大阪を代表する繁華街・梅田から東へ10分ほど歩くと、中崎町と呼ばれるエリアにたどり着く。木造長屋に細い路地。高層ビルの谷間にぽっかりと、もう随分前に時の流れから取り残されたような町が広がる。ゆるい空気に誘われて辺りを廻れば、長屋をリノベーションしたカフェやギャラリー、雑貨店などを発見する事が出来る。なるほど、オンボロ長屋もよく見れば、いい感じのカフェなのだ。聞けば、長屋を店舗に使うオーナーが数年前から増え始め、隠れ家的な町の雰囲気が人気となり、じわじわとこの町に人が集うようになったという。
東京近郊で暮らしている私にとって、正直、中崎町なんて聞いたこともない町だった。ところがある時、「ショップやモノ作りの現場を取材しながら『大阪らしいクリエイティブ』の謎に迫るレポートツアー!」と書かれたツアーの募集チラシをたまたま見つけてしまった私は、中崎町が非常に気になってしまったのだ。独自のセンスで古い空間がリノベーションされ、クリエイティブが散りばめられたこの町で、いったいどんな「大阪らしさ」が発見できるのだろう? 私も一緒に歩きながら考えてみたくなった。
Osaka field trip tours
ツアーの名は「osaka field trip tours」。大阪で生活するクリエイターの視点で捉えた「大阪の魅力」を紹介する『osaka filed trip』という冊子をベースに、大阪のクリエイティブ集団 graf が企画した4回シリーズのまち歩きだ。
ツアー参加者たちは多彩なナビゲーター達とともに「osaka filed trip(=現地調査)」を追体験しながら、大阪の新たな魅力を探る。私が同行したのは「osaka field trip」のライターと共に中崎町にあるショップやモノづくりの現場を取材し、取材後はgrafでレポート内容を編集して、かわら版を作るという、1日がかりのツアー。
ナビゲーターをつとめる編集者・山村光春さんは「大阪らしいもの作りとはなにか。中崎町にあるいろんな現場を通して検証し、外の人に伝えることが今回の目的です。また、クリエイターがどのように普段モノを見ているかを体験してもらいたい」と、ツアーの目的を話す。
取材のポイントや「伝える」とはどういうことか、主観と客観のバランスなど、私も思わずメモを取りたくなるような、簡単だけれども重要なレクチャーを受けて、いよいよfield tripの開始!
最初の目的地は地下鉄中崎町駅から徒歩3分、グリーンシティというアパートを改装した建物のいちばん奥に店を構える注染(ちゅうせん)手ぬぐいブランドのアンテナショップ「にじゆら」だ。
注染とは20〜30枚を一度に染められる手染めの技法で布は表と裏がなく、両面染まるのが特徴の、明治時代に生まれて今なお続く、大阪の伝統工芸。ところが、注染が大阪の伝統工芸であることを、現在では地元の人でさえも知る人がほとんどいないという。堺市にある国内でも屈指の規模を誇る注染工場「ナカニ」代表の中尾雄二さんはそんな状況に危機感を持ち、注染のよさと技法を次の世代にも残していきたい、という熱い思いで工場直営の手ぬぐいブランドを立ち上げた。伝統技法を守りながらも、今の時代にそぐう柄の手ぬぐいを目指したにじゆらの手ぬぐいは、関美穂子など人気の作家とコラボしたデザインも多く、ポップな柄で色鮮やかなものばかり。また、「にじゆら」の名のとおり、注染の特徴である「にじみ」や「ゆらぎ」が美しく、使えば使うほど風合いが楽しめる。
「にじゆらを始めたのは、注染自体、そして注染職人を守るためです」と中尾さんは言う。「お客様は注染を知らない人ばかりだから、まずは注染を多くの人に知ってもらいたい。いつでも出向いてお客様との対話が出来るように、直営店はここ(中崎町)と、京都の東山と三条と、いずれも自分の目の届くところにしか置いていません」。
この中崎町本店のアンテナショップは2009年4月にオープン。ショップの横にはギャラリーがあり、オープン1周年時にはワークショップを開催するなど、注染の魅力を伝えるプレゼンルームになっている。購入者を対象とした工場見学も実施するなど、今後も、注染技法を多くの人に広めていきたい、と意欲的に語ってくれた。
■SHOP DATA
にじゆら 中崎町本店
大阪市北区中崎西4-1-7 グリーンシティ1階
TEL 06-7492-1436
12:00~19:00 不定休
続いて2件目は、中崎町にある印刷所の見学へ。
レトロ印刷JAM はデジタル孔版印刷機を用いた多色刷りで生じる微妙なズレや、インクが落ちやすいことから生じるムラやカスレを「レトロ印刷」として売り出したことで評判となり、知名度も人気も全国規模を誇る印刷所だ。
JAMが中崎町にやってきたのは2年前。「レトロ印刷」をはじめてからもまだ4年。以前は町の印刷所として不動産やスーパーのチラシに見られるような単色のリソグラフ印刷が専門だった。ところが、あるデザイナーとの出会いを機に、そのスタイルを変えていく。展覧会のチラシを制作する際に「2色刷りにしてほしい」との依頼が入った。印刷の特質上、インクの色が落ちやすいため、多色刷りをすると色移りしやすく、紙がインクで汚れてしまうことが多いのだが、それを承知してもらった上で、注文を引き受けた。当時は4色しか扱っていなかったインクも、このデザイナーのリクエストでどんどん増やし、今では20色ほどを扱っている。この事がきっかけでアート系の印刷物の注文も増え、多色刷りを希望する人が多くなっていった。
代表の小林さんは、「当時は1色ずつしか刷れなかったので、多色刷りは倍以上の時間をかける手間のかかる作業で本当はすごく嫌でした」と振り返る。ところが、新機種の導入や、印刷不況等さまざまな要因が重なり、思い切って営業スタイルを「レトロ印刷」へと変えた。そして、印刷の欠点のはずの「ずれます、かすれます、手に付きます」をコンセプトに売り出したところ、全国から注文が相次ぐ人気の印刷所になったのだ。
ショールームを抜けると印刷現場だ。小さな空間に印刷機が数台、それに印刷用紙の束が所狭しに置かれている。話を聞いて驚いたのは、デジタル入稿がメインの印刷所でありながら、その制作工程は実にアナログだということ。データ確認から印刷、裁断に至るまで全ての工程に人の手がかかっているのだ。インクが落ちやすいため、印刷機にかけたら、付きっきりで色移りを防ぐ紙を一枚ずつ印刷物に挟んでいく。裁断の際は、版がずれてしまっているので、1枚ずつスタッフの細かいチェックが必要になる。
「大変そうに見えるけれど、おもしろい作品がどんどん入ってくるんで楽しいですよ」と小林さん。印刷所の一角には様々なチラシが貼られていた。刷ったもので素晴らしいなと思うものは、スタッフがどんどん壁に貼っていくそう。「もう随分レトロ印刷で刷ってますけど、未だに私たちの想像を超える仕上がりに出会えるのが、レトロ印刷の楽しさですね」。
■SHOP DATA
レトロ印刷JAM
大阪市北区本庄西1-6-14 第一明和ビル1F
TEL 06-6485-2602
10:00~21:00(平日)/10:00~19:00(土・日・祝)
ツアー最後の取材先はデザイン事務所SKKYが経営するカフェギャラリー兼ブックショップ「iTohen(イトヘン)」。中崎町駅から北に歩いて10分。(このあたりは、なんとなく東京・馬喰町界隈の雰囲気に似ている気がする。)観葉植物で彩られ、自然光が入りこむ店内にはアート、写真、デザイン、建築から絵本など幅広いセレクトの本が並ぶ。その横にはカフェスペース、奥にはギャラリースペースがあり、2週間ごとに地元在住のアーティストの展示が開催されている。
iTohenではカフェの飲食代の5%を展示中の作家に還元したり、展示する作家のDMやチラシづくりをSKKYで行うなど、作家へのサポートも積極的に行っている。DMがきっかけだったり、展覧会を訪れたことがきっかけで、SKKYへの仕事が発生する場合も多いという。角谷さんによると「iTohenは中崎町の町内会長のような存在を目指してます。地域に根付いた活動を行って行きたいです」とのこと。この日も、角谷さんがDM等を手掛けたという、iTohenの向かいに新しく出来たイタリアンレストラン「PIZZERIA Scugnizzo DA SHIGEO」まで私たちを引き連れ、オーナーに替わって、いろいろ案内をしてくれた。
■SHOP DATA
iTohen Books Gallery Coffee
大阪市北区本庄西2丁目14-18 富士ビル1F
Tel 06-6292-2812
12:00~19:00 月・火曜 定休
山村さんによると中崎町の特徴は、例えば、新しくお店を出す人がDMを作る際にはiTohenに相談や依頼をしたり、iTohenはというと、印刷の相談をJAMにしたりするように、お店同士の仲が非常に良いという。元から住んでいる住民たちの理解をはじめ、新しく町にやってきた人たちを受け入れる土壌も中崎町にはある。だからこそ、町に溶け込む隠れ家のようなお店が多く存在することができるのだ。
さて、取材を終えたら中之島にあるgrafへ移動し、いよいよかわら版づくりだ。山村さんの進行で、編集会議が進められていく。
「注染技法は重ねて染めることによって、低価格・大量生産が可能になった伝統技法である。京都や他の地域にはない合理性がある。」「工場長自体が大阪らしい。」「合理性ゆえに大衆化し、大阪の伝統工芸がない、という問題もある。」それぞれの視点で、それぞれが感じた『大阪らしさ』について話し合う。ある程度の意見が出たら、次はグループに分かれ、実際に記事や画像の作成。
予定終了時間を2時間もオーバーし、かわら版が出来上がったのは午後8時。ツアー開始から、なんと9時間を経過していた。
今回のまち歩きの企画を担当したgrafの小坂逸雄さんは、「クリエイターが大阪の町をどう見ているのか、osaka field tripという本がどのように作られたか、という作業を追体験してもらいたかった。本を作るときの大変さや何かが生まれる楽しさを知ってもらいたかった。まさか1日で、とは思ったが、一気にやってしまったほうが、かわら版にライブ感が出る気がしたので、成り行きまかせにしようと山村さんに委ねました。」と振り返る。(とはいえ、当日の進行をきめ細やかなサポートで陰ながら支えていたのは小坂さんだ。)
「プロセスが大事、大阪らしさを体験できたのでは」と山村さんは続ける。
長時間の作業を終えた参加者に話を聞いてみると、「はじめは大阪の職人に会えるのが楽みでこの企画に参加しました。ところが、編集会議をするうちに、だんだんと他の参加者の考え方に興味を持つようになったんです。人がどう感じているのか、それに対して自分はどう思うのかなど。みんなで何かひとつのものをつくることの楽しさを初めて知ることが出来ました。その日のうちに、こうやってアウトプットすることで、ナマの感情を出せたのではないかと思います」。
「チャレンジ精神」「柔軟性」「庶民性」「独自性」…完成したかわら版を覗くと彼らが感じた大阪らしさが書かれていた。一方、私が感じた大阪らしさとは「ボケとツッコミ」である。編集会議をしばらく見ていて「あぁやっぱり!」と実感したのは、誰かが何かボケの要素が入った発言をすれば、間髪いれずに必ず誰かがツッコミを入れて、それを受けとめるのだ。会議が行き詰まりそうになっても誰かがボケれば、それに対して四方からのツッコミが入り、自然と議論が進んでいく。きっとモノづくりの現場でも行き詰まったとき、誰かが言った一言がきっかけで物ごとが進んでいるに違いない。にじゆらであれば注染を知らない人たちや職人たちの会話、JAMであれば、インクで汚れるのを承知で多色刷りを希望したデザイナー、iTohenではお店にやってくる人たちとの対話。「ボケとツッコミ」をすると相手との距離がぐんと縮まる。そして、この「ツッコミ」はある程度の反射神経が必要だ。「大阪人のDNAとして受け継がれる『ボケとツッコミ』(小坂さん談)」で鍛えられた反射神経の良さを、にじゆらにも、JAMにもiTohenにも感じることが出来た。
『osaka field trip』は大阪の魅力を再発見し、「かっこいい大阪、世界のどこにもない大阪のおもしろさ」を発信していくために大阪市や地元の出版社、大阪大学など官民学が連携したプロジェクトの一環で制作されたプログラムである。ほかに都築響一やcontact gonzoなど大阪にゆかりのある人々へのインタビューを通じて、大阪の魅力を紹介する「インタビューズ」、そして来春には森村泰昌、束芋など大阪に縁のあるアーティストの観点で、大阪の旅を提案するアートブック、『アートツーリズム・ブック「大阪観考-美術家編」(仮題)』が発行される予定だ。ユニークな視点で大阪の魅力を紹介したこれらの本は一見の価値あり。首都圏近郊では配布場所が少ないのが難点だが、見かけたら是非ご一読を。