▶︎ 都築響一+「下町レトロに首っ丈の会」キュレーションによる「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」が、東京都渋谷公園通りギャラリーにて1月22日~4月10日に開催されている。「おかんがつくるアート」のことと本展が定義する「おかんアート」とはなんなのか、その歴史的文脈をふまえて解説。視覚文化論、美術制度史、ジェンダー論を専門とし、手芸とアートの関係をジェンダーの視点から研究してきた山崎明子(奈良女子大学教授)が論じる。【Tokyo Art Beat】
「おかんアート」というものが以前から気になっていた。一目見て自分の身近にあったもので、懐かしいと感じる作品が多い。私自身、子供時代にこれらを母と作った記憶がある。小学生でも作れるもので、こうしたモノを作りながら縫う・編む・結ぶなど手芸の基本的技術を知らずに学んだのだと思う。東京都渋谷公園通りギャラリーで開催されている「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」は、作家、編集者、写真家の都築響一がキュレーターとして、「下町レトロに首っ丈の会」の方々と一緒に作り上げたとされる。この展示で説明されるように神戸の下町の地域振興として、地域の「おかん」たちの手芸作品をそのように呼び、過去には鞆の津ミュージアムで展示されたこともある。
布や毛糸、リボン、紙などで作られた作品は、手芸という営為が持つ反復性という特徴を示すかのように、同じものが大量に並べて展示され、その量に圧倒される。この反復は、一緒に作ることや何個も作ることで、コミュニティが維持されているために起こるのだが、このようなタイプの手芸品は人に贈る場合が多く、対してひとつの作品を長い時間かけて制作するものも同程度に存在する。また素材が日常的なもので、「ハギレ」や「残り糸」であることも特徴で、こうした廃物利用の手芸の理念は明治期から続いている。さらに一見して子供の玩具のような趣があるが、これも長く手芸の社会的意義のひとつであった。
本展についてのネット上の反応は概ね好意的で、懐かしさやそのインパクトが評価されているように感じられる。「おかんアート」という呼び名自体は、もうかれこれ10年以上使われているが、やはり実際に大量に「手芸品」が並ぶ様子は相当インパクトがある。
いっぽうで、展示やその作品について、ある種の困惑や疑問の声も散見する。私自身「おかんアート」という言葉を使わないのだが(以下「」で使用する)、ここでは本展が提示する「おかんアート」なるものをどのように受け止めることが可能なのか、展示では明示されていないそれらの背景から考えてみたい。
「おかんアート」について考える最初の前提は、これまで「手芸」は「美術」や「アート」とは切り離されてきたということが挙げられる。戦前の日本では女子の美術教育のなかに手芸が含まれた時期もあったが、それも戦後、男女共通化された際に消えてしまった。また、手芸は裁縫などと同じく家政学や家庭科のなかに位置づけられてもきた。日本、また欧米でも19世紀以降、手芸は女性がするものとされ、決して「アート」とは認められなかった。仮に「アート」と呼ばれる際も女性特有のものとみなされてきたのだ。
第二に、第一の前提を踏まえ、これまで多くの女性アーティストが「手芸」をアートにつなげていく試みをしてきたことが挙げられる。1970年代以降、フェミニズムアートのなかで、自分の母や祖母たちをはじめとする過去の女性たちの創造的営みとして手芸を再評価し、手芸の技法、素材、機能などを作品のなかに取り入れてきたのだ。それは女性の創造の歴史の再評価であり、その作品を「アート」と呼ぶか否かも含め、それらは女性自らのアイデンティティの模索でもあった。
第三に、現在のような日本の手芸文化は明治以降に形成され、子供時代には小物や人形作りなどの誰でもできる簡易な手芸、次第に刺繍、編み物、レース編、キルトなどを学ぶようになり、近年では高齢になると再び簡易な手芸が奨励されるなど、多様な手芸文化が花開いてきた。簡易な手芸は短時間で身近な素材で作ることが多く、小さなコミュニティのなかで相互に教え合いながら実践されてきた(これが「おかんアート」の直接の起源である)。成人女性たちは、長い時間をかけて技術を学び、作品を制作し、自宅に飾ったりコンテストに出品するなど、その高度な技術や美しいデザインで作品を生み出してきた。簡易手芸と複雑な手芸の作り手は切り離されていない場合が多く、手芸をする人々は年代や状況や関係性に応じてどちらも作っている。
さて、この3点──手芸はアートではなかったこと、フェミニズムアートは手芸とアートを結ぶ作品を作ってきたこと、手芸の多様性──を前提にすると、展示からは消されているものが明確に見えてくる。それは、刺繍・編み物・レース編・キルトなど手芸をする人々が向上心をもって技術を学び、精力を傾けて制作してきた手芸である。逆に何が「おかんアート」として抽出されていたのかと言えば、簡易で、(前者と比較して)拙く、迷信や笑い、そして懐かしさを感じさせるもので、展示のなかではそれらを「おかん」という呼び名により「愛すべきもの」と読み取らせている。
本展では、前者は消され、後者だけが選び取られているが、それは作り手の意志によってではなく「他者(作り手ではないという意味での)」によって線引きされ、後者が「アート」に紐づけられている。この既視感のある不可視化と可視化のコントロールを会場で感じ取った人もいただろう。アートの歴史のなかでも、プリミティブアート、ナイーヴ派、フォークアート(会場でも「民藝」という言葉が使われていた)そしてアール・ブリュットなど、他文化にルーツを持つものや、異端、大衆的なもの、拙いものが繰り返し「発見」されてきた。それらは、「アート」の権威を脅かすものでもあり、同時に「アート」にエネルギーを与え、その枠組みを活性化するものでもあったはずだ。
「おかんアート」はその名づけの段階では、作り手の営為に寄り添い、地域の良さを再発見することを目指したものだったと思われる。そして、いまなおその地域コミュニティにおいてはそうであるのだろう。だが、展示空間はそのコミュニティの外部であり、「ギャラリー」は「アート」の権威と結びつく場である。その場に刺繍やキルトが一切無いことに気づかないほど、私たちは「愛」や「笑い」や「懐かしさ」という甘い衣をまとった「文脈」を受容させられる展示であった。
不可視化と可視化──これはひとりの女性、ひとつのコミュニティのなかでつながっていた多様な手芸文化を「他者」が分断し、一方を消し、一方を抽出した結果である。何を消したのかと言えば、女性たちが「おかんアート」的なものを経て、さらにその先で切り開いた自己表現の世界とそれまでに蓄積された技術や時間である。途方もない創造のエネルギーが手芸に注ぎ込まれてきたことが、この場では消されているのである。女性が作るものを幼げで拙いものととらえ、それのみを好ましいものとして語る、その姿勢にミソジニーを感じざるを得ない。
社会の枠組みもアートの枠組みも、時代によって組み換えられてしかるべきだ。だが、「誰が」どのような力を行使して、何を分断し、何を消し去ろうとするのかということには、意識的でありたい。「愛」と「リスペクト」の語りは、手芸文化のなかにいるものからの批判を封じつつ、作品をほっこりと笑いのなかに回収することを容認させる力を持つ。私たちはこの展示を見て、一緒に笑うのか、それとも一緒に考えるのか、いま、この文化への「共感」のかたちが問われている。