解体ピンチにあった明治期の洋館がマンガ家の山下和美さんらの尽力で保存され、日本のマンガの魅力を発信する「旧尾崎テオドラ邸」(東京都世田谷区豪徳寺)として3月1日にオープンする。マンガの原画などを展示するギャラリーや喫茶室を備えた館内のプレス向け発表会が2月8日に行われ、保存に協力した高橋留美子さんらマンガ家有志が集結。同館への期待や思いを語った。
小田急線・豪徳寺駅近くの閑静な住宅街に立つ旧尾崎テオドラ邸は、木造2階建ての英国ふう洋館。1888(明治21)年、英国人の母を持つ尾崎テオドラのため父の尾崎三良男爵が建てたと伝わる。翻訳家のテオドラは、衆院選に連続25回当選し「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の再婚相手になった。洋館は当初港区にあったが、譲り受けた英文学者が1933(昭和8)年に現在の場所に移築したとされる。
2019年に同館の解体計画が判明したのを機に、『天才柳沢教授の生活』『ランド』のヒット作で知られる山下さんが中心となり、地元住民も巻き込んだ旧尾崎邸保存プロジェクトがスタート。インターネット上で行った保存を要望する署名活動が反響を呼び、所有者との買取り交渉に乗り出した。資金集めは一時暗礁に乗り上げたが、人気マンガ『静かなるドン』で知られる新田たつおさんと妻でマンガ家の笹生那実さんの協力を得て、購入にこぎつけた。
発表会に登場した山下さんは、「洋館の可愛くて品があるたたずまいが好きで散歩のたびに眺めていた。解体されると知り、いてもたってもいられなくなった」と当時を振り返った。洋館購入に、笹生さんともども「全財産をはたいた」という山下さん。「館をいちばん良いかたちで残す方法を考えた結果、マンガ家が、マンガ家の力で、マンガ家のための事業を行うのが良いのではという話に落ち着いた。長い歴史を持つ館を私たちマンガ家が引き継ぎ、地域に愛されるスポットにしたい」と語った。
買い取った洋館は老朽化が進み、耐震補強を含め約1億円の改修工事費が必要だった。資金集めのため2度のクラウドファンディングを行い、計3000万円超を調達。残額は、『うる星やつら』で知られる高橋留美子さん、『ドラゴン桜』の三田紀房さん、『賭博黙示録カイジ』の福本伸行さん、『土竜の唄』の高橋のぼるさんが無利子融資した。
改修を手がけたのは、数寄屋や寺社建築をおもに手掛ける建築家の田野倉徹也さん。山下さんのエッセイマンガ『世田谷イチ古い洋館の家主になる』に別名で登場する田野倉さんは、活動初期から建物調査などで全面協力してきた。「素材は極力もとと同じものを使い、完成当時の姿に近づける改修を心がけた」と話す。今後、館の運営が軌道に乗った段階で登録文化財の申請を行うという。
様々な人の思いが詰まった旧尾崎テオドラ邸は、山下さんと笹生さんが代表理事を務める一般社団法人・旧尾崎邸保存プロジェクトが運営。1階は専属パティシエによるケーキや紅茶を提供する喫茶室、来館者が撮影を楽しめるフォトスタジオ、コーヒーカップなどオリジナルグッズを販売するショップ、2階はマンガを中心とする原画展示を行うギャラリーが入る。ギャラリーでは杮落としとして、3月1日からマンガ家やイラストレーターら38人が描き下ろした色紙や原画約70点をオークション販売するチャリティ作品展を開催し、売上全額は館の改修保全費に充てる(作品展は12日まで)。入館は事前予約制で、チケットは公式HPで購入できる。
旧尾崎テオドラ邸宅は関連事業として、3月1日にマンガの原画などを販売するECサイトも開設。大御所作家が相続税対象となる原画の廃棄処分を余儀なくされている現状を受け始めるもので、海外へ向けたマンガ文化の発信も目的だ。社団法人の理事を務める三田さんは「日本のマンガ家は最高峰の技術を持っている。もっと海外に実物を届けられるように環境を整備したい」と語った。
発表会には旧尾崎テオドラ邸を応援するマンガ界のレジェンドたちも駆け付けた。ちばてつやさんは「マンガ家は大ヒットを出しているときはいいが、普段はカツカツで生きている。そんなマンガ家たちがお金を出し合い、日本のマンガを発信するプロジェクトを立ち上げた。大賛成で喜んでいるが、よく考えると本来は国がやるべきことではないかと思う」。永井豪さんは「歴史が浅いマンガを描いていると下に見られた時代もあったが、ようやく文化と呼ばれるものになってきたと思う。ますますアピールしてほしい」とエールを送った。
東京の歴史的建造物が消えていくなか、民間の力による建築保存・再生を成し遂げた旧尾崎テオドラ邸。山下さんは「同じビジョンを共有できる仲間を見つけるまでが大変だった」と語る。建築を次世代につなぎ、マンガ文化にも寄与する稀有な試みに注目したい。