公開日:2024年10月5日

「モネ 睡蓮のとき」(国立西洋美術館)レポート。日本初公開作を含む代表作でモネ晩年の制作の核心に迫る

「モネ 睡蓮のとき」展が10月5日から2025年2月11日まで国立西洋美術館で開催されている。

「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年

1874年にパリで開かれた「第1回印象派展」から150年となる今年。国立西洋美術館でフランスの印象派を代表する画家、クロード・モネの展覧会「モネ 睡蓮のとき」が開催される。会期は10月5日から2025年2月11日まで。

日本でも広く親しまれている〈積みわら〉や〈睡蓮〉の連作を手がけているモネだが、本展はとくに画家の晩年の制作と表現の変化に焦点を当てている。世界最大級のモネ・コレクションを誇るパリのマルモッタン・モネ美術館より、日本初公開作品を含む、厳選されたおよそ50点が来日。日本国内に所蔵される作品も加え、計64点の名画が集結している。

セーヌ河の水面に浮かび上がる晩年の表現

1883年からノルマンディー地方の小村ジヴェルニーに住み始めたモネが50歳になった1890年にその土地と家を買い取り、最後のアトリエ兼自宅とする。のちに代名詞ともなるジヴェルニーの庭だが、モネが居住地を移してすぐ〈睡蓮〉の柔らかい色使いとあたたかい光の表現に辿り着いたわけではない。1890年代後半の主要なモティーフはモネが訪れていたロンドンやセーヌ河の風景であった。とりわけ、第1章のフォーカスは〈睡蓮〉以前の水辺の風景と描写である。

会場風景より、クロード・モネ《テムズ河のチャーリング・クロス橋》(1903、山形美術館所蔵)

注目の作品のひとつは冒頭にある《舟遊び》(1887)だ。モデルになっているのはモネの再婚の相手となるアリス・オシュデの連れ子シュザンヌとブランシュ。絵画の大半を占めている水面が巨大な「鏡」のように季節や天候を映し出し、光り輝く水面や逆さに映り込む風景の描写がのちの〈睡蓮〉を予見させる作品だ。

会場風景より、クロード・モネ《舟遊び》(1887、国立西洋美術館所蔵)

水と反映の風景に取り憑かれて

第2章はジヴェルニーの庭で咲いていた爽やかな花やモネの装飾画に焦点を当てている。モネが1870年代の印象派時代に本格的な装飾画を描き始めた。やがて、1890年代を通じて連作の展示効果を追求するなかで、睡蓮というひとつの主題のみからなる装飾画の構想に心奪われることになる。

「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年
会場風景より、クロード・モネ《睡蓮、夕暮れの効果》(1897、マルモッタン・モネ美術館所蔵)

《睡蓮、夕暮れの効果》(1897)はモネが始めて描いた〈睡蓮〉と推定されている作品のひとつだ。本作は、晩年の〈睡蓮〉と対照的に、水面の光や夕陽の色彩よりも白い花そのものにクローズアップしている。

「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年
「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年

本展の見どころは、なんといっても大作の多さだ。2章の展示室でとくに大きな存在感を発揮するのはオテル・ビロン(ビロン邸)で展示される予定だった3点の装飾画。1920年に睡蓮の装飾パネルの寄贈を決めていたモネだが、会場の財政上の問題からこの企画は叶わなかった。最終的に寄贈されなかった作品がオランジュリーの大装飾画へと引き継がれたが、《アガパンサス》(1914〜17)だけが放棄されることになる。まさにモネの幻の花とも言えるだろう。

会場風景より、クロード・モネ《アガパンサス》(1914−17、マルモッタン・モネ美術館所蔵)
「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年

オランジュリー美術館の空間を楽しむ

階段を降りて、個性豊かな曲線でお馴染みのオランジュリー美術館の世界に飛び込む。モネの名画を体感し、その世界にたっぷり浸れるために特別に再現された空間である。撮影もできるエリアになっており、憧れの〈睡蓮〉の前にとっておきの一枚も撮れるのだ。

「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年
「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年
「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年

幻想的で深い青が特徴的な〈睡蓮〉の連作が並んでいるなか、目を引くのは上半分が欠損している《睡蓮、柳の反映》(1916?)だ。本作は第二次世界大戦後に行方不明になっていたが、2016年に破損した状態でルーヴル美術館で発見された。松方コレクションを築いた松方幸次郎が1921年にモネの家を訪れて直接購入した作品でもある。大装飾画を外に出すことを嫌っていたモネが生前に唯一、売却を認めた貴重なパネルだ。

会場風景より、クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》(1916?、国立西洋美術館所蔵)

抽象化するモネ、響き合う色彩

第4章は晩年のモネの表現の変化を象徴する作品に注目する。1908年頃から次第に顕在化し始めた白内障の症状は、晩年の色覚を変容させることになった。苦痛を訴えながらも、モネは1923年まで手術を拒み、絵具の色の表示やパレット上の場所に頼って制作を行うことさえあったという。ここでは徐々に抽象度を増すモネ最晩の連作が展示されている。

会場風景より、左からクロード・モネ《ジヴェルニーの庭》(1922-26、マルモッタン・モネ美術館所蔵)、クロード・モネ《日本の橋》(1918、マルモッタン・モネ美術館所蔵)

1918年から1924年にかけて、モネはジヴェルニーの日本風太鼓橋を主題にした24点の<日本の橋>連作を制作。最晩年の絵画は3章で展示されている穏やかな〈睡蓮〉と異なって、どこか騒がしく、筆触と色彩も混合していることがわかる。いっぽうで、向かい側にあるは最後のイーゼル連作の《ばらの庭から見た画家の家》(1922〜24頃)だ。燃えるような色彩と粗いタッチにモネの実験精神もたっぷり感じられるだろう。

「モネ 睡蓮のとき」会場風景 国立西洋美術館 2024-2025年

心の揺らぎを描き出す

本展は作品そのものだけではなく、作品が制作された時代背景にもフォーカスしている。「大勢の人々が苦しみ、命を落としているなかで、形や色の些細なことを考えるのは恥ずべきかもしれない。しかし、私にとってそうすることがこの悲しみから逃れる唯一の方法なのだ」と、大装飾画の制作が開始された1914年に書き残しているモネ。同年は第一次世界大戦が幕を開けた年でもあった。そして、1918年の休戦を機に、モネが大装飾画の一部をフランス国家へ寄贈することを申し出る。柳の木は涙を流すかのような姿から、悲しみや服喪を象徴するモティーフでもあったと言われている。エピローグを迎えて、改めてモネの表現の奥深さが心に響く。

会場風景より、左からクロード・モネ《枝垂れ柳と睡蓮の池》(1916-19頃、マルモッタン・モネ美術館所蔵)、クロード・モネ《睡蓮》(1916-19頃、マルモッタン・モネ美術館所蔵)

長い道のりの果てにたどり着いた<睡蓮>の表現がいかに生まれたのか。装飾画の奥深い世界、そして晩年のモネの独創性や実験精神が詰まっている本展を見逃さずに体験してほしい。

会場風景より、クロード・モネ《睡蓮》(1916-19頃、国立西洋美術館所蔵)

「モネ 睡蓮のとき」展で編集部が見つけたおすすめグッズはこちらから。

ハイスありな(編集部)

ハイスありな(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。研究分野はアートベース・リサーチ、パフォーマティブ社会学、映像社会学。