中国・北宋時代の画家、李公麟(り・こうりん、1049 ? 〜1106年)の《五馬図巻》が、東京・表参道の根津美術館の特別展「北宋書画精華」で、同じく李公麟の名品として知られる《孝経図巻》と一緒に公開されている。数千年におよぶ中国美術史の中でも北宋はとくに重要な時代とされており、李公麟の代表作2作を同じ空間で見られることが、国内外の専門家の間で反響を呼んでいるという。
《五馬図巻》は2015年に中国美術史を専門とする東京大学の板倉聖哲教授が再発見し、18年に東京国立博物館の収蔵品となった。1933年に重要美術品に指定されて以来、表舞台から姿を消し、第二次世界大戦で焼失したのではないかと言われていたという。
《五馬図巻》には、その名の通り、5頭の馬が描かれている。
《五馬図巻》を間近でじっくり観察して、馬を描く線の持つあまりにも繊細な表現に感じ入った。伝統的な東洋絵画は線の芸術と認識している。線はしばしば、鑑賞者に描かれたモチーフの形を知らしめる役割を果たすが、この作品ではたんなる輪郭線であることを超え、生気を発している。
いっぽう、線遠近法と陰影法で立体感を表した西洋絵画に比べて、東洋絵画は平面的としばしば言われる。だが、《五馬図巻》は少々異なる様相を呈している。立体感がとても巧みに、そして魅力的に表現されているのだ。馬の胴体の絶妙なふくらみ、4本の足の位置関係に注目するといいだろう。そして、顔の表情には、人がリアルな馬の魅力として感じるやさしさがにじみ出ている。
5頭の馬はすべて、人が右から引いている構図で描かれている。周辺の国からの貢物としての馬を描いた「貢馬図」と呼ばれる絵画の系譜にあるようだ。それぞれの馬は、たてがみや尻尾のありよう、体型、色、模様などがすべて異なり、それぞれの個性をあえて際立たせて描かれている。実際の馬を見て描いたと想像できるが、重要なのはそれぞれの馬が、愛でたくなるようなリアルな「生き物」感を発していることだ。作家が極めて巧みな線の使い手であることがわかる。
李公麟は《五馬図巻》が再発見されるまで、「白描画の名手」と言われていたそうだ。「白描画」とは、墨の線描を主体にしたモノクロームの絵画のことを指す。やはり、「線の使い手であったことは間違いない。なるほど」と思わせる。《五馬図巻》は80年以上前に行方不明になった後は、モノクロームの図版のみで確認されていたので、「白描画の名手」であることを裏付ける作品でもあった。
ところが、再発見されてわかったのは、彩色が施されていたことだった。全体としては控えめに、しかし効果的に、赤が使われている。なかなか印象的だ。馬の胴体、手綱、人物の衣装の一部など、赤が配色されることによって、それぞれの場面でヴィヴィッドな感覚が増している。《五馬図巻》は線描のみならず色使いの妙から見ても、絶品あるいは神品と呼ぶべき条件を持っている。
この展覧会のために米国のメトロポリタン美術館から出品された《孝経図巻》は、経年劣化で紙が変色している部分が多く見られるため、全体としてはかなり見づらい。だが、しっかり目を凝らして見ていると、魅力がだんだんあらわになってくる。
「孝経」は儒教の聖典のひとつ。《孝経図巻》には全18章のうち3章を除いた場面が描かれている。こちらは《五馬図巻》とは異なり、墨線のみで情景を描いた「白描画」である。中国・明の時代に、書画で著名な董其昌(とう・きしょう)が真作と認め、「白描画の名手」としての李公麟像を支えてきた作品という。
中国で古くから信奉された儒教の聖典の場面を具体的な情景が描かれた絵で目にすることができるというのは、なかなかインパクトのあることだったのではないだろうか。
この展覧会には、北宋の名画のほか、中国・五代、南宋、中国から輸入された唐紙を用いた日本の平安時代の作品なども出品されている。芸術皇帝として知られた徽宗の《桃鳩図》や(伝)徽宗の《猫図》は、期間限定で展示される(《桃鳩図》:12月1〜3日、《猫図》:11月28〜30日)。中国絵画史の中核部分を目にする貴重な機会になっていることを、申し添えておきたい。
小川敦生
小川敦生