1975年生まれの名和晃平は、「表皮」と「セル(細胞)」を概念とした作品を発表し、着実にキャリアを積み重ねて来た。その代表的な作品シリーズの新作が、メゾン・エルメスで開催されている。展覧会タイトル「L_B_S」は、彼が今回展示に選んだ作品シリーズ、Liquid、Beads、Scumの頭文字を取ったものだ。今回の個展は、会場であるガラスブロックで覆われたメゾン・エルメスの建物そのものが、彼のコンセプトに近いともとられ、それだけここでの展示は構成段階から塾考を要したという。
会場に入って最初に出会うBeadsの新作は、透明球に覆われた巨大なElk(オオシカ、ヘラジカ)。水晶だという、ひときわ大きな球体が目立つ。それがレンズの働きをして、鹿の毛並の表面が顕微鏡で覗いたように拡大され、不思議な知覚をもたらす。ビーズで覆うことで「表面のリアリティを吸い取っている」と彼は言うが、ビーズに覆われたモノは、レンズを通しての映像としてしか見えないのに、見る側は、実物を見るよりリアルな物質感、触ったときの触感まで思い浮かべてしまうのだ。
続いて、Scum。ビーズで覆うPixCellシリーズの作品になりえなかった素材の表面に、ポリウレタン樹脂を特殊な手法で吹き付けて制作されるというVillus(柔毛の表皮)は、ビーズのように透明感のある素材と違い、内部のモノはまったく見えない。その輪郭から「仏像」あるいは「手榴弾」かな、と推測はできるが、内部にその物体が本当に入っているのかわからない。それは、「仏像かもしれない」し、「手榴弾かもしれない」。一様に同じ皮膜(Villus)をまとったモノたちは、視覚的な形状からのみ、個性を主張する。
初めてVillusを目にした時、同じ表皮で覆われることで個々の物質感を喪失した大量のモノたちを象徴しているような気がした。彼にとってのVillusは、リアリティを持ったオブジェがScumに取り込まれて行く途中の段階という感覚であり、Villusによってパズルのピースの一つが埋まった感じであるという。
そして壁で隔てられた空間には、二槽のLiquidが安置されている。シリコンオイルからふつふつと現れ出ては皮膜の外に破裂することなく消失し、また湧き上がる泡を見ていると、自分が泡を見ているというより、絶え間ない泡の生成と消失が刺激として目に入ってくる。彼は、最初にこの作品を作ったとき、初めて目にするのに、すでに知っている感覚だと思ったという。私たちの生活する街には、ノイズや視覚的な刺激など、過剰ともいえる刺激に満ちている。あまりに刺激が多すぎて、無意識に情報を遮断するような感覚。Liquidは、その現象に近い。
今回の3つのパートからなる展示を通して、彼は、視覚を通して見る側の五感を刺激してくる。過多な物質と情報が溢れ、リアルな感覚に対する感覚が麻痺してしまった中で、感覚を通して他者と認識を共有したいという想いは、切なる人間の希望かもしれない。それは、空白の世代と言われる1975年生まれの彼だからこその主張であり、また、今の時代を経験している全ての世代にも訴えかけるものではないかと感じた。
ガラスブロックの一つ一つに銀座の風景が写り込むレンゾ・ピアノの建物そのものも、彼のコンセプトを強調しているかのようで、活動開始から約10年を経た彼の一つの到達点を示した展覧会といえる。
画像:©OMOTE Nobutada Courtesy of the Hermès Foundation