「貴様らっ!私の言うことがわからないのかっ!」このように喝破された科白は何も三島由紀夫に扮した森村だけが抱える問題ではない。コミュニケーションが 不在と言われて久しい今日、我々は何を手がかりに他者を理解しようとしているのか。表情?会話?身振り?おそらくそれら全てを以ってしても、他者の内奥に 迫ることは難しい。さらにはその困難さからコミュニケーションの交通が途絶えてしまうこともあり得る。しかしながら、その他者からそれらを読み解く手立て が教えられれば、少なくとも一方的な断絶は緩和され、その他者に興味を抱くはずだろう。「モリムラ先生」が弁を振るう今回の講義は、正にその点を衝いてい る。ただし気を付けなければならないのは、そのことがアートという文脈で行われており、森村が提示する他者とは彼自身でも彼の作品でもなく、アートの鑑賞 方法であるのだ。
横浜美術館は1996年に森村の大規模な個展「美に至る病-女優になった私」を開催しているため、彼の個展が2度目となる。今回の展覧会は横浜美術館で行われているものだが、今年の3月から7月 まで熊本市現代美術館で開催された企画展の巡回展である。そのため、企画力を問うとすれば後者に言及しないわけにはいかない。熊本市現代美術館は、我々が 見落としてしまうような事象を取り上げ、それらをアートとして鑑賞者に提示し、コミュニケーションのきっかけを作り出してきた。穿った見方をすれば、今回 の企画展もその一環のように見える。そのコミュニケーションのきっかけとは森村自身が作品を解説するという行為である。どの美術館でも音声ガイドは存在す るし、作家自身が肉声で作品について語ることはあってもその行為は作品鑑賞と同時に行われたことは、管見の限りなかった。この二点をドッキングさせた試み は今回が初めてであろう。こうしたことから今回の企画展の狙いにあるのは、森村の作品展示という形式を取った鑑賞行為への活性化がまず透けて見える。
我 々が絵画作品を鑑賞するとき、果たしてどのように鑑賞するか?「穴が空くほど」は観ないであろうし、かといって全く興味を示さないわけでもない。非常に曖 昧な態度で臨む。一方、展示された作品の作家からすれば、きちんと作品を鑑賞してもらいたいのだが、何処に的を絞って鑑賞してもらうべきか、その判断が曖 昧になってしまう。故に制作者と鑑賞者の曖昧さを多少なりとも払拭し、互いを接近させんがために森村と熊本市現代美術館がタッグを組んで、アート(特に絵 画)鑑賞の方法論を打ち出しているのだ。それは他者を理解しようという行為に等しい。
今回の展示概要は、入り口で音声ガイドが手渡され、6つの展示室分の解説が曲数ごとに順次流れ、それに従って作品を鑑賞する仕組みだ。入り口の横にある展示室《ホームルーム》で鑑賞の手順が森村自身によって解説され、授業のコマ数に別れた展示室(1時限目から6時限目+放課後)を巡り、修了試験なるものを受けて、鑑賞ルートは終わる。
横浜美術館の展示空間は入り口中央ホールから二つの連続した展示室へと繋がる構造であるため、一見すると森村が企図した連続する今回の展示構造には馴染みにくい。しかし、通常企画での出口部分を入り口とし、1~4時限目(第1展示室から第4展示室)と5~6時限目(第5展示室から第6展 示室)の間に《自習室》を設けることで分離展示の感を与えていない。その《自習室》で「モリムラ先生」の講義に興味を抱いた生徒達(鑑賞者)が見入る姿 は、サテライト予備校を彷彿とさせる。さらには連続講義から一旦中央の通路を挟んで、間を置き校庭(《放課後》)へ向かう導線は、展示雰囲気を切り替える 効果を持つ。熊本市現代美術館と異なるのはこうした「デッドスペースをうまく活用した」展示形態が構築された点であろう。いみじくも1時限目から4時限目までは連続、そのあと昼食+昼休みそして5時限目と6時限目、放課後というあの時間割の視覚的イメージが持つリズムを空間上で体現しており、今回の企画展に適さない美術館の構造だからこそ、成せた業なのだろう。
さて森村自身の作品だが、「シミュレーショニズム」として括られているように、絵画の名作に自らが扮して写真に収め、絵画として展示される。この潮流は1980年 代の文脈において、誰もが知る絵画作品を意識的に盗用し、アーティストが有する独自性の忌避ないしは既存イメージの批判的利用によって支えられていた。し かし、森村の場合「なにもの(者と物)かになりきる」のではあるが、決して独自性を忌避しているわけではない。メジャーデビュー作となる《肖像(ファン・ ゴッホ)》(1985年)では帽子や外套といった質感を再現することいわゆるシミュレーション に重きが置かれていたようだが、ゴヤやブリューゲルでは、「モリムラ先生」の言葉を拝借すれば、「現代の世相に置き換えて」なりきっている。このことに よって森村の作品には、彼自身の「オリジナル名作絵画(ゴッホ、レンブラント、ゴヤ等)」に対する解釈が胎胚することになる。そこから生じる「差異」の中 にこそ、森村の独自性たる視覚批評を垣間見ることが出来るのだ。この視覚批評とは、通例では我々が眼差しを向ける際に付着する性差や民族、文化等を逆照射 するとのことだが、制作における模倣とオリジナルの連続性を開示させているように思える。
アリストテレスは『詩学(ポエティクス)』で「芸術活動の基盤はミメーシス(模倣ないしは模擬的再現)」として文芸の根源を「まねる」行為に求めて いた。「まねる」ということ自体、他者との交通から対立することで自己を確立もしくは先鋭化する「表現」ではなく、自らに他者を取り込んでしまうことでそ の交通を顕現化する。「モリムラ先生」も「まねぶ」という概念を提起し、模倣行為と学習行為の混合によって創造活動が生じることを唱え、その実践を促して いる。この例が顕著に表れるのは4時限目のルーカス・クラナッハ作《ユディット》の連作模倣で あろう。ホロフェルネスの首切断部を再現する際に霜降り肉を利用し、そこから次なる模倣行為が展開され、並列された食材からなる模倣作品はジュゼッペ・ア ンチンボルドの作風へと変わる。模倣行為に内在する次なる創造の契機を孕み、模倣から次なる模倣へというシークエンスが生じる。このことによって「まね ぶ」手業が開示され、模倣の展開方法にこそオリジナリティが潜んでいることを暴いているかのようだ。それは森村の卓抜した鑑賞力、すなわち「オリジナル名 作」とのコミュニケーションによって可能になるのではないか。
今回の展示は、こうした鑑賞→模倣→創造という一連の流れを森村の作品に観てとれると同時に、鑑賞者たる我々も創造の一歩手前まで到達できる。それ は「モリムラ先生」の講義を手立てに、生徒に「なりきる」ことで果たされる。先生と生徒というヒエラルキーによって「俺の話を聞け」と言わんばかりだが、 翻ってみると、教室全体が森村の作品であり、鑑賞者は森村の手法によって創造行為に既に参加しているのだ。加えて「なる」もしくは「~である」という英単 語「be」がタイトルの一部「Bi-class」、すなわち「美の教室」とオーバーラップし、展示自体が「なにものかになる授業」であったと気付くことだろう。