コロナ禍以降、当たり前にある日々の暮らしを省みる機会の増えた昨今において、「民藝」と素朴な美しさを持つ民芸品が注目されている。東京国立近代美術館で開催された「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」(2021)が話題になったことも記憶に新しい。大阪中之島美術館で開催されている「民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある」展(7月8日〜9月18日)を、近現代工芸を専門とする研究者・佐々風太がレビュー。【Tokyo Art Beat】
「民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある」展が、大阪中之島美術館で開幕した。会期は9月18日まで。その後約1年半をかけて、福島、広島、東京、富山、愛知、福岡の6会場を巡回する。
本展は、思想家・柳宗悦(1889〜1961)が提唱した「民藝」について、柳の存命中および没後の展開をたどるもの。日本民藝館に収蔵されている柳の蒐集品を中心に、陶磁器・染織品・ガラス工芸など、約150点を展示している。
展示は3章で構成されている。第1章「1941生活展-柳宗悦によるライフスタイル提案」、第2章「暮らしのなかの民藝-美しいデザイン」では、柳の存命中に焦点を当て、彼が日本民藝館で行ったモデルルーム型展示の再現を試みるとともに、「衣・食・住」を切り口に柳の蒐集品を整理する。
本展が特徴的なのは、1961年に柳が没した後の民藝をめぐる動向について、第3章「ひろがる民藝-これまでとこれから」で取り上げていることだ。
本展監修の美術史家・森谷美保は記者内覧会にて、「近年、民藝に関する展覧会が美術館で繰り返し開催されてきたが、柳宗悦の生涯をたどるものになりがちだった」と語る。それを踏まえた本展第3章では、まず、民藝運動同人の濱田庄司(1894〜1978)、芹沢銈介(1895〜1984)、外村吉之介(1898〜1993)が1972年に出版した『世界の民芸』(朝日新聞社)を紹介。同書で扱われた北米、中南米などの器物を展示している。続いて、大分県(小鹿田焼)、兵庫県(丹波布)、岩手県(鳥越竹細工)、富山県(八尾和紙)、岡山県(倉敷ガラス)という、5つの産地の現代の動向について紹介している。また最後には、近年民藝をめぐって独自の観点からプロデュースを行ってきた、MOGI Folk Art ディレクターのテリー・エリスと北村恵子の動向を取り上げている。本展は「柳宗悦の民藝」をたどるとともに、「柳宗悦以外の民藝」をたどるものでもある。
2021年から22年、東京国立近代美術館では、「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」が開催された。同展と今回の「民藝 MINGEI」展では重複した展示品も目立つが、このふたつは、コンセプトにおいて、また展示空間において、好対照をなすと言ってよさそうだ。分析的な視点を重視し、多くのキャプションとともに柳らの活動や思想を検討していた「民藝の100年」展に比べると、「民藝 MINGEI」展はすっきりとした展示空間を特徴とし、きわめて素朴に、柳らの蒐集品や言葉を紹介していくものだ。
少なからぬ研究者や批評家が留意するであろう、柳らの思想における美術と工藝の区分の問題や、作家と職人の区分の問題、「中央」と「辺境」の関係性の問題には踏み込まず、それらが解消される日々の「暮らし」の位相が重視される。「あまり難しいことを考えず」鑑賞してほしい、という記者内覧会での森谷の言葉は、それを端的に示す。批判的な視点で民藝を見たい来場者には物足りないかもしれないが、説明的でない会場構成は清々しく良質であり、斜に構えることなく民藝の世界に出会いたい人にはうってつけの展覧会だろう。
心に留められてよいのは、本展が、柳宗悦没後の民藝をめぐる動向を重要なテーマのひとつとするものの、それを網羅的に検討するものではないということだ。柳の没後、民藝のとらえ方はきわめて多様だ。いくつか例を挙げてみよう。
柳が1961年に死去した後、民藝運動の内部では、本展でも紹介された濱田庄司、芹沢銈介、外村吉之介や、田中豊太郎(1899〜1981)、鈴木繁男(1914〜2003)といった同人たちにより、柳の見ることのなかった種の造形物が紹介された(*1)。他方、1960年代後半から70年代にかけて、民藝運動を離れて民藝-「民芸」-はブームとなり、民藝運動の側は「似而非(えせ)の民芸ブームを一掃しよう」といった言葉とともに、危機感をもってそれを受け止めた(*2)。
民藝と工業デザインの接続の問題が民藝運動の内外で議論されてきたこともよく知られている。たとえば湯浅八郎(1890〜1981)は、新幹線もまた民藝の文脈の中に位置付け可能だとする「新幹線民藝品試論」を提唱した(*3)。また、柳宗悦の長男でデザイナーの柳宗理(1915〜2011)は、ブラウンのシェーバー、野球ボール、ジープなどを「新しい工藝」「生きている工藝」と位置付け、民藝の概念の刷新を図った(*4)。
これらは、民藝をめぐる20世紀の動向をかいつまんだものに過ぎない。そして21世紀、民藝は「暮らし」や「ライフスタイル」と言った言葉とともに新たにブームとなっている。そのなかにも、きわめて多様な作り手や、キュレーター、バイヤーなどがおり、それぞれ独自の民藝解釈を示している。家庭料理と民藝を結びつける料理研究家の土井善晴は、その筆頭に挙げられる人物だろう(*5)。
柳宗悦の没後の民藝は、その多元化に大きな特徴があると言っていい。これを踏まえると、本展第3章で提示されているのは、企画者によって切り取られた、民藝をめぐる数多い動向の一部であることがわかる。上に見てきたような多様な人々や議論を概観したり、その一つひとつを仔細に検討することが本展の主旨ではないと評者は理解したが、だからこそ第3章で描かれる民藝の系譜については、なぜその系譜なのか、なぜそのように絞り込まれているのか、という点が明示されてもよかったのではないか。
柳の継承者として、濱田や芹沢など柳と接点のあった最初期の民藝運動同人を位置付けることに異論はないだろう。だが、数ある民藝ゆかりの産地のなかから、なぜその5ヶ所が選ばれているのか。あるいは、民藝の問題を考えてきた様々なキュレーターやバイヤーたちのなかから、なぜMOGI Folk Artのふたりが選ばれているのか。これらの絞り込みの理由は、本展を最後まで見ても特に明かされるわけではない。この点が整理されて示されるほうが、第3章の意義はより明瞭に浮かび上がっただろう。
柳宗悦が見出した民藝の世界を現代にいかに継承するのか。それはあまりに複雑で豊穣な問題だ。民藝運動の第二世代にあたる染色家の岡村吉右衛門(1916〜2002)は、民藝という言葉を使うことを「極力控えています」「民藝は柳宗悦先生だけの言葉ではないか、と思ったりしていますけど」とまで言った(*6)。本展を見る来場者も、会場で提示される民藝の系譜について、共鳴するなり、違和感を持つなり、何か思うところがあるだろう。それが今日の民藝について再考するきっかけとなるはずだ。
本展が実現し、全国巡回することを喜びたい。そして、本展をめぐって、多くの議論が生まれることを期待したい。
*1──鈴木繁男「挿絵解説(グラフ・蓮弁文の壺)」『民藝』(141号・1964年9月号)日本民藝協会、1964年、ほか
*2──外村吉之介・水尾比呂志「日本民芸青年夏期学校報告」『民藝』(268号・1975年4月号)日本民藝協会、1975年
*3──湯浅八郎「新幹線民藝品試論」『民藝』(317号・1979年5月号)日本民藝協会、1979年
*4──柳宗理「新しい工藝・生きている工藝」『柳宗理エッセイ』平凡社、2011年
*5──土井善晴『一汁一菜でよいという提案』グラフィック社、2016年、ほか
*6──岡村吉右衛門・柳悦孝「現代の民藝と柳宗悦」『柳宗悦全集 第十一巻』筑摩書房、1981年
佐々風太
佐々風太