nido(ニド)とはイタリア語で「巣」を表す言葉である。山本氏の「巣(nido)」は、激しい動きも、ゆっくりした動きも、大きいものも、小さいものも、ふんわりと包み込んでくれる。そして決して人に特定の姿勢を強要しない。例えば、ソファというファニチャーで本を読む場合、そこには座面幅やアームレストという形状によって、座る人の姿勢自体がある特定のポーズに誘導されるが、nido(ニド)の場合は自分の体の動きや形状にあわせて椅子(?)の方がアジャストしてくれるのである。
ファニチャーデザインは人間を「個」と「集団」という視点で研究、観察するところから常にスタートしている。日本では、素材、高さ、角度など、人間工学の研究による「心地よさ」「安全性」の追求はもはやあたりまえで、労働の種類、社会的ステータス、生活を営む単位の違いによる「機能性」「象徴性」から、「差別化」がキーワードとされる時代ももうずいぶん長い。しかしあまりにも「個」を探し求めるあまり、もう一方の「集団」としてのクオリティ面を忘れてしまっているのではないだろうか。
nido(ニド)の面白い部分は、間接的にこの点を問題提起しているところであると私は思う。「巣とは、野生動物が安心して卵や子供を産み育てることが出来る空間であり、唯一動物が本能的に作る家具ではないだろうか。」という山本氏の言葉があらわしているように、nido(ニド)のオリジナルコンセプトには愛情や優しさ、守り育てる責任といったエモーショナルな動機があり、とても自然に共感できると同時に、東京という超都会に生きていると、こういった本質的なことがおざなりにされていることに気づかされて驚く。
nido(ニド)は、もしかしたら家具の素材としては何もイノベーティブではないかもしれない。けれども「家」という「巣」で使用する家具をこんなふうな切り口でみせられたら、来月発表するミラノサローネででもきっとハートをノックアウトされる人が続出するにちがいない。
Chihiro Murakami
Chihiro Murakami