アーティゾン美術館が開館後毎年開催している、石橋財団コレクションとアーティストとの共演「ジャム・セッション」展。第5回目の今回は、11月2日〜2025年2月9日にわたって毛利悠子を迎えて開催されている。ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館での展示も記憶に新しい毛利は、今回「ピュシスについて」というタイトルを冠した展示を開催中だ。本展について毛利にインタビューを行った。
レポートはこちらから。
──まずは私の感想からスタートさせてください。今回、展覧会レポートにも書いたのですが、展示室を歩いていて各所から作品のさざめきが聞こえ、その意味や状態を受け取るだけではなく、こちらから能動的に何かをつかみ取りたくなるような展示だと思いました。また、毛利さんの過去作がこれほど集まる機会も初めてということですが、展示されている作品以外のプロジェクトに通じるような小さな発見もいくつかあり、楽しかったです。
毛利:ありがとうございます。「過去作がひとつの空間にあるだけでいろいろなことを思い出して泣けてくる」と言ってくれる友達もいました。今回は展示にあたって過去作をほとんど作り直しているんです。ヴェネチア(・ビエンナーレ)と並行しての準備だったので、大変でもありましたが、こうして無事展覧会をオープンできてほっとしています。
──今回、ヴェネチア・ビエンナーレより前にアーティゾン美術館での展示を打診されていたそうですね。学芸員の内海(潤也)さんから声をかけられたとき、どのように思われましたか?
毛利:これまでのジャム・セッションを見ていて、こんな面白い企画はないと思っていたのでお話をいただいてすごく嬉しかったです。準備として、まずはコレクション作品約3000点が掲載されている目録を見せてもらい、100点くらいまで気になるコレクションを絞り、そこから何度も作品を減らしていって、2023年の末にはいまの構成ができました。
──歴代のジャム・セッションを見ると、コレクションと作家のみなさんの作品の共演は十人十色ですよね。コレクションに対峙するにあたって印象深かったことや発見はありましたか?
毛利:やはり収蔵庫の中で作品を見ることができたのは大きな経験でした。収蔵庫では、美術館で展示されているのとは全然違う状態なんですよ。実際に手に取って、文字通り作品の裏側も見られる。アーティストがどのように作品を触って作っていたか、それが肌で感じられる距離感がすごく面白かったですね。その発見が大きかったものを選びました。
たとえば、ジョゼフ・コーネルの《見棄てられた止まり木》(1949)は、何本かの羽根が箱の下部に置いてあるんですね。私はてっきり、羽根はグルー(糊)で留めてあると思っていたのですが、収蔵庫で見た際、箱の裏には「羽根が乱れているときは、適当な位置に広がるまで箱を振ること」とコーネルによる指示が書かれていたんです。偶然によって配置される鳥の羽根が作品のキーであることがそのときわかって、その意図に共感と感動を覚えました。今回の展示では、実際に箱の裏側も見えるように展示しています。
あとは、自分の関心にあらためて気づく時間がありました。モダンアートの美術館って、当たり前ですが照明で作品を照らすんですよね。だけど私は照明を使うことでむしろ影を扱ってきた人間だから、まずそんな当たり前のことに違和感を覚えた(笑)。パウル・クレー《数学的なヴィジョン》(1923)に自分のデビュー作《Magnetic Organ》(2003〜)を並べてモビールの影が動いているのを見たとき、「ああ、私はこういうことがやりたい作家だったな」と思い出すことができました。展示において「影を落とす」というのはコンテンポラリーアートだとよくある話ですが、モダンアートのコレクションでは珍しいことです。照明の調整には最後まで苦労しましたが、結果的に絵画的な空間ができあがったという実感もあります。
──最初に目録をご覧になったときに必ず共演したいと思った作家、作品はありますか?
毛利:先ほど話したコーネル、クロード・モネ、そして目録には載ってなかったのですがコレクションに入ったばかりだったマルセル・デュシャンの作品ですね。あと、藤島武二の《浪(大洗)》(1931)も。私は神奈川出身で太平洋をよく見て育ったので、同じく太平洋を描いた《浪(大洗)》の海には親近感があります。展示室の壁の2色のブルーグレイは、これらのペインティングから構想した色なんです。
──今回、《浪(大洗)》とモネの《雨のベリール》(1886)も、どちらも非常にオーセンティックな作品、題材というイメージなので、毛利さんが共演相手として選んでいたのは意外でした。
毛利:直観ですね。今回は皆さんに会場を自由に歩き回って、自分のなかで波のように揺らぐ感覚みたいなものを感じてもらえればいいなという思いがありました。あと、物理現象としてとらえると、音も波形だし、光も電気も波形なんですよね。運動はすべて「波」なんだ、と。そういう象徴としての波でもある。
──「波」のような展覧会を目指しているというのは、本展図録のインタビューでも語られていましたね。
毛利:展覧会の話をいただいた最初から目指していたのは、空間を区切って、固定されたルートに沿って個々の作品を見るのではなく、広い海を眺めるようなイメージでした。最初に全体の景色が見わたせて、好きな動線で作品に近づいていくといろんなさざ波が立っている、というような……景色を良くしたかったんです。
──納得です。ちょうどコンスタンティン・ブランクーシの作品があるあたりから会場を見ると、見晴らしがすごくいいな、という印象がありました。
毛利:そのブランクーシの作品が置かれている場所から広い空間に向かうまでの通路にエキスパンドメタル製の階段を配置しているので、みなさんにはぜひ海岸を眺めるような感覚で、座ってだらだら過ごしてほしいです。
──その階段は倉俣史朗の椅子からインスパイアされたそうですね。ちなみに、階段の中にはコカ・コーラの空き缶もあり、何を意味するのか?と気になりました。
毛利:昔、受験で疲れたときに藤沢の海岸で海をぼーっと眺めている時間があったんです。そのときふと周辺に目をやると、夕日に照らされたゴミが見えることがあって、ちょっとそういう嫌な感じがあっても面白いかなって。《アーバン・マイニング》(2014〜)という、都市から出る廃棄物を素材として再利用した私の作品シリーズがあるのですが、まだ作品にまで至っていない“素材”を美術館に放り投げてみました(笑)。毎日の生活からインスピレーションを得るタイプなんです。
──さきほど「“運動”はすべて“波”」という話がありましたが、毛利さんはこれまでの活動で「運動」をひとつのキーワードとしてあげていらっしゃいます。今回、私たち鑑賞者が作品を移動している際の動き(運動)、作品内に見られる運動のイメージが合致して、空間すべてがひとつの運動として連関しあっている印象を受けました。
毛利:サウンドアート、キネティックスカルプチャー、ニューメディアといったテクノロジーに関係する素材や手法を使いつつも、私っていったい何がしたいんだろう?と。今回のように自分の過去作が一堂に会するのは初めてのことですが、ふりかえってみて、私は作品を通して、世界は「運動」によって成り立っていることを表現したかったのかもしれない、と思い当たりました。古代ギリシャの哲学者にはそれぞれ『自然(ピュシス)について』という著作があって、タレスなら「水」、ヘラクレイトスなら「火」といったように、世界の根源は何によってできているのかがそこで説かれていたと言います。この展示は私にとっての『自然について』になるかもしれないと思い、展覧会のタイトルにしました。また、今回コレクションに向き合うなかで「ピュシス(古代ギリシャ語で「自然」や「本性」を意味する言葉)」を追求していたのは私だけじゃなく過去のアーティストたちもそうだったのだと気づきました。たとえばパウル・クレーは、明らかに見えないエネルギーを追っている。モネも、雨で足場が悪いなかで崖っぷちにイーゼルを構え、自分なりに自然を描こうというパッションがあった。みんなそうやって、この世界をどうとらえるかを考えていたんだな、と。
あと、先日関連プログラムでヴィセンテ(・トドリ[ピレリ・ハンガービコッカ芸術監督])と話したとき、私の作品からは「メメント・モリ(「死を想え」の意のラテン語。代表的芸術モチーフのひとつ)」を感じると指摘されました。《Decomposition》(2021〜)の腐っていくフルーツ、《鬼火》(2013〜)の着想元である火の玉の現象、《アーバン・マイニング》の空き缶など、生と死が同時に存在していたり、循環していたりすることが多い。なるほどたしかにそうだな、と。そのように二極のものが同時に存在できることも、やはり運動と何かしら関係しているのだと思います。
──図録には毛利さんによる会場スケッチも収められていました。今回の展示は、作品の配置も絶妙で素敵だなと思いながら拝見していました。
毛利:ありがとうございます。あのスケッチは収蔵庫で描いたんです。作品インストールにかけられる時間がかなり短かったのと、コレクション作品は保護の観点から会場での作業が落ち着いた後でしか搬入できないので、作品の配置についてはかなりシミュレーションをしました。私の会場でコレクションと再対面できたのは開幕前日。それまでは正直かなり心細くて「これでホントに場が持っているかな」とかあれこれ思い悩んでた(笑)。でも、最後の最後にコレクション作品が配置されて、「あ、これこれ!」って。シミュレーションした通りで安心しました。
──前日が初対面でも、こんなにも作品同士が交歓しあうものなんですね。驚きました。
毛利:収蔵庫に何回か通ったり、展示替えのたびにアーティゾンに足を運んだりしていたので、“いろんなオケージョンで会ってる人(作品)たち”ではあって、そういう意味では結構親近感も湧いていたんですよね。あと、ポンピドゥー・センターでの大回顧展の際にブランクーシ《接吻》(1907〜10)のきょうだいにあたる《接吻》の別バージョンをたくさん見たり、モンパルナス墓地を訪れブランクーシが《接吻》型にデザインしたお墓も参りました。少しこぼれ話ですが、この墓石はブランクーシ作品の価値が上がったことでわざと見えないように木箱に入れられてしまい、近づくと「ここには近づかないでください」みたいなアラームが鳴るんです(笑)。かたや、マン・レイのお墓は酔っ払いに壊されていた。一緒にコラボレーションするとなったら、石橋財団コレクションを見るだけじゃなく、スキャンダルとかも含めて作家のいろんな角度を知りたくなる。そんなふうに自分の親近感もあるし、コレクションの作家も作家仲間だったり家系が近かったりと、何かしら近しい人たちが集まっているという側面は展示に影響しているかもしれません。
──毛利さんの作品はこれまで、私にとっては吊り下がり、たゆみ、上から下への水の流れなどが作品に取り入れられ、重力の存在を感じることが多かったです。ですが今回は枠を超えて空間に飛んでいくような飛躍、広がりを感じてとても新鮮でした。たとえば《めくる装置、3つのヴェール》(2018〜)では、作品の一部が枠の外に出て、壁の裏にまで到達していますね。
毛利:その“枠”については私も設営中に考えていました。今回、けっこう展示空間に“四角”が多いんです。なぜかと言うと、先ほども言ったように実際の展示空間上で実験する時間が少なくて、事前のシミュレーションを念入りにしたからです。結果、厳密な配置や台座・壁が多くなり、各所で“角張り”が生じてしまった。ヴェネチアは空間を自由に埋めていく感じでしたが、ジャム・セッションはそれでは時間が足りなくなってしまう。「四角い印象だな……じゃあその“枠”とはなんだろう?」と考えて、その“枠”を超えることが間接的にでもできたら面白いよね、と。電球の影やはみ出るケーブル、空き缶などで視覚的に誘導したり、あるいはご指摘にもあった壁裏に掛けた蝶々がさざ波のように映る写真作品(《Butterfly, Pleated》シリーズ、2017)を《めくる装置…》と《I/O》とを共振させる仕掛けとして最後の最後に付け加えてみたり。そういった見えない振動によって過去の作品もシェイクされるみたいなことが起こるんじゃないかと、細かい作業で調整しました。
──今回、インタビューにあたって“ピュシス”を調べたのですが、その意味について知るほど、たしかに毛利さんの作品に近しい言葉であるように思えました。図録によると、毛利さんは“ピュシス”を“自然”という言葉であると同時に、偶然性・不確定性としてとらえている。また、そういった偶然性・不確定性は“インプロビゼーション”とも通じるところがあり、毛利さんの作品の大きな要素であるように見えました。たとえば、“インプロビゼーション”が活動の小項目であるとするならば、“ピュシス”は現時点での大項目であるようにも感じられたのですが、そのあたりはいかがですか?
毛利:うーん、自分の大項目をわかってしまったら死ぬみたいな感覚があり……(笑)、まだまだ取り組むことはたくさんあると思っています。私は身の丈に合ったことをやろうっていうことを意識していて、自分が大それたことをやってやろうというふうには思わないようにしてるんです。教員としても、アスリートの素振りのように毎日作ることが大切だと教えていて、実際そうあるべきだと思ってもいる。「ピュシスについて」も大きなタイトルではあるけど、でもそれは大きなことをやりたくて飛びついたものではなくて、全然違う角度でちっちゃいことをたくさん重ねてきたことで、やっとたどり着いたものだった。だから、もちろん“ピュシス”は私にとって身近であり、今後も考える“よすが”となる概念です。作品作りはたぶん一生の仕事だから、小項目と言えるテーマを人生の中でどう作りつづけていくかのほうが、感覚としては大事にしたいですね。
──素振りを続けていく。
毛利:そう、それは作家としてだけではなくひとりの人間としても考えます。見る人が見ればご理解いただけると思いますが、ヴェネチアでの個展「Compose」には、環境問題から原発事故、パレスチナで起こっている悲劇まで、私としては珍しいくらい大きなテーマのレイヤーも重ねてあります。地球上の危機は各方面で大きく立ちはだかっている。でも、そこで発表した作品は大言壮語ではなく、私にとって身近な、雨漏りという“小さな問題”の提示とその解決の一端です。自分たちが生きていくなかで何ができるかというときに、自分の選択はとりあえずこうだとは言えるようにしたい。そのために必要なのは大項目ではなく、自分ができる範囲でコツコツと動き続けて、さざ波をいくつも起こしていくことが大事だと思っています。
野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)