モスクワはもう春がやってきた。街の表情は綻び、人々もどこか陽気な気分を漂わせている気がする。去る55年前に二キータ・フルシチョフは第20回ソ連共産党大会で「雪解け」という言葉を用いて、全体主義政治との決別を図ろうとした。
しかしながら、アートに関して彼の態度は全体主義体制下と何ら変わることなく、アブストラクトな傾向にあった当時の若手の作品を「ロバの尻尾」と罵倒し、結局のところ「公式芸術」を固辞し、その枠組みで発表を拒むもの、もしくは認められない者たちが「地下」で活動を行い、熱気を孕んだ「ソッツ・アート」が生み出されるに至る。
では、当の「公式芸術」すなわち社会主義リアリズムは単なる抑圧対象でしかなかったのか?
おそらくこの問いに答えることが許されているのは、当時の作家とその作品を当時の時代精神に則って受容した鑑賞者のみであろう。今日の観点からでは、その後の歴史的結果-すなわち社会主義体制の崩壊を理解しているが故、多面的な判断が曇らされてしまう。果たして、(抑圧を受けたかどうかは別として)イデオロギーに踊らされているのか、誠実に当時の雰囲気を反映したものなのか。
このことが如実に表れるのは「戦争絵画」ではなかろうか。日本では藤田嗣司、斉藤義重らを始めとして、この範疇にある作品の再評価が望まれている。しかしながら、それは歴史的に「負の結果-敗戦」に加担したということで、残念ながらこうした作品を否定的な意味合いでしか、今のところ我々は見做し得ない。
ところがこの構図が逆転すると圧倒的なパトスと誇り高き昂揚を表象し得る。ご承知のようにロシア(旧ソヴィエト連邦)は第二次世界大戦の戦勝国であり、それゆえ戦勝記念日(2/28)が国民休日となっている。この日にあわせてエカテリーナ文化財団では「赤軍 1918年-1946年:労農赤軍創設90周年」展が開催された(-3/31)。この展覧会は視覚造形美術ロシアネットワーク(ROSIZO)付属国立美術・展示センターと共催の下、ラジオ「モスクワの声-Echo Moskvy」の2007年度特別プログラム「それほどではない-Ne Tak」の中で取り上げられたテーマ「赤軍の創設者-レフ・トロツキイ」、「騎兵隊」、「1937年:赤軍における粛清」「赤いナポレオン-ミハイル・トゥハチェフスキイ」等を下敷きにしている。
タイトルからもわかるとおり、赤軍(旧ソ連軍の通称)の歴史に関連した絵画55作品、プラカード26作品が展示された。この中にはロシア・ソ連美術史における有名作家クジマ・ペトロフ-ヴォトキン(図1)、アレクサンドル・デイネカ、コンスタンチン・ユオンの絵画や1980年代の「ソッツ・アーティスト」セルゲイ・シェルスチューク(図2)、近年活躍するヴラジーミル・クプリヤーノフ、セルゲイ・シュートフ、セルゲイ・ブラトコーフ等の作品が含まれている。このことから、いわゆる「戦争絵画」というものがある時代のプロパガンダだけにとどまるのではなく、今日までも作品題材の一要素、こう言ってよければ、「飽きの来ない」題材であり続けている。
この理由として、ソ連時代においては叙情性を包含することのできる公式上の題材、今日においてはそうした叙情性が有効でなくなり、単なる「美学的要素」(このことが最も顕著に現れるのはクプリヤーノフ《Voennyie utchenyiya(軍事演習 )》(1995-2008年)(図3)で、兵士の表情は作品表面に施された切り子上のガラスによってぼやかされ、背景と兵士服装や武器等の色彩の対比が前面に打ち出される)として用いられているからである。このことによって視覚効果が多様になるため、鑑賞者は叙情性から離れ、作品に対して多様な見方を投影することが可能となる。こうした手法はコンテンポラリー・アートの文脈の中でも、鑑賞者も作品の一要素たり得るとする傾向にオーバーラップさせているかのようだ。モスクワ国際ヴィエンナーレのキュレーターを務め、美術批評家としても活躍するイオシフ・バクシテインがこの企画展のキュレーターであるという事実を考慮すると、過去の美学観を現代の文脈にどのように投影できるかという試みとして、いわば「公」となる題材を利用した企画とも受け取れる。
エカテリーナ財団での展示はモスクワ延いてはロシアの公式上の「歴史」を今日の文脈で掘り返そうという試みであった。「歴史」-人々の記憶・記録の集積としてこの言葉を、おおまかに規定することができると思う。この国(特にソ連時代)では、「勲章」や「モニュメント建築物」、「プラカード(宣伝ないし広告)」という、日本ではあまり馴染まないメディアにおいてそれらの大半は表象されうる。第二次世界大戦後(ロシアでは祖国防衛戦争と呼ばれている)直後のみならずソ連崩壊まで継続的に上記メディアが量産され続けていたため、もはやそれらは記憶を顧みるものではなく現実の一部として定着し、本来の目的は削ぎ落とされる。
モスクワ現代美術館(エルモラエフ横町分館)で開催された、モスクワ市文化部とロシア美術アカデミー、XLギャラリー共催による「ボリス・オルロフ:〈陸軍と空軍〉」展(2/14-3/16)は、上記の点を開示したよい例であろう。
この展示は当美術館で2006年から翌年の2009年まで継続的に開催される「アクチュアルな都市モスクワ」というプログラムの一環である。1970年代からモスクワで勃興し始めた(ソッツ・アートを中心とした)アクティヴなアートを紹介し企画展示を図るという枠の中で、今回の展示は位置付けられている。彼の作品は今まで「ソッツ・アート」、つまり公式文化にアイロニーを込めた視線が投影されたものとして、捉えられてきた。確かにこの一面は否定しようもないが、それは他の「ソッツ・アート」と並置されることで投影可能になるのであり、今回のように彼の作品が単独かつ圧倒的に展示された場合はどうであろうか。彼の作品は、「勲章」、「オーダー(建築物に用いられる柱式)」の二つを彫刻へ取り入れたスタイルに特徴付けられる。特に今回は陸軍と空軍に焦点を充てているため、それらに関するモチーフ(武器、飛行機、軍勲章等)を取り入れた作品を目にすることができる。
例えば彫刻インスタレーション《Parad astralinych tel(星気体(霊体)のパレード)》(1993-1994年)(図4)は飛行機と鷲を合体させた様々な飛行物体に勲章やキリスト磔刑のオブジェが添えられ、天井より隊形を成して吊るされている。空軍演習にも似た制空への示威と、空軍を表象する勲章が中心に位置するイエス磔刑のオブジェが張り付いた飛行物体を取り囲むことで、ソヴィエト時代の無神論と唯物論を遺憾なく誇示している。すなわちマルクス美学の根幹を成す「唯物主義」の勝利である。
このことを鋭く衝いているのはインスタレーション《Ikar fragment instalyachii “Gibel’ bogov”(イカロス-「神の死」のインスタレーションより )》(1991年)(図5)であろう。太陽の熱によって蝋で固められた羽が溶けて墜落するのではなく、勲章によって神の高みが地上-民衆へ引き摺り下ろされる様を表している。そのため、勲章によって表彰される個人はもはや無用であり、勲章ないしはそれを有する人間が属する集団、階級、身分こそが称えられるべき対象となる。
彼の彫刻において台座に乗るのは表情のない人間のプロポーションと階級を示す勲章のマッスもしくは武器や軍艦といった軍隊を表象するオブジェとなる。一方で神を称えかつそれらへの憧憬が反映されていた古代ローマ建築(ソヴィエト時代では、特に古代ローマ式が重要視された)における柱式(オーダー)は、ためらいもなく「レディ・メイド」としてオルロフの作品では用いられている。
《Iz Jasper Jones(ジャスパー・ジョーンズの作品より )》(2005年)(図6)では、その名の通り「標的と5つの顔」を踏襲するものの、柱式に用いられる装飾と柱頭部分に施されている頭像を用いることでいわゆる「ソ連式」に塗り替えているのが見て取れる。
すなわち、「伝統の力と意義(ここではイオニア式オーダー-筆者註)を理解し、巧みにそれらを学問探求において利用しなければならない」(スターリン)というテーゼをコンテンポラリー・アートにはめ込むことで、コンセプト不要かつ偏在する単なる装飾物に作り変えている。オルロフの作品は他のソッツ・アーティストと並置されれば、確かに彼もその範疇に含みうるが、単独での展示となると上記のように、かつての公式芸術観を圧倒的に押し出した作品として見ることが可能である。
唯物主義の勝利。彼の作品にはこの言葉が相応しい。翻ってみると、それは皮肉にもソ連芸術に膾炙した公式芸術観の勝利であり、この二つの展示から「公」という概念が決して排除しえない要素としてモスクワのアートシーンを支えている事実を知るのである。