公開日:2023年6月16日

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」(東京国立博物館)レポート。暦に生贄、計画都市……魅力溢れる出土品で辿る数千年の歴史

東京会場は6月16日〜9月3日、福岡・大阪にも巡回。古代メキシコの魅力に造形面から迫る。

「古代メキシコ」展が東京・福岡・大阪で開催

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」が、上野の東京国立博物館平成館にて、6月16日に開幕する。会期は9月3日まで。巡回も予定されており、九州国立博物館(福岡県)にて10月3日~12月10日、国立国際美術館(大阪府)にて2024年2月6日~5月6日に開催される。

紀元前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻までの3000年以上にわたり、メキシコでは様々な古代都市が生まれ、独自の文化が花開いた。本展はそのなかから、とくに人気を誇る「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点を当てる。地域の共同体や文明を育んだ神と自然への祈り、そして多様な環境から生まれた独自の世界観と造形美を通して、古代メキシコ文明の奥深さに迫る展覧会だ。

会場風景

古代メキシコへのいざない

冒頭は、古代メキシコの文明をダイジェスト的に見ることができる「I 古代メキシコへのいざない」。紀元前1500年頃にメキシコ湾岸地方に誕生した最初期の古代文明であるオルメカ文明から、マヤ文明、アステカ文明、テオティワカン文明まで、注目の出土品が展示される。

《オルメカ様式の石偶》は紀元前1000〜400年と非常に古いもので、ヒスイのつるんとした表面となんとも言えない表情が愛らしい。じつは半人半ジャガーの幼児像で、オルメカ文明の宗教的観念を表すものだと考えられる。

オルメカ文明より、《オルメカ様式の石偶》(紀元前1000〜400)

自然環境はメキシコの文明に大きな影響を与えてきた。ジャガーはアメリカ大陸最大のネコ科の動物で、食物連鎖の頂点。同時に神への生贄として捧げられたり、毛皮のために狩られてきた。マヤ文明からも《ジャガー土器》(600〜950)が出品されている。

その横の《フクロウの土器》(250〜600)は、よく見ると蓋の上部にフクロウの頭部がついていてなんとも可愛い。このレプリカをどこかの食器メーカーから出してほしいくらいだ。夜行性のフクロウは、死を予言すると考えられていたらしい。

左から、マヤ文明の《フクロウの土器》(250〜600)、《ジャガー土器》(600〜950)

このほか、天体と暦人身供犠球技といったトピックとともに、様々な出土品が展示されている。

マヤ文明の《球技をする人の土偶》(600〜950)。ゴムボールを使った球技はオルメカ文明から現在に至るまでメソアメリカ各地で行われてきた。

マヤ文明の《球技をする人の土偶》(600〜950)。なんとも言えない丸みとスピード感のバランスがいい
マヤ文明の《貴人の土偶》(600〜950)
アステカ文明の《装飾ドクロ》(1469〜81)。死後、胴体から切り離され肉を削がれた頭部。頭蓋骨をマスクにするために、巻き毛を挿し込んだり貝殻などで装飾が施されている

謎多き計画都市、テオティワカン

メキシコ中央高原にある盆地に築かれた古代計画都市、テオティワカン。2000ほどの住居用アパートメントに10万人ほどが住んでいたとされるが、確認されている絵文字は未解読で、主な使用言語もわからないという謎多き都市だ。中心地域に三大ピラミッドが造られ、斬新な天文学に基づく暦や特異な多神教、先端技術を持ち、他地域からも人々が集まる国際都市だったと考えられている。

テオティワカン文明の《死のディスク石彫》(300〜550)

「II テオティワカン神々の都」の章では、「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「羽毛の蛇ピラミッド」に関する品々が展示され、この文明の世界観、宗教観などが紹介される。

「羽毛の蛇ピラミッド」とは、ちょっと不思議なネーミングだと思われるのではないだろか。一辺約400mの城塞の中心神殿となるのがこの羽毛の蛇ピラミッドで、王族らの住居や国家施設を備えていた。その壁面には、権力を象徴する《羽毛の蛇神石彫》と、時(暦)の始まりを表すシパクトリ神を象った石彫で覆われていた。このふたつの石彫は、本展の目玉のひとつだろう。

テオティワカン文明の展示より、右手前が《羽毛の蛇神石彫》(200〜250)、左奥が《シパクトリ神の頭飾り石彫》(200〜250)

2003年には羽毛の蛇ピラミッドの下に古代トンネルが発見され、そこでの出土品も出品されている。

都市を彩った壁画や飾り、土器なども美しい。

テオティワカン文明の《嵐の神の壁画》(350〜550)
テオティワカン文明の《三足土器》(450〜550)。モチーフは当時最大の関心ごとである生贄儀礼の様子。神官か戦士と思われる人物が右手に心臓が突き刺さったナイフを持っており、その前には生贄犠牲者の心臓から発せられる言葉のサインが描かれている

暦や文字、高度な知識を誇ったマヤ文明

紀元前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えたマヤ文明。後1世紀頃には王朝が成立し、都市間の交易や交流、時には戦争を通じてネットワーク社会を形成した。

「III マヤ都市国家の興亡」では、ピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、暦、そして文字体系などに特徴を持つマヤの文化的発展と王朝史を紹介。

会場風景

注目は、洗練された彫刻や建築と碑文の多さで知られる中規模都市パレンケに関する展示だ。戦争と外交で周辺地域に影響力を持ったパカル王は、王宮の拡大に注力し、マヤ地域でもっとも壮麗な建築物を築いた。

マヤ文明の《パカル王とみられる男性頭像》(620〜683)

このパカル王の遺体が置かれた碑文の神殿の隣にある13号神殿で、1994年、真っ赤な辰砂(しんしゃ、防腐剤などとして使われる鉱物)で覆われた女性の骨が発見。「赤の女王」と呼ばれるこの女性は、パカル王の妃であった可能性が高いという。本展では孔雀石で作られた《赤の女王のマスク》や頭飾り、胸飾りなど、豪勢な埋葬品が本邦初公開される。

マヤ文明の《赤の女王のマスク》(7世紀後半)をはじめとする埋葬品
マヤ文明の《赤の女王のマスク》(7世紀後半)をはじめとする埋葬品

マヤ文明は美しい美術品を誇るが、それらには社会的な意味があると語るのは、猪俣健アリゾナ大学教授だ。

「文字や彫刻は上流階級や王族の権威とつながっている。そういう意味でパレンケは重要です。(学術的な)転機となったのは1952年にパレンケの神殿の下にある墓が発見されたこと。それまではマヤ文字が解読されておらず、マヤ人は天文学や数学の研究ばかりしていたと考えられていたが、王墓が発見されたことで彼らが権力闘争や戦争をしていたことがわかりました。

また赤の女王の墓を見ていただくと、マヤというのはただ神秘的な文明ではなくて、そこに生きた人々の生活や心配事や苦労といったものが反映されていることがわかってもらえると思います」。

また、現在の視点からこうした出土品を見ることの重要性も以下のように強調した。

「マヤ文明の主要な都市の最盛期は7〜8世紀。その後マヤ文明は崩壊したと言われますが、終わったわけではありません。スペインによる侵略などによって非常に苦しい時代が続きましたが、そこに人々は生き続け、新しい伝統を築いてきた。ですので、展覧会を見ていただくときは、マヤ文明を滅びたものではなく、現在まで続いている文化伝統だと見ていただきたい」。

会場にて解説をする猪俣健アリゾナ大学教授
会場風景
マヤ文明の《チャクモール像》(900〜1000)。腹の上に皿のようなものがあり、そこに捧げ物を置いたという解釈が一般的。人身供犠の犠牲者から取り出された心臓が置かれた可能性もある

軍事力と創造性に富んだアステカ文明

13世紀にメソアメリカ北部から中央部へとやってきたメシーカ人らが、1325年に築いた首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は、その後20万人以上の人口を抱える大都市へと成長。近隣とも同盟を結び、軍事力と貢納制度を背景に繁栄を謳歌したのがアステカ文明だ。

「IV アステカテノチティトランの大神殿」では、他地域と交流を重ねながら歴史的に類を見ないほどクリエイティブな環境を築いたというアステカ文明に焦点を当て、その建築や絵画、とりわけ彫刻における力強い発展を紹介する。

アステカ文明の《鷲の戦士の像》(1469〜86)

軍事的拡大をおこなったアステカ文明らしい展示が《鷲の戦士の像》(1469〜86)だ。この等身大の像は王直属の「王の鷲軍団」の高位の戦士、もしくは英雄的な死を遂げ鳥に変身した戦士の像だと考えられている。

《トラロク神の壺》(1440〜69)は美しいブルーが印象的だ。トラロクとは雨の神で、メソアメリカでもっとも重要視された存在。多くの祈りや供物、生贄が捧げられた。人神供犠はこの地域における重要な文化だった。

アステカ文明の《トラロク神の壺》(1440〜69)
アステカ文明の《ミクトランテクトリ神の骨壷》(1469〜81)。人間の血肉をひたすら貪るという神が象られている。生贄の執行者であり、同時に生をも司る存在だ

テンプロ・マヨール大神殿における最近の発掘調査で見つかった、貴重な金の装飾品も展示されている。

アステカ文明のテンプロ・マヨール大神殿から発見された《金の耳飾り》(1486〜1502)など

ここまで見てくると、「古代メキシコ」といっても紀元前から16世紀まで数千年に及ぶ時間が流れていることがわかるだろう。メソアメリカ地域で誕生・発展した多様な文化芸術や生活様式、社会構造をひとことで表すことは不可能だが、本展ではその深みに出土品の造形的な魅力を通して触れることができる。特に気になったポイントを自分で深掘りしたり、本展のその先としてスペインによる植民地支配がこの地域にどのような影響を与えたかを考えてみたくなるかもしれない。古代文明の神秘や謎といった魅惑のヴェールの後ろにある、実際に生きた人々の存在にも思いを馳せながら、展示と対峙してみてはどうだろうか。

オリジナル・グッズもクセ強め。《羽毛の蛇神石彫》のペンケース&シュシュ(税込3700円)
ショルダーバッグ(税込3700円)
グッズ売り場

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。