「名建築にアートが住み着くマツモトの冬」。今年が初めてとなる「マツモト建築芸術祭」が開幕し、17人のアーティストが松本城から800m以内のエリア内の19ヶ所で展示する。会期は2月20日まで。
この芸術祭を仕切るのは、アートディレクターでグラフィックデザイナーのおおうちおさむ。多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業後、田中一光に師事。ソールライター展のポスターや「日本美術全集20巻」などのグラフィック・デザインから、KYOTOGRAPHIEの空間デザインまで、平面イメージを仕事の基礎にしながら空間など包括的なデザインを手がける。近年では「千の葉の芸術祭」でアートディレクターを務め、マツモト建築芸術祭は、おおうちにとって2回目の芸術祭となった。
おおうちは、会場とアーティストの選定のほか、フライヤーやロゴなどすべてのグラフィックのデザインや会場設計も自ら行なった。まさに、デザイナーがトータルデザインした芸術祭である。とくに長野県出身で2022年2月2日に生誕100周年(*1)を迎えた松澤宥(1922〜2006)の作品を展示する池上百竹亭 茶室(1958年竣工)は、おおうちらしい空間構成だろう。カラフルで有機的なフォルムを持つ茶室についてのスケッチを、ポップな色使いの空間にレイアウトした。
おおうちと松本の出会いは、松本市美術館のロゴ。おおうちが田中一光デザイン室に勤めていたとき、このロゴを担当した。そこで、本芸術祭の発起人であり、実行委員長の齊藤忠政とも出会った。齊藤は、松本市出身で扉温泉などを手がける扉ホールディングス株式会社代表取締役。スクラップアンドビルドで変容してく松本の姿を憂い、どうしたら大好きなユニークな松本の景観を残す事ができるか、おおうちに相談したという。
そこで、おおうちは「建築とアートを組み合わせたら、何か化学変化が起きるのでは?」と提案。国宝から無名の建物まで様々な「名建築」を選び出し、それぞれにアーティストをがっちゃんこ。お見合いさせた。指名されたアーティストたちは、展示室やホワイトキューブとは異なる環境と「名建築」にどう応えたのか。
まさしく化学変化が起きた必見の展示として、割烹 松本館 x 太田南海 x 小畑多丘を紹介したい。小畑多丘はもともと、国の有形文化財である松本聖十字教会で展示予定だったが、急遽、登録有形文化財の「割烹 松本館」(1890年創業、1935年頃竣工)での展示が決まった。しかし、その偶然は必然なのか、多幸感ある調和を生み出していた。
割烹 松本館を設計・監修したのは、松本生まれの彫刻家・太田南海(1888〜1959)。人形師の父に才能を見込まれ、米原雲海、高村光雲に師事。岡倉天心にも手ほどきを受けたそうだ。独立後、割烹 松本館2代目店主に依頼され、4年余りの歳月をかけ同館を完成させた。1階は趣の異なる個室が6つ。「葡萄の間」は南海自身が手がけたとされ、長野県の特産品ぶどうと栗鼠がモチーフとなった可愛らしい部屋だが、その超絶技巧にも注目。
2階は、祝宴を目的とした大広間。99畳ある長方形の平面で、シンメトリーな空間。この「鳳凰の間」のど真ん中に、小畑多丘の《KIIROI B GIRL》が設置された。背丈は170cm弱で、台座の上ではなく、畳の上に直置きされている。
小畑は小学生のときにブレイクダンスに魅了されて以来、ブレイクダンサーとして踊りながら、そのダイナミックな躍動感を木彫でも表現している。本作はロンドン滞在中(2019年5月〜2020年3月)に制作されたシンメトリーシリーズ「B GIRL」の1点。
21本の角材を組み、塊を作って手のみや彫刻刀で掘っていく。(*2)ジャケットのパターンはシリーズのなかでもっとも複雑な構造で、ブロックひとつずつに目をやると、面が上を向いたり、下を向いたりしている。また髪の部分では面が互い違いになっている。
横から見ると、だいぶ骨盤が前傾しており、絶妙なバランス感覚を発揮しているようにも見える。畳の上なのでハンディはないはずだが、真似しようとすると太ももと腹筋が痛い。お尻の筋肉も彼女はかなりありそうだ。
身体がブロックで刻々と刻まれる様子から、カルロ・カッラやウンベルト・ボッチョーニなど未来派の作品を思い起こす。同時に、面としてより単一のユニットとして認識しやすく、規則的な配列であることから、デジタルな側面をもっているように感じた。ビビッドな蛍光イエローも、サイネージ空間に慣れた現代人らしい感性なのかもしれない。
いっぽう、大広間に目をやると床柱や腰板すべてに、吉祥の文様が所狭しと施されている。右側の床柱には延命長寿を意味する物語と、右側は立身出世を意味する鯉の滝登りが克明に彫られている。組子障子の下の腰板には亀の絵、折上格天井には鶴と百花百鳥。金子嶺挙が絵は手がけたそうだ。木彫も板絵も、非常に細かなタッチでリアルに描かれている。
同じ素材(木)と同じような道具(ノコギリ、手のみ、彫刻刀など)が使用され、シンメトリーに作り上げている共通点を持っているからこそ、比較ができ、馴染むのかもしれない。そして蛍光色で、ストリート風で、デジタルな印象を持つ木彫と対照されることで、生き物や自然の生命力をとらえたリアリスティックな木彫の特質もより鮮明になる。明治と現代の彫刻家が時代を超えて共演し、いましか見られない特別な空間に仕上がっている。
もともと綺麗に保存されていた松本館に対して、「旧宮島肉店」は長らく使われておらず、撤去や解体作業からプロジェクトをスタートした。1895年頃に松本で最初に創業した精肉店で、1966年頃まで営業していたそうだ。松本市近代遺産には登録されているが、誰がいつ設計して、いつ建ったのかわからない。白く塗られた外壁は左右対称にデザインされ、端正な佇まいだ。
「旧宮島肉店」を任されたのは五月女哲平。精肉店の閉店後も様々な用途で使われたため、当時の状態に戻すのではなく、建築家の片田友樹に水平垂直の出し方や構造の安全面について相談しながら、可能な限り建物自体の骨格を露わにさせた。建物は店舗と加工室に使用されていた部屋が小上がりになっており、床は、コンクリートの土間で、研ぎ出しの窓とカウンターで入口と部屋を仕切っていた。五月女は、最近、アーティスト以外とのコラボレーションの機会が増え、建築的な関心も大きくなっているという。
この作品に入っていちばん最初に驚くのは、聞き馴染みのあるような、ないような、独特なサウンド。これは映像作品《I can listen, even if you’re not listening carefully》(2019、14分47秒)の一部で、シンガーソングライター折坂悠太の声だ。映像は3つのパートからなっているが、3つを水平線と「アメーバのようにいろんなものを連想させる」折坂の声で結ぶことで、異なる歴史に共通する問題を浮き彫りにさせる試み。
映像のいちばん左には、五月女の地元である栃木県から埼玉、群馬、茨城をまたぐ「渡良瀬遊水地」の風景も映し出される。この広大な美しい湿地は、足尾鉱毒事件で溜まってしまった鉱毒を沈殿させ、地面の下には集落が沈められた過去を持つが、ラムサール条約に登録され、市民の憩いの場となっている。
いっぽう右の映像は、五月女がレジデンスをした高知県須崎市が舞台。南海トラフに備えて、美しい海に津波防災堤防が設けられている。これから来るかもしれない未来を想定している場所だ。過去の蓄積と未来への想定、矢印は異なるが時間を内包している2つの場所の映像をつなげるのが、真ん中の映像。巨大な筒の中で折坂がパーカッションを奏で、その筒の外からサウンドが漏れている様子を撮影したものだ。
ロシアやイランなどで思春期を過ごし、世界の様々な姿を見て体得している彼だからこそ生み出せるような、柔らかさのある声が離れた場所と時間を紡ぐのでは、と五月女は言う。
映像作品の手前で入口と小上がりの空間を、また小上がりの空間と裏手を区切るのは《Mirroring》(2022)。アクリル板とガラス戸で仕切られた部屋には、肉屋の時代から飾られていた牛の絵が掛けられている。あえて入れないようにすることで、鑑賞者はじっと凝視することになる。牛の絵が象徴する肉屋時代がぼんやりと想起され、時間の隔たりが物理的に作られているように感じないだろうか。
また、映像作品の奥にあり、今回の芸術祭のメインビジュアルにも起用された《Figure》(2012)も背景は真っ黒。《I can listen, even if you’re not listinig carefully》もだいぶ暗く、見えている部分が限られている。五月女は出展作以外にも、色を廃し黒を基調とした作品を多く描いている。隠れた部分や埋めた部分の隙間から見えるものがあれば、そこに目線が集中する。わかりやすいものに頼るのではなく、一歩前に踏み込み、自分から考えてほしい。そんなメッセージが込められているそうだ。
こんなところで展示が見られるのか、と驚いたのは「旧念来寺鐘楼×山内祥太」。1705年に建造された総檜造りの鐘楼で、大きな屋根と床は多重組物で支えられている。その鐘楼の土台部分、普段は立ち入ることさえできない部屋で、山内祥太の映像作品《市澤さんにバツの話を聞く》が展示中。日中も暗いので映像作品には向いている場所ではあるが、まさか文化財の鐘の下でクスッと笑えるユーモア溢れる映像作品を見れるとは思わなかった。真っ暗ではなく、自然光が古い木材の隙間から漏れて、柔らかい暗さとほのぼのとしたタッチの作品の相性がよかった。
本作品は、山内が東京藝術大学在学中に作成したもので、作家自身が住んでいたアパートの大家さん(市澤さん)との電話での会話を主題としている。その日常の些細な出来事を、ある事件のように感じた山内はクレイアニメーションに起こし、作品化した。その際に作り使用した粘土の自邸模型も展示されている。
蔵の街としても有名な松本で、明治時代に庄屋がお米を保存していた土蔵に展示をしたのは磯谷博史。磯谷はこの建物を紹介されたとき、人のためではなく「物のための空間」で展示するんだ、という印象を最初にもったそうだ。
今回展示される作品は、磯谷が長らく取り組んでいる「painted frame」シリーズから選ばれた (*3) 。全部で70点くらいあるなかで、今回は12点を紹介している。このシリーズは、ずいぶん前にiPhoneで撮ったものなど、日常的に撮影したカラー写真を加工し額縁に入れた作品。過去のアルバムから選ばれた写真は、色を減退させ、セピア色に調整。もともと写真がもっていた特徴的な色をフレームに追い出し、フレーム自体も作品の一部とする。写真を立体物として、物質としてとらえていることから、今回の「物のための空間」に置いてみようと思ったそうだ。
自顎髭やコインを手に押し付けた痕、割れたiPhoneのホーム画面など、誰しもがなんとなく見覚えのあるシーンだが、情報のすべてが開示されないイメージはミステリアスでもあり、鑑賞者は自らの頭で補正しながら作品を眺めることになる。「知らないことを思い出さなければいけない」という不思議な
状態ができ上がる。
いっぽう、建物が生み出す明るさ、窓から溢れる自然光に呼応した展示を手がけたのは井村一登。会場は2004年完成の舞台芸術のためのホールを備えた「まつもと市民芸術館」で、毎夏、小澤征爾の演奏が開かれてきたことでも有名なホールだ。伊東豊雄建築設計事務所が設計し、客席を敷地奥に、舞台を敷地中心に配置することで特徴的な大階段が実現した。来場者は入口からホワイエにたどり着くまで、広々として優雅な回遊空間を経験することができる。
井村は1999年生まれで、今回の参加者の中で最年少。昨年、三越コンテンポラリーギャラリーで初個展「mirrorrium」を開催した。井村は、歴史的に鏡の原料となってきた素材を分析し、解釈して作品化する。ガラス板を製作する一般的な工程を踏みながら、板ではなくデコボコした塊として仕上げることで鏡像を歪ませ、「自分が映らない鏡」をつくる。松本からもほど近い和田峠の黒曜石や光散乱ガラス、プライバシーガラスなど、様々な素材を用いている。
公共建築のなかではあるが、キラキラする鏡のディスプレイなだけに、これまで伊東の手がけた「TOD’S 表参道ビル」や「MIKIMOTO Ginza 2」などの商業空間を思い出した。何を置くかで、空間の発色も変わってくる。
意外と、本芸術祭では松本の代名詞である松本城やアルプスが使用されていないのだが、釘町彰はイタリアとスイスの国境近くの雪山をモチーフにした作品を2点出展している。
1つは絵画作品で、山並みと連続するかのように設置された。展示されているバルコニーは、元々は建具がなかったと推測されるが、松本の冬の寒さのためか3面にガラスがついている。フレームされたガラスの向こう側にある山と、描かれた山は別物ではあるが、岩絵具で描かれたザラザラした表面が、山のイメージをより一層強めるようだ。
また、映像作品《Erewhon(07’25’’)》(2017、7分25秒)は真っ暗で無音の画面から始まり、風や太鼓、動物の鳴き声など音だけのシーンが流れる。「目を閉じるとイメージが湧いてくる」とテロップが表示され、「たしかに」と思わされる展開。次々と自分の感覚が試されていく作品だ。
同じ建物の2階には、本城直季の写真が展示される。本城も芸術祭には足を運べなかったため、松澤同様、おおうちがキュレーションや会場構成をした。松本城を本城に撮って欲しかったと、おおうちは言う。次回以降に期待だ。
本城と釘町が展示するのは、1889年にフランス人のクレマン神父によって設計された旧松本カトリック教会(旧司祭館)。長野県最古の洋館で、宣教師や伝道師の住居として建設されたが、現在は旧開智学校の博物館として使用されている(こちらはもっとも街中から離れた会場であるが、暖かい飲みものを提供してくれるキッチンカーと地元の素材を使ったフードトラックが停車している)。
旧司祭館と旧開智学校はともに現在の地に移築され、隣り合わせに建つ。旧開智学校は約160年前の1867年に建設された擬洋風建築の代表。万国博覧会でも紹介され、近代の学校建築としては初めて国宝に指定された。今回の会場の中で、唯一の国宝であり、もっとも厳格なルールのなかで中島崇は作品制作をしなければならなかったはずだ。実際、最初に訪れたとき、すぐには作品の所在がわからなかった。門にしがみつき、柵と柵の間に顔を入れ、蜘蛛の糸のようなものをキャッチした。
聞くと、建物の前に置かれている2台の街灯と街灯のあいだを約40m・160本のテグスが結んでいるそうだ。なかなか建物に触れることや近づくこともできず、かつ、現在耐震工事中で、鑑賞者も門の内側に入れない。それを逆手に取り、これまで意識されなかった鑑賞者と対象物の間にある光や風や時間を気づかせる仕掛けが考案された。
もともと、中島の担当会場は旧開智学校とアルモニービアンの2ヶ所だった。ある夜、おおうちと飲んでいたとき、ストレッチフィルムは原理的にはどこまでも伸ばせるという話になり、松本にある2つの国宝をストレッチフィルムで結ぼうか、というアイデアを交わした。松本城は今回の会場にはならなかったので、お城の目の前にあるカフェの空き地で展示を行った。
中島の3つ目のプロジェクトは国登録有形文化財で旧第一勧業銀行松本支店の屋上でストレッチフィルムを放射状に張ったもの。反射光と透過光、影の重なり合いがさらに複雑な現実をぼんやりと映し出しているようだ。
今回、中島はナイロンのテグス、ストレッチフィルムを捻ったもの、ストレッチフィルムを使用している。なかでもストレッチフィルムは2015年から好んで用いる素材で、「皮膚のようだ」と中島は言う。「皮膚は自分と自分以外の境界線であり、薄くてしなやか。よく伸びるが、ふとしたきっかけで破れたり切れてしまう」。たしかに、ストレッチフィルムは皮膚に似た素材なのかもしれない。
ふと、「人間においてもっとも深いもの、それは皮膚である」というポール・ヴァレリーの言葉を思い出したりした。ストレッチフィルムは誰にとっての、何にとっての皮膚になるだろうか。
アルモニービアンの目と鼻の先にあるのが、NTT東日本松本大名町ビル。元松本郵便電話分室(1930年頃竣工)の中庭とエントランスで、鬼頭健吾は窓に布を吊り下げた《hanging colors》、フラフープをつなぎ合わせた《untitled (hula-hoop)》、ポストカード大のアクリル版による《treasure boat》の3つの作品を展示。エントランスは半屋外空間で、カラフルなフラフープが見えることから、通行人がひょろっと立ち寄り作品を写真に収めていた。普段入ることもない近代建築に立ち寄れるきっかけをたしかに与えており、昼夜問わず、街に彩りをもたらしていた。
建築の外観を使用した展示で、通りに対して、もっともヴィヴィッドな仕上げとなったのは白鳥写真館。松本市出身の広告写真家・白鳥真太郎の実家で、1924年、白鳥の曽祖父の時代に写真館兼住宅として建設された。建物の正面を使用して、白鳥の代表作を2点展示している。
外観正面に掲示された「川崎事件。」(1988)は工業地帯の川崎に西武デパートが進出した時に制作された広告。当時合成技術はなく、7日間かけて撮影し、アートディレクターの大貫卓也とともに制作した。口紅が、工業地帯の象徴、煙突に喩えられている。ここでは、上土通りを象徴する塔のようにも見えなくはない。
正面左は展示ケースであるが、鳥籠に見立てたのだろうか、インコの写真が展示された。これは、ラフォーレ原宿の年間キャンペーンとして、白鳥が1999年に制作した。
白いタイルで垂直性を強調した端正な佇まいではあるが、正面入口の上の庇も左右それぞれ、少しぐにゃっと湾曲しているように見える。まるで鳥が両翼を広げるようにも見える。「白鳥さん」という名前を混じった意匠が感じられる。
白鳥の写真は同じ通りの1998年に閉館した旧ピカデリーホール、上土劇場でも展示される。こちらでは、白鳥のライフワークである、ポートレートが劇場の舞台上に配置された。
指揮者の小澤征爾と岡本太郎はフィルム、ビートたけし、飯島勲、笹野高史は、デジタル撮影。こちらもおおうちによるキュレーションと会場設計で、デパートの弾幕のように、ターポリンにインクジェットで出力された。
通りを挟んですぐ、旧善光寺街道に面するレストランヒカリヤは、1887年竣工した豪商のお屋敷を2007年に飲食店として改修された。ここでは、登山家としても知られる写真家の石川直樹の作品が展示されている。松本市の姉妹都市・カトマンズが被写体(*4)。
敷地は約30坪ほどで、もともと松本市役所の跡地だった。その後、老舗菓子店「翁堂」が購入し約60年ほど喫茶店を営んでいた。店内から噴水のある庭が眺められる。設計者は不明だが、施工者は北野建設。60年ほど老舗菓子店「翁堂」が営んでいた喫茶店の内装や調度品を引き継ぎ、喫茶茶房かめのやとして2016年リニューアルオープンした。
河田誠一は、松本の土をアクリルに練りこんで風景画を描いた。
上土シネマは、7年前に閉館し、今回の芸術祭に合わせてボランティアが大掃除した。「上土(あげつち)」は、昨年まで四車線道路の計画があり、ややもすると、この通りに面している会場はもうこの世に存在していなかったのかもしれない。そんな場所で鴻池朋子の映像作品が展示されている。
上土通り最後の作品は、1928年に薬屋として建設された看板建築。2階の一室で、月に行くための装置が展示された。
同じく、店舗兼住宅の看板建築である「かわかみ建築設計室」。国登録の有形文化財で松本市近代遺産。1925年竣工した木造二階建てで、1970年代頃までは、「松岡医院」として使用されていた。
今回、「建築とアートを融合させた」マツモト建築芸術祭の舞台となる松本には、松本城と旧開智学校、2点の国宝がある。それから、有名な建築家の作品だと、伊東豊雄建築設計事務所の「まつもと市民芸術館」がある。「松本に建築ってあったっけ?」というのが今回の芸術祭を聞いたときの、最初の印象だった。
訪ねてみると、そこで「名建築」と呼ばれているものは、建築雑誌に取り上げられたり教科書に掲載されたりするような「名建築」では必ずしもなかった。おおうちの「琴線にふれた」建物がピックアップされており、それぞれの建物をよくよく見てみると誰かの創意工夫が感じられる。
そもそも、有名な媒体や歴史家からお墨付きをもらえなければ、「名建築」と呼んではいけなかったのだろうか。今回、選ばれた建物と選ばれなかった建物の境界線が曖昧だったので、「あれ、これは会場じゃないの? いいデザインじゃん」と、思ったりした。まだまだ今回選ばれなかった場所のなかにも、「名建築」があるだろうし、外観が気になっていた建物が会場に含まれていて「入っていいんだ!」と思う人もいるのではないだろうか。
デザイナーがディレクターになり、街に入り込んで作り込んだ芸術祭。短期間ではあるが、地方芸術祭が数あるなかで、特徴的な街中芸術祭になった。松本の街を歩き、建築と現代アートのコラボレーションの上演を鑑賞しながら、自分なりの「名建築」を見つけてほしい。次回以降の会場になっているかもしれない。
*1──長野では「生誕100年 松澤宥」(2022年2月2日~2022年3月21日、長野県立美術館)諏訪では「松澤宥生誕100年祭」(2022年1月29日〜3月21日、エリア各所)が開催中。メイン会場は伊東豊雄の初期作品、諏訪湖博物館・赤彦記念館。
*2──https://vimeo.com/410156421
*3──磯谷はこの春より長野県内の小海町高原美術館(安藤忠雄設計)で個展を控えている。
*4──2月14日まで松本駅近くの信毎メディアガーデンで石川直樹写真展が開かれている。