公開日:2023年12月7日

至高のロスコ体験。「マーク・ロスコ」展(フォンダシオン ルイ・ヴィトン、パリ)レポート。大回顧展でロスコの全キャリアを辿る

ロスコとはどんな画家なのか? 出品作の115点、ロスコの初期から晩年までを辿る。会期は10月18日〜2024年4月2日

会場風景 撮影:編集部

初期作からシーグラム壁画まで、ロスコの歩みを一望

20世紀アメリカを代表する画家、マーク・ロスコ(1903〜1970)。その大規模な回顧展が、パリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンで開催中だ。会期は2023年10月18日〜2024年4月2日。

フォンダシオン ルイ・ヴィトン 撮影:編集部

初期から晩年まで、約115点でその画業の全貌を辿る本展。
10月に開催された内覧会を訪れたが、まず、ロスコ作品がこれほどまで一堂に会していることにひたすら圧倒された。フランク・ゲーリーにより設計されたフォンダシオン ルイ・ヴィトンの入り組んだ建築には11の展示スペースがあるが、小さなオープンスペース2室を除いてすべてにロスコの作品が展示されている。ロスコ、ロスコ、ロスコ……。精神的・感覚的な変化を味わいながら大作・傑作の大波に飲み込まれるようにして館内を歩き回り、もう終わりかなと思うとまだ展示室がある。絵画好きにとって、途方もなく贅沢な展覧会だ。

フォンダシオン ルイ・ヴィトン 撮影:編集部

それもそのはず、本展にはワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーやアーティストの遺族など、著名な美術館や個人コレクションから作品が集結。よく知られたロンドンのテート・モダンにある「ロスコ・ルーム」の作品群もここに来ているのだ。パリでもこのような回顧展は1999年に開催されたパリ市立近代美術館での展覧会以来となる。

全キャリアが年代順に展示された、展示の様子を紹介していこう。

会場風景 撮影:編集部

初期の具象画とギリシア神話

最初の展示室は、大型の抽象絵画というロスコのイメージからは意外に感じられる、初期の作品群から始まる。

会場風景 撮影:編集部

1903年、当時ロシア帝国領であったドヴィンスク(現ラトヴィア南東部の都市)のユダヤ人一家に生まれたマーカス・ロスコウィッツ(1940年にマーク・ロスコに改名)は、革命騒動を逃れて1913年に家族とともに渡米。21年にイェール大学に奨学生として進学し、心理学を学んでいたものの2年で中退する。

その頃友人に会いに訪れたニューヨークの美術学校で、「これこそ自分の生きる道」だと絵画を志すことを決めたという。アメリカ最初のキュビストのひとりであるマックス・ウェーバーやミルトン・エイヴリーといった画家たちから学び、影響を受けながら研鑽を重ね、1933年にポートランド美術館で最初の個展を開催した。

マーク・ロスコ 自画像 1936 キャンバスに油彩 81.9×65.4 cm Collection of Christopher Rothko © 1998 Kate Rothko Prizel & Christopher Rothko - Adagp, Paris, 2023

画家の道を歩み始めた当初から1940年代まで、ロスコは人間を主題とした具象画を多数描いている。1936年に描かれた唯一の自画像は、サングラスの奥に秘められた表情から感情を読み解くことが難しく、内省的な雰囲気が漂う。

初期の作風は典型的なロスコ作品のイメージとは隔たりがあるように見えるが、しかしこの後の抽象絵画へと向かう片鱗も随所に見ることができる。

たとえば《地下鉄の入口》(1983)は日常的な景色を題材としながら、水平線と垂直線が強調され、奥行きが排された平坦な画面であり、グレーとベージュ系の色彩に整理されて描かれている。

会場風景より、《地下鉄の入口》(1983) 撮影:編集部

また、《肖像》(1939)は、アンリ・マティスの有名な《コリウールのフランス窓》(1914)を想起させる構図であるだけでなく、上から水色・淡いピンク・緑に分割された背景は、のちのロスコの抽象画を予感させるだろう。

会場風景より、《肖像》(1939) 撮影:編集部

1940年頃からは、ギリシア神話に着想を得た作品が登場する。

絵画に出会う前の学生時代から、ロスコはギリシア神話に興味を持っていた。こうした神話のかたちを借りて描かれた人間の悲劇という普遍的なイメージは、当時が世界大戦の時代であったこととも無関係ではないだろう。

また、表現手法には、ナチスの弾圧や戦禍を逃れてヨーロッパからアメリカへと渡ってきたシュルレアリストたちのからの影響も見て取れる。

マーク・ロスコ Slow Swirl at the Edge of the Sea 1944 キャンバスに油彩 191.1×215.9cm Museum of Modern Art, New York Bequest of Mrs. Mark Rothko through The Mark Rothko Foundation, Inc. © 1998 Kate Rothko Prizel & Christopher Rothko - Adagp, Paris, 2023
会場風景より、《The Omen of the Eagle》(1942)
会場風景 撮影:編集部

1946年から、ロスコは「マルチフォーム」というスタイルへと移行する。
緩やかな輪郭の色面が画面に浮かぶこの作品群まで来ると、「ロスコの絵」だと一目でわかるようになってきた。

会場風景 撮影:編集部

そして1949年頃から、ついに縦長の画面に矩形を並べたロスコの典型的なスタイルへと到達。展示室には大型の作品がずらりと並び、鑑賞者も身体全体を使って作品1点1点と向き合う。

会場風景 撮影:編集部
会場風景 撮影:編集部

ここまでが地下1階のギャラリー1からギャラリー2までの展示だ。最初に見た1930年代の平面的な具象画から、その後シュルレアリスト由来のオートマティスムに影響を受けたうねるような抽象的形態が画面にもたらされ、さらに要素が整理されて輪郭のぼやけた鮮やかな色面が画面に浮かび出す……。歩を進めるごとに、メタモルフォーゼしていくかのようなロスコのスタイルの変化がシームレスかつヴィヴィッドに感じられた。まさに大規模な回顧展の醍醐味だ。

会場風景 撮影:編集部

色彩と形態が喚起する感情

次は地上階(0階)へ上がり、ギャラリー4へ。この広い展示室では、「これぞロスコ」と言うべき色鮮やかで大型のカラーフィールド・ペインティングが惜しげもなく四方の壁に掛けられている。全身が色に包まれ、思わず笑顔がこぼれてしまうような、美しい空間が広がる。

会場風景 撮影:編集部
会場風景 撮影:編集部

これらは1950年代前半に描かれたものだ。50年代はジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマンら抽象表現主義の画家たちが頭角を表し、ロスコもこうした潮流の代表作家とみなされるようになる。

しかしロスコは「カラリスト(色彩主義者)」と呼ばれることを嫌った。画家が色と形態を通して鑑賞者にもたらしたいと考えていたのは、たんなる表面的な鑑賞ではなく、悲しみや官能、喜び、そして絶望といった感情を揺り動かす体験だった。

会場風景 撮影:編集部

会場には、ロスコの芸術を象徴するこのような言葉が掲げられている。

「私は、人間の基本的な感情を表現することにだけ関心があります」

「私の芸術は抽象ではありません。それは生であり、呼吸です」

この頃からロスコは作品がほかの作家の作品と同じ空間に並べられるのをよしとせず、グループ展への出品を拒否するようになる。そして鑑賞者が自身の作品を万全の状態で体験できるよう、展示環境へのこだわりを強めていく。

マーク・ロスコ Light Cloud, Dark Cloud 1957 キャンバスに油彩 169.6 ×158.8 cm Modern Art Museum of Fort Worth Museum purchase, The Benjamin J. Tillar Memorial Trust © 1998 Kate Rothko Prizel & Christopher Rothko - Adagp, Paris, 2023

作品に没入させる空間へのこだわり

こうした挑戦のひとつの到達点が、1階のギャラリー5に展示された「シーグラム壁画」だ。

1958年、ロスコはニューヨークのシーグラム・ビルの中に作られた「フォー・シーズンズ・レストラン」の壁画制作を依頼された。自分の作品だけで一室を満たすことができるというこのコミッションワークは、ロスコにとって夢を実現するまたとないチャンス。新たなスタジオを借りてレストランと同サイズの壁面を用意し、初めての連作に着手した。

会場風景 撮影:編集部

しかし結局、作品群はレストランに飾られることはなかった。ニューヨークの富裕層が集まるレストランの雰囲気に不快感を覚えたロスコは、このシリーズを手元に残すことに決めたのだ。

11年後の1969年、全30点のうち9点がテート・ギャラリーに寄贈され、翌年に一室で公開された。現在ではテート・モダンの「ロスコ・ルーム」として同館を代表する名物展示となっているが、本展ではこのテートのコレクションが特別に展示されている。照明が落とされた瞑想的な空間で、ロスコが理想とした展示を心ゆくまで味わうことができるのだ。(ちなみに同シリーズ7点は千葉県のDIC川村記念美術館が所蔵し、ロスコ・ルームとして公開している)

会場風景 撮影:編集部

残念ながらロスコは、テート・ギャラリーでのお披露目のわずか数ヶ月前に自ら命を絶っており、念願とも言えるシーグラム壁画の展示空間を自身で体験することは叶わなかった。

画家の生前に唯一完成したロスコ作品のみによる常設展示室は、1960年に開設されたワシントンD.C.にあるフィリップス・コレクションの「ロスコ・ルーム」だ。ギャラリー7では、このフィリップス・コレクションから3点を展示している。

会場風景 撮影:編集部
会場風景 撮影:編集部

フィリップス・コレクションの「ロスコ・ルーム」は画家との密接なコラボレーションによって設計されていた。たとえば床から近い位置に絵画の底辺がくるような展示方法や、照明、ベンチの設置などに、ロスコのアイデアが生きている。

フォンダシオン ルイ・ヴィトンのキュレーター、フランソワ・ミショーは、いま同財団がロスコの回顧展を開く理由について、このように語る。

「財団のアーティスティック・ディレクターであるスザンヌ・パジェが本展を企画するにあたって目指したのは、ロスコの数多くの作品を、画家が望んだとおりに見せることができる空間をフォンダシオン ルイ・ヴィトンに作り出すこと、そして鑑賞者が自分自身を見つめることができる環境を作り出すということでした」

フォンダシオン ルイ・ヴィトン キュレーター、フランソワ・ミショー

またこの規模の回顧展を実現するには、コレクションを貸し出す各美術館やコレクターとの交渉が非常に難しかったと言う。ロスコの息子であるクリストファー・ロスコが共同キュレーターとして参加し、各所に借用の説得を行った功績も欠かせないものだったそうだ。

黒とグレー、ジャコメッティとの共演

さて、展覧会後半には、黒やグレーといったモノトーンを基調とする作品が続く。

1階のギャラリー6は「ブラック・フォーム」と呼ばれる作品を紹介する部屋だ。シーグラム壁画の制作を経て、様々な色を混色した黒の可能を追求した1964年頃の作品が並ぶ。

会場風景 撮影:編集部

上がって2階には、画家の最晩年である1969年から70年にかけて制作された「ブラック・アンド・グレイ」シリーズとともに、フォンダシオン ルイ・ヴィトンが所蔵するアルベルト・ジャコメッティの彫刻作品が展示されている。

本館のなかでいちばん天井の高いこのギャラリー10で展開されたロスコとジャコメッティのコラボレーションは、ミニマルで研ぎ澄まされたなかに永続的な時間を感じさせるような空間を生み出していた。

会場風景 撮影:編集部
会場風景 撮影:編集部

同階でいちばん広いギャラリー9には1960年代の作品が並ぶ。

濃密な赤、茶、黒と青が織りなす作品群には、鑑賞者とのあいだに親密さを取り結ぶような没入的な雰囲気がある。

会場風景 撮影:編集部
会場風景 撮影:編集部
マーク・ロスコ No. 14 1960 キャンバスに油彩 290.83×268.29cm San Francisco Museum of Modern Art - Helen Crocker Russell Fund purchase © 1998 Kate Rothko Prizel & Christopher Rothko - Adagp, Paris, 2023

そして最後は小部屋のギャラリー11。ここではこの回顧展と鑑賞者を寿ぐように、改めて鮮やかな色彩による3作品が展示され、この展覧会を締めくくる。

会場風景 撮影:編集部

「この展覧会を訪れるすべての人が、ロスコの絵の中に、自分自身の内面や感情を見出すことができるでしょう」。

キュレーターのミショーがこう語るように、本展はロスコの作品と一人ひとりが対話をし、自分自身を見つめ直すことができるような、特別な空間になっていた。

会場風景より、ロスコのアトリエの写真 撮影:編集部

MARK ROTHKO
会場:フォンダシオン ルイ・ヴィトン
会期:2023年10月18日〜2024年4月2日
住所:8 Av. du Mahatma Gandhi, 75116 Paris
電話番号:+33 1 40 69 96 00
https://www.fondationlouisvuitton.fr/en

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。