公開日:2023年8月15日

石川直樹+新城大地郎「なぜ僕たちは南の島にギャラリーを作ったのか」。宮古島・PALI GALLERYの誕生とこれから

沖縄・宮古島に2022年オープンした現代アートギャラリー「PALI GALLERY」。中心となり開設した写真家の石川直樹とアーティストの新城大地郎に思いを聞いた。

庭から見たPALI GALLERY

文化の土壌を耕す「畑」に

沖縄本島から南西約300kmの宮古島は、島外から訪れる人間にとって「南の島」のイメージそのものだろう。国の天然記念物に指定されている日本最大級のサンゴ礁群「八重干瀬(やびじ)」をはじめ、国内指折りの美しさの青い海。白い砂浜もある海岸線は変化に富み、亜熱帯に属する気候は年間を通じて温暖で花が絶えない。豊かな自然や景観を求めて訪れる観光客は年々増え、2018年度には島の人口(約5万5千人)をはるかに上回る年間100万人を突破した。

青く澄んだ宮古島の海

その宮古島に2022年5月、現代アートギャラリー「PALI GALLERY」が誕生した。宮古島にゆかりがある写真家の石川直樹と同島出身のアーティストの新城大地郎が開設の中心となり、共同でディレクションを行っている。作家として一線で活動している2人に、この地にギャラリーを作った思いを聞きに行った。

宮古空港から車で十数分の繁華街・平良(ひらら)地区。飲食店や土産物店がたち並ぶ一角にあるPALI GALLERYは、コンクリート打ちっぱなしのスタイリッシュな外観と、道路沿いに幾つも置かれた巨石が目印だ。ギャラリーの広さは80㎡ほど。外光がたっぷりと入る大きな窓と、大きな芭蕉が茂る前庭が目を引く。カフェも併設されて、野外の庇下にはベンチやテーブルが置かれ、訪れたときは男性が香り高いコーヒーを楽しんでいた。

宮古島の繁華街、平良地区にあるPALI GALLERYの入口

「沖縄県内は、そもそも現代アートに触れられる場所があまりないんですね。ギャラリーも少ないし、とくに宮古島ではアート作品を展示できるスペースがほとんどなかった。様々な表現を見せる・見ることができる場所は、地元の人もビジターにとってもあるといいし、互いに刺激を受けたり、創作を始めたりするきっかけにもなります」

そう語る新城大地郎は、1992年に宮古島に生まれ18歳まで育った。静岡文化芸術大学で建築を学び、卒業後に幼い頃から親しんだ「書」を軸とするアーティスト活動を開始。自作した墨や宮古島の藍を使い、身体性と空間性を伴うコンテンポラリーな表現を追求し、国内外で展示やコミッション・ワークを行っている。今年4月に東京・新宿にオープンした複合施設「東急歌舞伎町タワー」に作品が常設されるなど、注目される若手のひとりだ。

アーティストの新城大地郎 ©︎MasatoKawamura
東急歌舞伎町タワーに設置された新城大地郎《東京、愛の根》(2023) 写真提供:PALI GALLERY

歴史ある場所の思いを引き継いで

関東やロンドンに住んだ新城が宮古島に戻ったのは2019年夏。アトリエとして借りたのがギャラリーのある土地に立っていた古い建物で、様々なアート関係者がアトリエを訪れるようになり、学生時代から島に通う石川直樹とも知り合った。石川とは北海道・知床で仕事を一緒にする機会もあり、親交を深めたという。老朽化による建物の解体と新築が決まり、オーナーと石川も交えて今後を語り合うなかで浮上したのが、「アートギャラリーをつくる」ことだった。

「前の建物は戦後すぐ歯科医院として建てられ、夜になると学校の先生や文化人が庭に集まるサロンのような場所で、島唯一の禅寺である祥雲寺の住職だった曾祖父もそのひとりでした。その後ギャラリーに転用されて宮古島と縁が深い写真家・東松照明の展示などが行われ、僕の入居前は石川さんも個展をしたことがあるギャラリー兼カフェ『ウエスヤ』(現在は別住所に転居)だった。つまり芸術表現の香りがつねに漂う、島の歴史ある文化拠点地だったんですね。その灯を消さずに伝えたい思いが皆にあったのだと思います」(新城)

ギャラリーの内装は、地元の素材を生かす改修に定評がある建築コレクティヴ「403architecture【dajiba】」(静岡県浜松市)に依頼。アート作品の展示に適したシンプルな空間に、地元の琉球石灰岩と赤土を使ったカウンターや型枠材を再利用した木のテーブルが温かみを添えている。ギャラリー名に冠した「パリ」は、宮古島の言葉で「畑」を意味し、「文化の土壌を耕していく」思いを込めた。

カウンターやベンチには、宮古島の琉球石灰岩と赤土が使われている
PALI GALLERYがあるウエスヤビルの外観

アーティスト・イン・レジデンスも実施

昨年は、オープニングに僧侶で民俗学研究者でもある祖父の岡本恵昭が1960~70年代に宮古島の祭祀を撮影した写真展、新城の作品展や石川の写真展を行い、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム「PALI GALLERY AIR」も開始。その第1回として沖縄の与那国島と東京を拠点に活動するアーティスト山﨑萌子が滞在制作を行い、宮古島で採集した苧麻(ちょま)や芭蕉で作った紙を用いた立体、平面作品を発表した。今年は、すでに写真家の勇崎哲史と石川竜一の2人展や台湾の作家6組の展覧会などを実施し、8月12日~9月10日は目に見えないファンタジーをコンセプトとする画家の山瀬まゆみの個展「色と内と外」を開催している。

山﨑萌子 「むすう」展の会場風景 写真提供:PALI GALLERY
勇崎哲史&石川竜一「みゃーく好光」展の会場風景 写真提供:PALI GALLERY

「特定の分野にこだわらず、平面、彫刻、写真、クラフトなど様々な作品を紹介していきます。地元の人が気軽に立ち寄ってアートに触れることができ、また全国から文化に関わる人たちが集える場所になれればと思っています。まだ島の人に『入場料いるの?』と聞かれたりもするので、今後は食のイベントやマーケットなど親しみやすい催しも行い、より地域に開かれたスペースにしていきながら、トップアーティストの作品も紹介したい。たとえば、雪が降らない宮古島で、石川さんが登頂したヒマラヤの写真を見ると、いつもと違う感性が刺激されるかもしれない。宮古島は公営の美術館がないので、地域の子供たちがアートの魅力や可能性を知るきっかけになれたらいいですね」(新城)

石川直樹「Road to K2 」展の会場風景 PALI GALLERY 提供

アジアに向けて発信したい

共同でギャラリーのディレクションを行う石川直樹に東京で話を聞いた。石川は1977年東京生まれ。北極点―南極点の人力踏破や七大陸最高峰登頂などを成功させてきた「冒険する写真家」だ。取材した日は、中国・パキスタン国境にあるガッシャブルムⅠ峰(標高8080m)登頂から帰国したばかりだった。

宮古島にて、写真家の石川直樹 本人提供

「大学院在学中、日本列島を島の連なりとしてとらえ直すという試みのなかで、沖縄の島々に通い始め、写真集『ARCHIPELAGO』(2009)に収録した写真を撮り始めた頃から宮古島には頻繁に通うようになりました。列島の来訪神儀礼を撮影した写真集『まれびと』(2019)には、島の祭祀『パーントゥ』も入っていますが、長く縁が続いていまは半分住んでいるような感覚です。宮古は、距離だけだと東京より台湾のほうが近いですし、広くアジアに向けて発信できるギャラリーになればと思う。宮古島は、日本という枠組みからすれば南の端ですが、海洋アジアという視点で見ると、四方八方から人もモノも流入してきた基点であり、交易も盛んだった。国境の意味やアジア島嶼部とのつながりを考えるうえでも非常に興味深い場所です」(石川)

絵のように美しい景観を見せてくれる宮古島は、水不足など過酷な自然条件と「中央」による搾取に苦しんだ地でもある。搾取を象徴するのが、宮古・八重山諸島の一定年齢の男女に課せられた重税「人頭税」だ。薩摩支配下の琉球王国時代に始まり、明治維新後も住民運動により1903年に廃止されるまで続いた。いっぽう独自の歴史と文化を持ち、その一部は島内に残る様々な史跡やかつて人頭税として女性が収めた精緻な宮古上布などにうかがうことができる。

15世紀~16世紀初頭に宮古島を支配した仲宗根豊見親(なかそね・とぅゆみゃ)が親の霊を弔うため築造したとされる石造墳墓「豊見親墓」(国指定重要文化財)

人類学や民俗学の領域に関心を持ち、作品を発表してきた石川は次のように語る。

「やはり内地の人は宮古島に対して海や自然のイメージが強いと思うんですが、ここはもっと多様で複雑な歴史や文化、精神風土があり、今も色々な人たちが動いている。従来の宮古島のイメージを覆すような作品がギャラリーの活動から生まれてほしい。ここでアートに触れる子供たちや創作したいと感じている島の人たちの背中を押せるような存在になりたいと思っているんです」

作家たちが自らの手で創造の種をまき、耕していく。そんな「PALI GALLERY」の今後に期待したい。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。