府中市美術館では、9月21日から「市制施行70周年記念 アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」が開幕。会期は12月1日まで。19世紀末〜20世紀初頭(世紀末)のパリで活躍したデザイナーであり、画家としての活動も精力的に行っていたアーティストのアルフォンス・ミュシャ(1860〜1939)。本展は、デザインと絵画というふたつの領域で活躍した彼の、すぐれた造形の力に注目し、ふたつの世界に共通する「ミュシャらしさ」に迫る機会となった。
担当学芸員の音ゆみ子(同館学芸員)は、本展の見どころが「ポスターや版画のみならず、油彩画、絵画の習作・デッサンをまとめて目にすることができること」にあると語る。ミュシャの名前を聞いて多くの人が思い起こすのは、草花に彩られた女神のような女性を描いた、優美で装飾的なポスターかもしれない。しかし、近年の研究や展覧会では、彼が画業の後半に取り組んでいた油彩画が注目を集めている。アール・ヌーヴォー様式の装飾的なポスターと、象徴主義の神秘的な絵画。まったく異なる動機で制作されたように感じられる両者だが、本展で展示される作品群をじっくりと見比べると、じつはふたつの世界が密接に関係していることがわかるようになっている。
ここからは、展示の構成に沿って会場の様子をお届けしよう。第1章「版画でたどるミュシャの画業」は、ミュシャの画業の変遷が概略的に紹介されるセクションだ。画家を目指しパリへと出てきた若きミュシャは、挿絵画家として下積みを重ね、版画(多色刷りのリトグラフ)の分野で才能を見出される。本格的に油彩画に取り組み始めたのは、彼がポスター画家としてパリやアメリカで成功をおさめた後のことであった。
初期のミュシャを見出した重要な人物としては、世紀末のパリを代表する女優サラ・ベルナールが挙げられる。彼女の主演した舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけたミュシャは一躍パリにその名を馳せるアーティストとなり、演劇や商品広告のためのポスター、パッケージデザインなどを数多く手がけた。本展の最初の展示室では、彼が手がけた挿絵やポスター、ビスケットや紅茶のパッケージデザインなどが展示されていた。
本展のメインテーマにもっとも深く迫るのが、第2章「『ミュシャらしさ』を解き明かす」だ。担当学芸員の音は「淡い中間色を基調とした色彩」「多色刷りの技法がもたらす重奏的な画面構成」「ボリュームのある人体表現+太い輪郭線」を「ミュシャらしさ」として指摘する。ピンクや紫などの中間色を用いた淡い色使いや、人物にほどこされる細やかな陰影は、同時代のポスターには無い要素。しかし、黒や赤など誘目性の高い色彩の多用や、平面性の強調をしなくても、ひと目でミュシャの作品とわかる理由のひとつには、このような彼のすぐれた造形感覚があるのだという。本章の前半には、彼の版画とその習作、肖像画と人物を描いたポスターが並べて展示されている箇所がいくつかあるので、ぜひじっくりと見比べながら鑑賞してみてほしい。
第2章の中盤以降では、ミュシャが同時代の芸術思潮を積極的に取り入れながら作品を制作していた様子が伺える。ミュシャの版画、絵画にはたびたび、草花の装飾やダイナミックにうねる髪のモチーフが登場するが、これらは当時「自然への回帰」に強い関心を寄せていた工芸・装飾芸術に影響を受けたものだ。
たとえば『装飾資料集』(1902、画像下)は、ミュシャの装飾デザインを紹介する図案集であるが、本作は彼の「自然から学ぶ」過程を示す資料とも言えるだろう。ケシの花を描いたスケッチには、解体された花弁や雄べ、葉が枯れた様子までが詳細にスケッチされており、それらがデフォルメされたパターンとして再創造される。ミュシャの作品に独特のリズムを与えている、うねるような髪の表現や草花をモチーフとした装飾は、このような植物の持つ形態・ダイナミズムへの関心から生まれたものなのかもしれない。
第2章後半〜第3章「ふたつの世界をつなぐ造形」では、いよいよミュシャの油彩画が本格的に紹介される。彼の油彩画は、いわゆる「象徴主義」という芸術動向に位置付けられることが多い。象徴主義とは、産業革命以降の物質的/商業主義的な世界観に対する反発として起こった芸術運動であり、心の世界に向き合う神秘的な世界を「暗示する」ことを志向する。たとえば《ポエジー》(1894)は、フランス語で「詩情」を表す語がタイトルになっているが、詩を直接表現するようなモチーフは一切用いられていない。暗闇の中で一心に祈る人を描くことで、詩の持つ趣や魅力を表現している様は「いちばん大切なものを書こうとしない」象徴主義らしさの典型とも言えるだろう。
展覧会の最後を飾るのはミュシャの代表的な大型油彩画だ。なかでも《ハーモニー》(1908、画像左)はニューヨークのドイツ劇場のために制作された装飾画であり(実際には採用されなかった)、ミュシャ絵画の神秘的な側面を示す重要作だ。同作品の造形に注目してみると、やはり独自の「淡い中間色を基調とした色彩」や、版画技法に影響を受けたであろう「複数のレイヤーが生み出す空間的奥行き」が見てとれる。彼は自身が得意とする複製芸術の技法を油彩画に流用することで、軽やかながらも、鑑賞者に神秘的な精神世界についての深い思索をうながすような作品を作り上げていたのだ。
アーティストの類稀なる造形力(ミュシャらしさ)に注目してみることで、彼が複製芸術と油彩画という異なるふたつの世界を自在に行き来しながら、独自の表現手法を形成していった様子を感じられる本展。本レポートにて紹介した作品はほんの一部のため、ぜひ実際に足を運んで「ミュシャらしさ」を感じてきてほしい。
井嶋 遼(編集部インターン)