私の原稿では毎回5つ星による評価をつけています。
白い☆が評価点。
7月25日に観た展覧会。
観る前の期待 ☆☆☆★★
観た感想 ☆★★★★
なぜすでにトーキョーアートビートには名和晃平「L_B_S」展のレビューがすでにあるのにまた、と思われるかもしれない。
でも僕はむしろ3つくらい同じ展覧会についてのレビュー記事が並んでいたら比較できて面白いのではと思っている。個人的には今回の展覧会を見て「良くなかった」派だが、他の方の異論も聞いてみたい。
少なくとも僕の見方ではまだ名和晃平はもてはやすほどの実力作家ではない。
というかあの、作家自身によるものと思われる出品作品解説に対するコメントを載せたリーフレット、あれで僕のなかの名和晃平というメッキは剥がれ落ちた。
説明書を見る前はいろいろ自分なりに膨らませて見ていたんだけど、ついそれを読んでしまった後は、「ああ、言いたいことはその程度のことなのか」と、逆に醒めてしまったから。
よく大喜利でやる、「○○とかけて△△ととく。そのココロは?」になぞらえて言えば、「セル(細胞)とかけてピクセルと解く、そのココロは?」とでも言おうか、「重みがなく手ごたえに希薄な僕らの時代のリアリティのセル(実体の最小単位。細胞。)は肉を持たないピク『セル』に喩えられる。だがそれをあえて逆説的に量感のある体裁で『受肉』させてみた。僕たちによってのリアリティを取り戻すために。」説明書を読んだ印象をもとに解釈すると、言いたいのはそんなところか。
(もともとピクセルは英語のスペルがpixelでpicture〔絵〕の口語表現picの複数形pixにelement〔要素〕を足しpix+el=pixelとなった、これ自体造語だけど、名和晃平はピクセルのセルという響きからcell〔細胞〕と連想したことから、自分だけの造語PixCellをつくって作品のシリーズ名に使っている。)
また彫刻学科専修生的課題提出感から言えば、「世の中で一番質量のないものをあえて選び(インターネットから取ってきたデジタル画像。この場合は鹿の画像)、それを彫刻表現における基本課題であるマッス(質量感)にいかに置き換えるかに取り組んでみました」的な作品と目に映る。
もっとも演出的に巧みと思わせるところはいくつもある作家ではある。
たとえばシリコン? ガラス? の透明球でコーティングされた作品自体はすごく質量感があるのに、そして、その根幹であるはずの「鹿」はどの角度からも部分的にチラ透けで見えるけれども、本当のところその実体そのものはどこからも、じれったくなるほどに、見えそうで見えない。中身がすごく詰まっているように見えて、その実、石鹸の泡のように、フウと吹き去ったらその後に実体など存在してなかった、という肩透かしをくらいそうな、「あるのにない」的な絶妙などっちずかずさを巧く表現している。
それから、これがどこに住む何ジカなのかは知らないが、確実に自分たちの普段の日常には存在しない類の物体が真空パックされて、唐突に、ここではない何処かから転送されてきたかのような、そんな違和感の作り出し方も巧いと思う。
また、美術作品だけど博物館に置かれているみたいな、美術品と博物標本の中間に位置取っているようなギャップもユニークだ。
あと何より、これは金氏徹平展@横浜美術館のときにも同じことを思ったが素材がゴージャスな感じに見えるところだ。透明球はクリスタルみたいにキラキラした輝きがあって、スワロフスキーの装飾品みたいじゃないか。
アレンジは上手、でも思考はやや幼さを感じる。
ちなみに、ここまでは名和晃平の従来仕様作品「BEADS(ビーズ)」についての感想。
今回新しい作風を見せた「LIQUID」「SCUM」について言えば、はっきり言って、これら新作2点はどちらもまったくいいとは思えなかった。展覧会は2度観たけど感想は変わらない。
繰り返しだが、ほとんど説明書と化しているコンセプトシートをただ興した以上のものとは思えないし、いや、むしろそこまでにも達していない。
「LIQUID」の説明文には、「絶え間なく続く刺激は、ある飽和点を超えると、見ている者に対し麻酔のように作用する」とある。だが他の人はどうかはわからないが、少なくとも私には“麻酔のように”作用はしてこなかったし、この説明を読んで、昔アンビエントハウスユニットのライブを観にクラブに遊びに行ったとき、チルアウトグッズ(チルアウトとはトんでリラックスすること)として、明滅する光を使って脳内麻薬を出すためのマシーンとか、いかにもまゆつばな玩具を触らせてもらったことがあったけど少なくともそうしたお遊びガジェットと比べたって大差ない、「とりあえずそれっぽい」くらいのちゃちな代物の域だと思った。
「この作品は、生命の誕生をあらわそうとしているんですよ」と館内スタッフの方は教えてくださったけれど、それは泡がぷくぷく出てればそれくらいの連想はするだろう。
もうひとつの新作「SCUM」にいたっては、物体を透明なシリコン(ガラス?)で覆う芸風もさんざんやったので、趣向を変えて今回はその代わりにポリウレタン樹脂で覆ってみました、という「意匠違い」くらいにしか見えなかった。
加えて、選んでいるモチーフも、手榴弾、スーパーマリオ、映画「ファンタジア」のときの魔法使い姿のミッキー、ホンダのヒト型ロボットASIMO、銃、スニーカー、女子プロゴルファー、F1、車椅子、羊、仏様と、なんか陳腐な「現代の肖像」という感じがする。
2点とも、説明ばかりが大層なもので作品自体はお粗末なので、シラけてしまう、というのが正直な感想だ。
だがあえて、こんな駄作な新作を公然と見せようとした意図とは、作家がもてはやされて舞い上がっている、というよりむしろ、本物の良い作品に到達するためなりふりかまわずもがいて実験しているのだという、真摯な態度だと取りたい。
ちなみに、これまでそんなに名和晃平の作品を逐一見ていたわけではないが、昔より艶かしさがなくなったような気がする。数年前にアートフェア東京、SCAI THE BATHHOUSE のブースで見た、透明ビーズでコーティングされた蛇の小品は、「凶暴と冷静の間」という絶妙な感じがそそって、その作品を欲しいと真剣に思ったことを覚えている。
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