポートレート・アワード」でイギリスの石油大手企業BPとパートナーシップを結んでいるロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに対して、レイチェル・ホワイトリードやアニッシュ・カプーア、マーク・ウォリンジャー、サラ・ルーカス、コーネリア・パーカー、アントニー・ゴームリーらアーティストが気候変動と地球温暖化への対応から関係解消を求めて大規模な抗議活動を行い、ゲイリー・ヒュームや同アワード受賞者がオープンレターを公開した。
また2018年にはナン・ゴールディンが自身も経験したオピオイド中毒の健康被害を訴えるため、オピオイドを普及させるのに一躍買ったサックラー一族の名を冠する回廊があるゴールディンの作品も収蔵されているメトロポリタン美術館をはじめ、多くの場所で抗議行動を行っている。
現代美術史を遡れば、マーク・ウォリンジャーの代表作《ステート・ブリテン》(2006)は、抗議そのものが作品になっていた。同作品は、国立美術館のテート・ブリテンの持ち主であるイギリス政府が国会議事堂前広場から半径1km以内での直接抗議を禁じたSOCPA法(重大組織犯罪及び警察法)を逆手にとって、同じく半径1キロ以内にあるテート内でサイトスペシフィックアートの「展示」として行われたものだ。この作品で2007年にウォリンジャーはターナー賞を受賞したのだった。
こうした事例からもアーティストは「スポンサーに口出しをするな」の裏返しとも取れる、「抗議するなら展示を降りてからやれ」が的外れな批判だとわかるだろう。ナショナル・ポートレート・ギャラリーのBPに対するアクションやゴールディンの抗議事例からもわかるように、展示への参加の有無に関係なくアーティストは抗議する権利があるし、ウォリンジャーのように展示そのものを抗議の場とすることもできるのだ。したがって今回の飯山らの事例も、人として虐殺に反対する必要はあるだろうが、展示作家を降りる必要などまったくない。
これら抗議行動とアートにおけるパフォーマンスの関係について、改めてここで振り返りたい。以前「アートコレクターズ」の2021年7月号でトモトシの展覧会評の際に論じた、アメリカのコンセプチュアル・アーティスト、エイドリアン・パイパーの議論を見ていこう。
第二次世界大戦後、フルクサスら前衛芸術運動のなかにパフォーマンスと抗議運動の関わりが見られたが、まだ緩慢だったそれらの緊張関係は、パイパーの代表作《カタリシス Ⅲ》(1970)と後のパイパーの論文「外国人嫌悪と指標的な存在」(1992)で理論化されたといえる。
パイパーは、ニューヨークでデモを行っていたホームレスが掲げていた「これはパフォーマンスじゃない」というプラカードに衝撃を受けたという。というのも現状の政治課題に対する表現は、芸術家によるインスタレーション等のパフォーマンスの一環として認識されてしまったその瞬間に、その場で必死で訴えていたあらゆる生のリアリティは剥奪されてしまい、「アート表現」として深く考えたり解決したりする必要のない、無害な芸術表象へと解消されてしまう恐れがあるからだ。どんなにシリアスな表現でも、ホワイトキューブのなかで挙行されるキュレーション後の「アート表現」(詳しくはグロイス『アートパワー』の「キュレーターシップについて」を参照)の多くは、たとえ「批評性が高い」と評されたり、観客がその日1日モヤモヤと考えたりする契機となれど、現代では致死量の「毒」を含まない無害化されたものとして、安心して「体験」できるものに止まっている。
その意味では今回の飯山をはじめとするアーティスト有志らの抗議は、あのようである必要があったのだろう。それは、芸術家が芸術として行う、安心して観ることのできる「パフォーマンス」ではなく、人として行ったアクティヴィズムであった。人を安心させるのではなく時として不安にさせ、確実性ではなく一触即発の不確実性を孕んでおり、既存の一般的なキュレーションを越えてコントロールできない、その場にいる人々の居心地を悪くさせる何かである。そこに洗練さや巧さは必ずしも必要とされない。
安穏な日常の継続を妨げる不意に差し込まれた違和感を、ウィトゲンシュタインは「ザラザラした大地」(『哲学探究』)と呼んだが、飯山らの抗議によってアートの空間に差し込まれたこうした不穏な違和感を目の当たりにして、さっそくSNS上でもネガティヴなリアクションが散見される。アクティヴィズムとは応援されている側の人を勇気づけもするが、他方でかつての村上春樹の小説の主人公のように行動しない人々を居心地を悪くさせ、疚しさや後ろめたさを感じさせるものだ。
今後の仕事の依頼への影響をはじめ、自身の作家活動が不利になる可能性を覚悟したうえで、包み隠さず真実を表明することたる「パレーシア」(フーコー)として果敢に行われたのが、今回のアクティヴィズムだ。わたしには飯山らのアクションは世界的にも標準的な抗議に見えるが、批判者には「政治の芸術」に見えているとすれば、それはいいことなのかもしれない。今回飯山や遠藤、百瀬らの行った行動と表現は、「政治だから」と受け取るのを拒否したり「作品だから」と安心して思考停止してしまうのを免れる何かになったのではないだろうか。いずれにせよ、国立西洋美術館での企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」に足を運ぶのがますます楽しみになったことは言うまでもない。