美術館近くの地下道や広場では日本円で一万円から十万円の価格で額縁つきの具象絵画が個人間で売買されている。有名な画家や作家での作品ではないが、休日ともなると意外と売れていく光景をよく目にする。
コンテンポラリー・アートという枠で考えるならばこうした光景はあまり目にせず、大きな展覧会ないしは有名ギャラリーでの展示が当たり前となっている。そのため、いわゆる「民衆」にとって敷居がやや高い。その高さがやや低まるのが「国際」という名の付いたアート関連のイベントである。
よって、見本市ベースの展示空間のため、残念ながらどの「催し物」も似通ってしまう。しかしながら、内容によってはかつての万博のような誰もが楽しめる場、何かを提供してくれそうな空間に映る。アートの文脈で眺めた場合、上記二点がそれに該当したのではないかと思う。
さて、5月に開催された〈 アート・モスクワ 〉だが、〈 Art Basel 〉 や 〈 アートフェア東京 〉 とまではいかないが、有名ギャラリーが集い、作品売買が行われるイベントである。違いを言えば、コンテンポラリー・アートに特化したギャラリーのみが〈 アート・モスクワ 〉で出展しているということだ。基本はモスクワとサンクト・ペテルブルグの有力ギャラリーが出展し、チェコ、フィンランド、ドイツ、イタリア、フランス、バルト三国他外国ギャラリーが招待されていた。
〈 アート・モスクワ 〉の長所は、各ギャラリーがプッシュするアーティストの作品が一つの場所で鑑賞できるということであろう。特にモスクワのコンテンポラリー・アートギャラリーはVinzabod(アートコンプレックス)を除いて散在しているため、コンテンポラリー・アートファンには何とも有難い。加えて、初日にはアーティストが駐在するギャラリーも見受けられた。記者が見た限り、数多くのギャラリーの中でも最も人だかりが多かったのは XL gallery 、triumph gallery 、 Aidan gallery 、Regina Gallery 、M&J Guelman Gallery など。その理由は、人気作家を抱えること、ギャラリストの腕が知れ渡っていることである。そのため、独自の企画を打ち出すギャラリーよりも人気作家の新作を定期的に提示するギャラリーに人が集中していた。この点を考慮すると、展覧会の企画自体よりも作家の新作を求める傾向がモスクワのアートシーンは強いと言えそうだ。
メイン会場となっているアーティストセンターでは、ビエンナーレの第1週目に建築・インテリア関係の会社がブースを設け商品や企画のプレゼンが行われ、文字通り見本市の活況を呈していた。ただ、アートの文脈に乗るような展示はアーティストセンター外回廊の 〈 国際パヴィリオン 〉 と別会場となっている建築美術館での〈 ロシア・パヴィリオン 〉、同時開催のプログラム 〈 自立都市 〉、〈 衰退都市 〉、〈 騒音都市 〉、〈 CIS諸国建築家による展示 〉、〈 建築状況-ノエフ・コフチェク展 〉である。ただ、「 国際ビエンナーレ 」での目玉であるはずの〈 国際パヴィリオン 〉の割合がモスクワに関する展示に比べ、圧倒的に少ない。この点は第一回であるが故、致し方のないことではあるが、今後改善されるべき点であろう。
アートの文脈に乗せることを狙いとした〈 建築ビエンナーレ 〉が、人気作家によって活況を呈するモスクワ・アートシーンよりも全体企画の点で優っているのは面白い。裏を返せば、コンテンポラリー・アートという枠で活動する作家の地位が確立されつつあり、作家側もその地位から外れるような作品をあまり出さないという側面が垣間見える。もちろん、そうでない作家もいるのだが、今回の〈 アート・モスクワ 〉で出展されたアーティストの中には皆無に等しい。こうした空気に風穴をあけるのが、いわゆる厳密な「 アート 」外の分野にある建築という関係がこの二つの展示から看取できる。
しかしながら、こうしたマーケットに人気が集まるのはキュレーターという企画者の力量よりも、作家の人気がモスクワのコンテンポラリー・アートを支えているということを突きつけていると言えるかもしれない。それは最初に述べた「 民衆 」へのフックであって、そこから質の真価へと至る時期がまだ来ていない。かといって、キュレーターが企画する展示が退屈なわけでもない。
次回は有名キュレーターを紹介しつつ、そこから見えるモスクワアートシーンの「 流行 」を報告する。