公開日:2011年6月22日

Project Bashoフォトコンペ受賞作品展「ONWARD’11」審査員賞受賞者 メアリー・ベス・ミーハン氏インタビュー

写真を通じ、コミュニティの多面性を描く

左から、Project Basho ディレクター伊藤剛氏、審査員賞受賞作家メアリー・ベス・ミーハン氏、リコーフォトギャラリーRING CUBE 運営リーダー橋本正則氏

「ONWARD」のコンペは、まず最初に提出してもらった写真を見て、10人くらいに絞りこまれます。その人たちにはもう一度作品を再提出してもらうんですよ。今度は20枚くらい。3枚程度だとたまにラッキーで決まるときもある。3、4枚では全体像がわからない場合があるから様子見ですね。

そう話すのは、新しい写真家の作品を紹介する目的で例年秋に行われるフォトコンペ「ONWARD」を企画運営するディレクター伊藤剛氏だ。伊藤氏は2002年からアメリカ・フィラデルフィアを拠点に写真センター「Project Basho」を運営。2007年からは、新進写真作家の発掘を目的にフォトコンペを開催している。英語以外に日本語、スペイン語での情報発信も行われ、アメリカ国外からの参加も着実に増え、応募総数は約2,300点。今回の審査員には、写真家のラリー・フィンク(Larry Fink)氏*を迎えた。フィンク氏がセレクションした入賞作品は70点。ポートレイトからランドスケープ、CGを駆使したコラージュ作品まで幅広く、見応えある入賞作品展が、アメリカでの展示を終えてリコーフォトギャラリーRING CUBEにて開催された。コンペは学生から写真を指導する教授まで、さまざまなキャリアをもった作家たちに開かれていて、ハイレベルなフォトコンペへと成長している。今回アメリカを拠点に開催するコンペの入賞作品展が、日本で実現したのは、これだけ幅広い価値観やテーマをもった作家が国外にいることを知ってほしいという日本の写真界の活性化を願うギャラリーの思いがある。

今回はアメリカよりメアリー・ベス・ミーハン(Mary Beth Meehan)氏が来日した。メアリー・ベス氏は、コミュニティが抱える移民や文化的な問題、時代の変化やそれを取りまく周囲の感情の表現をテーマに作品を制作している。彼女の目標は、撮影を通して、人々をつなぎ、また、経済的、政治的、人種的な問題への共感を呼び起こすことだ。

彼女に審査員賞受賞者の一人としてお話を伺った。

《Ashleigh’s Bouquet》
《Ashleigh’s Bouquet》
ONWARD’11 審査員賞受賞作品

──この度は、受賞おめでとうございます。今回コンペに応募したきっかけはなんでしょうか?

コンペがあることは知っていました。私は、どのように自分の作品を世の中に出していくのか、いつも新たな方法を考えています。コンペに参加するのは、その方法のひとつです。それと、私は写真を始めたときに審査員であるラリー・フィンクの写真に影響をうけています。彼に私の作品を見せて、どういったフィードバックを得られるか興味があったからです。

──すると、今回の受賞は本当によろこばしいことですね。

とてもとてもうれしいです。彼のことを尊敬しているので本当にうれしかったです。
私の制作活動において、彼の作品はとても重要な意味があったと思います。

──フィンク氏のどういったところに影響をうけたのでしょうか?

ひとつは(被写体との)距離感ですね。自然にその人たちの空間にうまく入っていけるかどうか。そういったところや、彼のライトやフラッシュの使い方はとてもおもしろい。それでいて構図がガチガチしていないんです。自然に刻々と変わっていくような場所であっても、視覚的に訴えるようなきれいな構図をつくってる。その瞬間にいながら、なおかつ写真のことを客観的に引いてみているところに影響を受けました。

──あなたが制作活動をはじめたきっかけは?

私はもともと写真が好きだったこともあるのですが、人を撮るということや、なかでも感情に訴える写真に興味をもちました。(カメラをもつことで)被写体の人物のことをもっと知ることができる。そのプロセスに興味をもちました。撮影のときは被写体の感情などをみます。それをみながら私が受けた感情と、ふたつを混ぜるということはとても難しいことだけど、そこにおもしろさを感じています。


──入賞作品《Ashleigh’s Bouquet》について、フィンク氏からの講評は?

正確には覚えてないのですが、被写体である女の子に親近感がもてると。その女の子はまったくの他人かもしれないけれど、友だちのような感じで見ることができるのがよいと聞きました。

──この作品は長年取り組んでいるプロジェクト「City of Champion」からの一枚なんですね。
ひとつの街で継続的に行っているプロジェクトと聞きましたが……

このプロジェクトは、マサチューセッツ州にあるブロックトンという街で撮影をしています。以前は靴をつくる大きな工場があったのですが今はなくなり、経済的にダメージを受けていて、裕福な街とはいえません。
私はもともとこの街で生まれました。いまは住んではいませんがまだ家族は残って住んでいます。私が大きくなるまでに、人々の失業率は高くなり、街はだんだんと荒れていきました。これは、とても長いプロジェクトで、たくさんの写真をこの街で撮影しています。

──被写体は街の中でどのように見つけているのでしょうか?

プロジェクトに対して、こうだという考えを特に持たないように気をつけ、状況に応じてオープンに考えています。長年、このプロジェクトに携わっているのでどこへ行くと、何が起きるか勘が働く。例えば、この写真を撮影した日は、旦那が実家に泊まりにくるというので、私は駅まで車に迎えにいくのに急いでました。すると、風が強い日でしたが、二人の女の子が通りを歩いていて。(空き屋がある殺伐とした街で)危ないエリアなんですが、楽しそうに花を風に揺らしながらもって歩く様子をみて、彼女たちに新しい人生があるような印象を受けました。そこで私は車を急に止めて、話しかけたんです。彼女の背景に写りこんでいる家は、空き屋になっていて、ドアが塞がれて中には入れない状態になっています。市役所の前に咲いていた花を摘みとって胸の前でもっている姿は、街は荒れているのに、その中でいても笑顔で輝いている様子が印象的で、女の子と街の景色の対比に惹かれました。

《Holiday Parade》
《Holiday Parade》

──街の人にはどのように声をかけるのですか? 人々はどのような反応を見せるのでしょうか?

自分は写真家であり、どういうことをやっているのかプロジェクトについて話し、撮影を行います。大抵は普通に応じてくれますね。あとは、長年の経験で、どのように話をすればよいか意識して話すので、みんな比較的に撮影を受け入れてくれます。

──プロジェクトをはじめた背景は?

自分が生まれ育ったところですから、この街のことがとても好きです。けれど、産業が変わっていく時代の流れのなかで、ドラマティックに変化しました。経済的な衰退もあるし、街の住人の人種も変わっていきました。それにとにかく興味がありました。(私はもともと報道写真を撮影していましたが)経済的な衰退によって街そのものが悪くなっていくと、ニュースは犯罪であったり悪い側面ばかり焦点をあてる。それによって、いい側面もあるのに、前に出てこなくなってしまう。

例えば、他の国から別の人種の人たちが移民としてやってきて、アメリカに来て新しい第一歩を頑張っていたり、悪い環境にいながらも生活をしている人がいる。プロジェクトが彼らに焦点をあてることで、”場所”というのを、ニュースが見せる悪い場所ではなくて、いろいろな人が原動力になって、この街は一方的な解釈だけにとどまらないということを考えています。

《Irish Politicians》
《Irish Politicians》

──いままでのプロジェクトではどのような発見がありましたか?

多様性がおもしろいですね。 (今この街に増えている)新しい移民の人たちの写真も撮っています。
私たちのひいおじいさんたちの世代は、アイルランドからの移民です。当時、マサチューセッツのこの街には工場が建ち並び、そこで働くための安い労働者が必要でした。この街は今、西アフリカからの移民や、言葉も文化もわからない人たちが一緒に住んでいる状況です。街の外れにある彼らの家を訪れると、私が生まれ育ったエリアと対比する過程において、そこには現実では理解することができない多様性があります。複雑でありながらも興味深いものです。複雑な思いというのは、新しい移民たちが入ってくることは、今住んでいる人たちにとっては、いい思いではないわけです。けれど、その人たちももともとは移民だったわけだから昔は新しい人だった、ということです。
(昔の移民たちは労働先として大きな工場があったけれど)いま経済は栄えていないから、新しい移民たちは厳しい環境にあるといえます。昔から住んでいる人たちからの迫害やいろいろな目があるから、私はこの街が好きだけれど、このような現実には複雑な思いをいだきます。

──コンペを主催する「Project Basho」の活動も興味深く思います。プロジェクトの名前には、伊藤氏が写真に興味のある人たちが集まることを目的とした『場所』になるようにと思いがこめられているそうですが、アメリカの写真家たちは、どのように交流しているのでしょうか?

大きな都市ごとに、Project Bashoのような写真センターや団体があります。多くはノンプロフィットで運営されていて、そういった団体にコンタクトを取ったり、あとは学校ですね。作品をつくることは孤独な作業だから、多くの作家が似たような作風、感覚をもった人に繋がることにうえている。ワークショップに参加しては、作品を交換したりしています。

《Fourth of July》
《Fourth of July》

──最後に今後の活動について聞かせてください。

このプロジェクトは、撮影はひと通り終えたのですが、写真をパブリックアートとして街なかのビルに貼って、問題提起をしようと取り組んでいます。いまそのために資金集めと市との交渉を行っています。

それと、移民の人たちに焦点をおいたプロジェクトを行っています。彼らの写真を撮っていると中には不法滞在している人もいます。政治上では反対する人と肯定する人といますが、彼らは法的に弱い立場でいて、見えない透明な存在ですが、本当はとても大きな存在です。彼らの顔を写すことはできないから、住んでいる部屋や家などの環境を撮影し、どういう存在なのか透明な存在ではなく人間性や生活感をだそうとしています。ドキュメントのプロジェクトは、まだ何枚か撮りたい写真がありますが、9月にロードアイランド州にある大学での展示が決まっています。そのあとまだプロジェクトを続けるかもしれないし、今後の展開についてはまだこれから考えていきます。

このプロジェクトは一枚の写真ではどのようなものかわからないので、プロジェクトの全体をウェブサイトで見てください。
http://www.marybethmeehan.com/

──ありがとうございました。今後の展開を楽しみにしています。

展示風景
展示風景

・ONWARD ウェブサイト
http://onward.projectbasho.org
・ONWARD ’11 入賞作品オンラインギャラリー
http://onward.projectbasho.org/webcontents/onward11/index.html
・Project Basho ウェブサイト
http://www.projectbasho.org

*ラリー・フィンク:アメリカの写真教育者として40年以上にわたり活躍、作品はファインアートからドキュメンタリーやコマーシャルと幅広く活躍し、グッゲンハイム財団奨励賞を2度受賞、ニューヨークの富裕層とアメリカの労働者階級の格差に視点を当てた作品で知られている。

Rie Yoshioka

Rie Yoshioka

富山生まれ。IAMAS(情報科学芸術大学院大学)修士課程メディア表現研究科修了。アートプロデューサーのアシスタントを経て、フリーランサー。エディター、ライターとして活動するほか、展覧会企画、アートプロジェクトのウェブ・ディレクションを務める。yoshiokarie+tab[at]gmail.com