公開日:2024年1月2日

ポーラ美術館「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ― 機械時代のアートとデザイン」展レビュー。機械はいったい人間に何をもたらしたのか?(評:小川敦生)

1920〜30年代のパリを中心に、ヨーロッパやアメリカ、日本における機械と人間との関係をめぐる様相を紹介する展覧会。ポーラ美術館にて12月16日~2024年5月19日まで開催中

会場風景 撮影:筆者

「機械時代」とは何か

現代をテクノロジーの面でとらえて、「デジタル時代」と呼ぶことに異論のある人はあまりいないだろう。約1世紀前にも、その流れに通じる呼び方があった。「機械時代」である。飛行機が初めて本格的に兵器として用いられた第一次世界大戦(1914〜18)が勃発するいっぽうで、欧米で自動車の量産が進んだのがこの時代だった。1927年には、ニューヨークで「機械時代展」と称する展覧会が開かれ、芸術作品と機械が並置されたという。

パリでは、1925年に「パリ現代産業装飾芸術国際博覧会」(通称「アール・デコ博」)という催しが開かれた。「芸術」という言葉が含まれてはいるけれども、印象派などのいわゆるファイン・アートとは少々異なる「装飾芸術」をテーマにした博覧会だ。「装飾芸術」はデザインに近い概念であり、産業界やテクノロジーとも密接に結びつく素地を持つ。ポーラ美術館(神奈川県箱根町)は、「アール・デコ博」を当時の価値観の「分水嶺」としてとらえた企画展を開催している。パリの動きを中心にアートとデザインの両面から機械時代の本質に迫ろうと試みた「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ― 機械時代のアートとデザイン」(2024年5月19日まで)展だ。

「デジタル時代」と呼ばれる現代においてインターネットやAI(人工知能)の功罪が取り沙汰されるように、「機械時代」にもテクノロジーがもたらす功罪があった。展覧会名に含まれている「モダン・タイムス」という言葉は、機械時代を風刺したチャップリンの同名映画(1936)から取っているという。そうした視点を持ちながらこの展覧会の会場を回ることで、何が見えてくるかを探った。

プロペラに魅せられたブランクーシ

第1章のテーマは「機械と人間:近代性のユートピア」。展示室に入ってまず驚くのは、部屋の中心に美術作品ではないものが広く場所を取ってまるで美術作品のように展示されていることだろう。蒸気機関や歯車のついた装置の模型だったり、小型の自動車だったりと、20世紀前半に機械がどんな発達をしていたかがわかる内容だ。美術館にあるからこそ「鑑賞しよう」という気持ちが湧いてくるのかもしれない。なかなか新鮮な体験である。

会場風景より、蒸気機関模型などを見ることができる第1章の展示室 撮影:筆者

周りの壁には、クロード・モネやモイズ・キスリングの油彩画が掛かっている。モネは鉄道の駅、キスリングは疾走する蒸気機関車を描いている。19世紀後半のモネの絵画が出品されているのは、機械時代を象徴する鉄道を先駆けて題材にしている作品だからだろう。

会場風景より、モイズ・キスリング《風景、パリ―ニース間の汽車》(1926) ポーラ美術館蔵 撮影:筆者

19世紀後半にヨーロッパで発達した鉄道は時代を牽引する存在であり、何よりも人々の活動範囲を大きく広げた。レジャーが盛んになったのも、鉄道あってこそのこと。人々のライフスタイルをも変えた。おそらくモネもキスリングも鉄道に愛着を感じて描いたのではなかろうか。筆者がとくに注目したいのは、キスリングの蒸気機関車に、心なしか人間のような趣を感じることだ。

飛行機は世界をさらに大きく変えた存在だ。移動時間を短縮して世界を狭くするなどの実利性は言うまでもないが、その前に、まず空を飛んだこと自体が人々に大きな衝撃をもたらしたに違いない。そのなかで、ひとりの美術家が注目したのはプロペラだった。美しさに惹かれて独特の造形を自分の表現に昇華させた彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシだ。

会場風景より、左から航空機用プロペラ(株式会社青島文化教材社)、コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》(1926[1982鋳造]) 滋賀県立美術館蔵 撮影:筆者

写真のブランクーシの作品のタイトルは《空間の鳥》。空を飛ぶものという点を除けば、明らかに鳥ではなくプロペラの形に想を得た造形だ。プロペラが持つ機能美をさらに研ぎ澄ませることでこの作品が生まれたのかと思うと感慨深い。ここで、第1章のテーマに入っている「ユートピア」という言葉を思い出したい。人間の能力を大幅に拡張する機械には、「ユートピア」に連れて行ってくれるという期待と実感を、この章の美術作品を通して感じることができたように思う。

大砲の機能美に魅せられたレジェ

フェルナン・レジェ(1881〜1955)は、機械時代の申し子と言ってもいい画家だ。《鏡を持つ女性》と題された油彩画では、機械の部品を思わせるような物を解体し、色彩を強調して美しく再構成するなかで、女性が手鏡の向こうでちらりと顔を覗かせる光景を描いている。

会場風景より、フェルナン・レジェ《鏡を持つ女性》(1920) ポーラ美術館蔵 撮影:筆者

レジェは第一次世界大戦従軍中に、大砲の砲身の機能美に魅せられたという。なんという感性の持ち主なのだろう。筆者の小学生時代には戦車や飛行機のメカニカルな姿に惹かれる子供は多くいたが、大砲の形はずっとシンプルだ。幾何学形の集合ともとらえられる《鏡を持つ女性》を見ていると、描かれた形の一つひとつにレジェの魂が込められているように見えてきた。女性の姿は機能美が集まった中に埋もれるようなかたちで描かれている。機械時代に身を浴したレジェ自身の気持ちが込められているのかもしれない。

蓄音機と呼応する絵画の数々

トーマス・エジソンが蓄音機を発明したのは1877年。20世紀に入るとレコードの量産が始まった。蓄音機は生活の場で音楽を聞く道具だからということもあったからか、工芸品としても美しい形を見せている。現代ほど雑音のない再生はできなかっただろうが、魂に響く音楽や声が聞こえてくる装置に、人々は夢中になったはずだ。

会場風景より、蓄音機とロベール・ドローネーの作品(奥の壁の右側の2枚)やワシリー・カンディンスキーの作品(奥の壁の左側の2枚)が同じ空間に並べられている様子 撮影:筆者

本展では、蓄音機が展示されている空間の周囲の壁に、ロベール・ドローネーやワシリー・カンディンスキーの絵画が掛けられていた。ドローネーは円環をモチーフに色彩豊かな画面を作り出したことで知られるが、蓄音機に載せるレコード盤の円環と呼応していたのが、はたして偶然だったのかどうかを考えてみた。

ドローネーもまた飛行機に魅せられ、プロペラに機能美を感じていたという。回転したときの残像が描く円環を見つめていたのだろう。いっぽう、レコード盤が円環なのも、機能美の産物だろう。円環状にすれば、回転するレコード盤の上にレコード針を載せる仕組みによって、片面数十分の録音を聞くことができる長さの溝が掘れるからだ。そう考えれば、蓄音機が載せるレコード盤とドローネーが描いた円環状のモチーフには、大きな共通点があることがわかる。

では、カンディンスキーのほうはどうなのだろう。カンディンスキーは1911年に作曲家のアルノルト・シェーンベルクの音楽を演奏会で聞いたのをきっかけに2人の間で手紙による交流を始めて以降、絵画の中で音楽的な表現を展開した。

会場風景より、左からワシリー・カンディンスキー《複数のなかのひとつの像》(1939)、ワシリー・カンディンスキー《支え無し》(1923) いずれもポーラ美術館蔵 撮影:筆者

そして、円や三角形、直線などの幾何学的形態をモチーフにした作品を多数描いた。そこに機能美を見出すのはそれほど難しくはないだろう。いっぽう、「有機的」という形容がふさわしい微生物のようなモチーフを描き始めた晩年は、機能美を離れているように感じる。ひょっとしたら、機械に支えられた生活のなかで、葛藤があったのかもしれない。

アール・デコの美に酔う

本展には、ポスターも多数出品されている。「装う機械:アール・デコと博覧会の夢」と題された第2章の展示室で見た1枚を紹介しよう。フランスのイラストレーター、ルネ・ヴァンサンの《ポスター「ヴォワザン」》だ。

会場風景より、ルネ・ヴァンサン《ポスター「ヴォワザン」》(1925頃) トヨタ博物館蔵 撮影:筆者

なんともエレガントなポスターだ。描かれた人物の在りようからは、高級車に乗る上流階級をターゲットにしたものであることがはっきりわかる。自動車本体の機能美をあますところなく伝えているのではないだろうか。テレビ放送がまだなかった時代のことゆえ、ポスターはいまにもまして重要な宣伝ツールだったと推察される。

ガラス作家のルネ・ラリックは、アール・デコを象徴するひとりである。本展の図録によると、1925年のアール・デコ博の会場で一際目を引いたのは、ラリックの13種類のガラス製の彫像128体を16段に積み上げた高さ15メートルの噴水塔《フランスの水源》だったという。

会場風景より、2点ともルネ・ラリック《香水瓶「ジュ・ルヴィアン(再来)」》(1929) ポーラ美術館蔵 撮影:筆者

マン・レイが数理モデルに注目した理由

第3章「役に立たない機械:ダダとシュルレアリスム」は、この展覧会の面目躍如たる章と見た。

会場風景より、アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(1924) 水戸野孝宣蔵 撮影:筆者

作家のアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』を著したのは、1924年のこと。その10年ほど前に、既存の価値観を否定する「ダダ」が登場。「シュルレアリスム」は、夢の記録などによって理性と現実を超えた表現を目指し、美術の世界にも大きく波及した。それはまさに、合理性が生んだ機能美の隆盛に疑問を投げかける動きだった。

会場には、木製メトロノームの振り子部分に人間の目を印刷した紙を貼り付けたマン・レイの《破壊されないオブジェ》や、裸婦なのか動物の姿なのかが判然としないサルバドール・ダリの《姿の見えない眠る人、馬、獅子》などが展示されていた。

多くの出品作は著作権の関係で本記事には写真を掲載できないのだが、ここでは、写真掲載が可能なオブジェをひとつ紹介しておこう。《数理モデル》(*)と題されたものだ。本展では数体が展示されている。どの立体も、魅力的な造形美を持つ。

会場風景より、《数理モデル(クエン曲面)》 東京大学総合研究博物館蔵 撮影:筆者

数理モデルとは、数学の数式を立体化したものである。いまならコンピューターで画像化することができそうだ。しかし、1世紀前にはまだコンピューターは存在していなかった。この立体を構成している曲面は数式で表されるもので、この模型自体は20世紀初頭にドイツから東京大学理学部数学科に伝えられたものという。理論上の存在である数式がこれほど美しい立体になるというのは、じつに興味深いことだ。近年は、その美に触発された美術家の杉本博司が、東大が所蔵する数理モデルに由来する写真作品や立体作品を制作している

では、なぜ本展で数理モデルが展示されているのか。由来はシュルレアリスムにあった。1936年にパリで「シュルレアリスム国際展」を開催した際にブルトンが発表したテキスト『オブジェの危機』と題したテキストに、マン・レイが《数理モデル》の写真を掲載していたのだ。しかし数理モデルは、論理的であることこの上ない存在だ。機能美の極みとも言えるものではないのか。それがなぜシュルレアリスムの展覧会に出品されたのか。まだ疑問が尽きない。マン・レイは、数理モデルが石膏製であることから、曲面が植物や自然物を想起させるところに着目した。おそらく矛盾を感じたのだ。数理モデルは、数式の完全な形であるはずなのに、石膏の質感はむしろやわらかくあいまいな印象を与える。マン・レイは、そのあいまいさこそ機械時代に必要なことだと考えたのではないだろうか。

空山基が描いたロボットが問いかけるもの

第4章は「モダン都市東京:アール・デコと機械美の受容と展開」と題され、当時の日本の動きを探った内容だった。まずは、醤油のポスターから。

会場風景より、杉浦非水によるポスター「ヤマサ醤油」 (1920年代・大正時代後期) 個人蔵 撮影:筆者

このポスターを制作したデザイナーの杉浦非水は、日本のグラフィック・デザイナーの草分け。地下鉄や百貨店など当時の都市の風景を題材にモダンなイラストを描いたポスターがよく知られている。それにしても、醤油の瓶をビルよりも高く描いたこのポスターはなかなか大胆だ。「アール・デコ」の流れとして紹介されているが、シュルレアリスムの成分も含んでいると見るのもおもしろい。

会場風景より、古賀春江《現実線を切る主智的表情》(1931) 西日本新聞社、福岡市美術館寄託 撮影:筆者

日本の美術界ではシュルレアリスムに傾倒した美術家も多かった。古賀春江はその代表格だ。古賀の《現実線を切る主智的表情》は、機関銃を持つ女性がハードルを飛び越えようとしている馬を狙っていること自体がシュルレアリスムたらしめているが、とくに注目したいのは、騎手がロボットであることだ。本展の企画を担当したポーラ美術館の東海林洋学芸員によると、1930年頃、日本はロボットブームだったという。古賀ははたしてロボットを否定し、ただ撃ち殺そうとしているのだろうか。おそらくそんな単純な風刺ではないだろう。ひょっとすると、撃たれても不死身なのではないか。そんなロボットが象徴する機械時代は、生半可なことでは終焉を迎えない。

しかし、じつは現代こそロボットの時代である。空想の話ではなく、産業用ロボットはもちろんのこと、ペット型、人型などの多くのロボットが、実社会で機能している。本展では、イラストレーターの空山基がロボットをモチーフにした作品が展示されていた。

会場風景より、空山基《Untitled》(2023) Courtesy of Nanzuka 撮影:筆者

空山がロボットをモチーフにした《Sexy Robot》を描き始めたのは1978年だった。1926年の映画『メトロポリス』に感化されてのことという。この映画では、アンドロイドの女性が最後に火あぶりにされる。ロボットと人間はどう違うのか。あるいはどう同じなのか。ロボットに対する根本的な向き合い方が問われる映画だったのだ。そして、空山が描いた《Sexy Robot》は外観こそメタリックだが、じつに人間的に映る。姿形や仕草が人間的だからであり、性の根源に迫っているからだろう。昨今話題のAIは、ロボットにもこれから多く組み込まれることだろう。映画『メトロポリス』による100年前の問題提起が、空山の作品を通じて改めて浮かび上がってきたことに気づく。さて、これから現代人たちはロボットとどう向き合うべきなのか。そんなことを考えさせられる。

機械は人間にとって大きな助けになり、もはや不可欠な存在になったし、機械自体に魅了される人々も多い。いっぽうで、機械に頼り過ぎれば人間の能力は退化し、戦争を引き起こす要因になるなどといった側面もある。アートとデザインの両面から機械との向き合い方を探った本展は、問題意識を持ちながら鑑賞すると、多くの気づきを与えてくれるだろう。

デジタルに挑んだリヒターの新収蔵作品

本展と同時に開催されているコレクション展示の中で、ゲルハルト・リヒターの新収蔵作品がお披露目になっていたので紹介しておきたい。2011年に制作を始めた《ストリップ》シリーズの1枚だ。

会場風景より、ゲルハルト・リヒター《ストリップ926-3》(2012) ポーラ美術館蔵 撮影:筆者

色の異なる細い横線をストライプ状に何重にも連ねた横長の画面と向き合うと、まず配色の美しさに魅了された。自然に視線が横方向に広げられるのも独特の快感につながっている。

じつは、この作品はリヒターの代表作シリーズである《抽象絵画》を基に制作されたという。個人蔵の《抽象絵画(724-4)》のデジタルデータを縦に二等分。分割したそれぞれをさらに二等分。それを合計12回繰り返して、最終的に4096本の極細の細線(ストリップ)にする。その中から1本を選び出し、鏡像を介するなどして、そこに含まれている色彩の粒をデジタル処理で横方向につなぐと帯状の表現になる。印刷し、アルミニウム板とアクリル板ではさむ。作品はこうしてできあがる。

重要なのは、この作品で美しさをたたえている色が、《抽象絵画》に潜んでいたものだったことだ。リヒターは何を描くかよりもどう作るかを大切にしているという。おそらくリヒターは《抽象絵画》を見ていて美しい色の粒が多数含まれていることに気づき、手法を考案したのだろう。基になった《抽象絵画》とは別の作品だが、この作品は、ポーラ美術館が約30億円で購入して話題になった《抽象絵画(649-2)》、さらには、その淵源となったフォトペインティングシリーズの1枚《グレイ・ハウス》と同じ部屋で展示されており、そのあまりにも破天荒な変遷をたどることができる。

会場風景より、ゲルハルト・リヒター《抽象絵画(649-2)》(1987) ポーラ美術館蔵 撮影:筆者

2011年に《ストリップ》シリーズが発表されたとき、1932年生まれのリヒターは60代を終えようかという年齢だった。写真さえも絵具に置き直して表現を深めることで新境地を開いてきたリヒターが、デジタルで新しい表現を始めたのである。当時の関係者はその斬新な作風の創出にものすごく驚いたという。10年を経て評価が高まり、同館での購入に至ったそうだ。

ここであえて、企画展「モダン・タイムス・イン・パリ 1925」との関連を探ってみる。このシリーズは、コンピューターという現代の文明を象徴する機械なしでは制作しえない。現代の人々は機械とどう向き合っていくか。リヒターはひとつの解を提示しているのではないか。

*──所蔵元の東京大学総合研究博物館では《数理模型》という名称で収蔵されているが、ここでは本展の表記にしたがって《数理モデル》としておく。



小川敦生

小川敦生

おがわ・あつお 美術ジャーナリスト、多摩美術大学芸術学科教授。『日経アート』誌編集長、日経新聞記者などを経て現職。著書に『美術の経済』。ラクガキスト、日曜ヴァイオリニストとしても活動中。