未来に生まれ変わる、90年代のゴーストたち マーク・レッキーインタビュー(聞き手:松下徹/SIDE CORE)

エスパス ルイ・ヴィトン東京で始まったマーク・レッキー 「FIORUCCI MADE ME HARDCORE FEAT. BIG RED SOUNDSYSTEM」展。初来日したアーティストに出品作の制作背景、また現代から本作をどうとらえ直すか、SIDE COREの松下徹がインタビューした。

「MARK LECKEY – FIORUCCI MADE ME HARDCORE FEAT. BIG RED SOUNDSYSTEM」 エスパス ルイ・ヴィトン東京での展示風景(2024) Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

90年代以降、イギリスにはポップカルチャーやカウンターカルチャーの文脈を取り入れた表現をするアーティストは多いが、これはイギリスの伝統的な階級構造と植民地主義の問題が、新自由主義経済の到来によって深刻的に前景化したことの結果だと言われている。なかでもマーク・レッキーは、そのようなカウンターカルチャーとアートの複雑な関係性に関して極めて批評的なアーティストだ。

レッキーの作品の特徴は映像・音楽・彫刻を組み合わせたインスタレーションで、各所にカウンターカルチャーの記号やマテリアルが注意深く散りばめられており、イギリスの文化史に関する冷静な検証に基づいて構築されている。また労働者階級出身という自身のバックグラウンドが作品に大きく反映されており、インスタレーション作品は展覧会場を彼自身の記憶のなか、もしくはFPSのゲームフィールドのリアルなデータ空間のように、心地よさと不穏さが混ざり合っている。

今回のエスパス ルイ・ヴィトン東京でのマーク・レッキー 「FIORUCCI MADE ME HARDCORE FEAT. BIG RED SOUNDSYSTEM」展でのインタビューでは、代表作品《Fiorucci Made Me Hardcore(10周年リマスター版)》(1999年-2003年-2010年)に関して当時の制作背景や経緯、また現代の視点で本作をどうとらえ直すことができるかについて話を聞いた。

前衛的なのはロックよりもサンプラーやコンピューター

"MARK LECKEY – FIORUCCI MADE ME HARDCORE FEAT. BIG RED SOUNDSYSTEM" エスパス ルイ・ヴィトン東京での展示風景(2024) Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

──今回は貴重な機会をありがとうございます。まず最初はFiorucciのビデオを制作した経緯からお聞きしたいのですが、映像作品の素材となる映像は当時どのように収集したのでしょうか?

映像は様々な場所から収集していますが、主には思い当たる所有者たちに手紙を書き、郵送でVHSテープを送ってもらいました。97年から制作を始めたのですが、作品のなかで最後に写っているのが95年ごろのレイヴの映像です。そう考えると、制作当時からたった1、2年前の記録でした。ほかのデータはロンドンのソーホーにあるBlack Market Recordsというレコードショップで購入した映像や、BBCの映像ライブラリーの映像も使われています。じつはBBCに勤めている友人がいて、映像ライブラリーの映像を資料として借りる許可を得ることができました。そこで借りた映像をダビングして制作に使用したので、映像のいくつかのシーンでは映像のタイムコードが表示されています。これは放送用ではないという証なのですが、このタイムコードこそがこの作品のなかで重要な要素となりました。

──95年はレイヴシーンのいちばん盛り上がった時期から考えて、だいぶ後期に差し掛かっていたと思います。97年から制作を始めたということですが、その背景にはノスタルジーがあったのですか?

じつは90年代の初期はアメリカにいて、帰国したのが97年でした。私がこの系譜の音楽をリアルタイムで楽しんだ80年代後半や90年代初期は、Acid HouseやThe Seocond Summer of Loveの時代です。帰国後すでに20代後半だったので、レイヴは当時の自分にはすでに若すぎました。ちなみにアメリカにいた時代はハードコアやジャングルを聴いていていたのですが、アメリカでイギリスの音楽を聴いていたのはホームシックの現れであった気がします。帰国後イギリスではOasisやBlurのようなブリットポップが流行っていていたのですが、私には60年代の懐古主義にしか見えず、ジャングルなどのクラブミュージックのほうが未来的であると感じていました。たとえばいまでもレイヴに否定的な人は多く、「キッズたちの稚拙な音楽」と揶揄されますが、60年代の懐古主義に陥ったロックより、若者が自分たちで買えるサンプラーやコンピューターでつくる音楽のほうが前衛的だと私は思います。だからこそ本作はドキュメンタリーとまでは言わなくとも、ビデオエッセイとして考えていて、これを発表することは当時の音楽シーンに対するカウンターとして考えていました。

マーク・レッキー 撮影:編集部

「本当のアートを見せてやる」態度も失敗

──発表した当時はどのようなリアクションがあったのでしょうか?

初めてこの作品を展示したのは1999年のロンドンのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ(ICA)での、スコット・キング(Scott King)というキュレーターが企画するグループ展「CRASH!」でした。私にとって初めての正式なギャラリーでの展覧会で、当時の私にはアートワールドには知り合いがいませんでした。しかし、展覧会が始まると人々が私の肩を叩いて「すごく面白いよ」と言ってくれたのです。そのときは、アートワールドってそういう世界なのかと思いましたが、次の展覧会では同じことは起こりませんでした(笑)。英語で「Tip on the shoulder」という表現があるのですが、直訳すると「肩にカケラがついている」で、その意味は「喧嘩腰な態度を取ること」です。まさに当時私はそんな人間で「本当のアートを見せてやる」という気持ちで、批評というほどではないのですが、アートワールドにアンチテーゼを示したいという怒りに似た気持ちがありました。

私は労働者階級の出身ですが、レイヴやカウンターカルチャーのシーンは労働者階級の音楽シーンです。だからこそ当時多くのアーティストたちがカウンターカルチャーの表現性を作品に引用していましたが、実際彼/彼女たちは中流階級以上の出身で、レイヴに行ったことのあるような人は僅かでした。だからこそカウンターの考えで本作をアートシーンにぶつけましたが、意外とすんなり受け入れられてしまい、本当の意味では失敗したと感じています。批評的精神のジレンマだと考えています。

マーク・レッキー 撮影:編集部

──イギリスはカウンターカルチャーの大国ですが、同時にアートやマーケットがこれを消費する速度も速い場所だと考えています。

自分の作品が消費されたというより、自分自身のバックグラウンドを自分で消費してしまったという感覚です。イギリスは絶対的な階級社会で、どのクラスの家庭に生まれたかによって人生が決まってしまいます。アートシーンはそういった階級同士の衝突が起きやすい場所です。50〜60年代は奨学金の制度が充実しており、ブルジョアジーたちのなかに労働者階級の若者が数人入るという構図がありましたが、優良な奨学金も時代とともに減っていきました。だからこそ、本作は労働階級の自分が労働階級の文化をアートシーンに投げかけることで、これも同じぐらい知的で、価値のある、そして未来志向的な文化であるということを示したかったのです。しかしアートシーンはつねに新しい文化や異なるバックグラウンドを持つ人々に飛びつく文化なので、確かに消費されているだけとも言えますね。

繰り返す「長い90年代」、ゴーストが踊る映像

松下徹 撮影:編集部

──個人的な意見ですが、インターネット以降の文化構造のなかで、これまで搾取される対象であったサブカルチャーやカウンターカルチャーがアートやマーケットの仕組みを自らの利益の為にハッキングするなど、新しい世代から新しい行動様式が生まれてきている気がします。そういう時代の変化のなかで本作は現在から見ると、当時とまた価値を生み出していると感じました。あなたの現在の視点から、本作をどう見直すことができますか?

この作品を制作してから25年経っているので、作品が持つ意味が変わっているのは当然ですね。映像は時代の流れを追う構成になっており、最初のシーンは1970年代なので、ここに写っている若者たちの多くが亡くなっている可能性があります。そういう意味では、ゴーストが踊っているのです。映像の質感も同じで、いまでは心霊映像のようだと感じます。当時はそういう自覚はなかったのですが、ナップスターとか映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』と同時代に共通する性格があると思っていて、とくに『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、当時自分が使っていたのと同じ安い機材で、なおかつ低コストで製作された作品です。

Y2K(2000年問題)もすぐ後に訪れるのですが、作品に表された不安感みたいなものが当時の時代性を表現したのだと思います。じつは、この作品にガレージとかジャングルとか、ほかの音楽シーンのドキュメントも入れたいと思っていましたが、編集の関係上入れられませんでした。その後にパート2を制作しようと考えていたのですが、私は2000年以降、インターネットの登場によって時代の流れが変わってしまったと考えていて、結局それは諦めました。具体的には、1950年代から90年代まではカルチャーの流れに連続性があり、ひとつのエネルギーが続いているイメージでした。しかし2000年代以降にインターネットが主流になり、そのエネルギーが拡散してしまったように感じています。そういう状況下では、この作品の新作は意味をなさないと考えたのです。

──東京もずっと90年代の延長線上にいて、大きな前進が無いように感じます。新しい可能性が生まれても、結局90年代に繰り返し戻ってしまうような。

英語でも「Long 90’s」という言葉があるんですよ。20世紀の50年間は特別な時間だったと思います。

マーク・レッキー 撮影:編集部

──今回の展覧会にはたくさんの若い人も多く訪れると思います。アートスクールに関してあなたの現在考えていることを教えてください。

私は断続的にアートスクールで教えることがあります。具体的にはフランクフルトのシュターデル美術学校で4年、ゴールドスミスでも短い期間教えていました。教えるのは好きなんですが、アートスクールの教員でい続けることは私には向いていないと感じています。私にはアートスクールに愛憎が交った気持ちがあり、嫌いになったり、好きになったりするんです。

近年のロンドンのアートスクールでは優良な奨学金が無くなってしまっていました。現在は外国からの留学生たちが多く学費を払い、イギリスの学生を賄っている状態になっています。もし私が当時チェルシーの修士課程に進んでいたら、50人ぐらいの学生で賄われていたクラスも、現在では150人ぐらいになります。しかし教員の数は変わっていないので、それぞれの学生が充分な指導を得られることがありません。空間が足りないことも問題で、こないだセントマーチンズに行ったらトイレの横の廊下まで作品が溢れていました。2万ポンドぐらい払って、トイレの横の廊下で作品を発表しなければいけないなんて搾取的な状況だと思います。

でもポジティブな面として、最近は魅力的なインディペンデントのアートスクールが生まれてきています。帰国後にロンドンのいくつかの学校で教えます。またフリーで通える興味深い学校もあるので、よければ調べてみてください。

マーク・レッキー エスパス ルイ・ヴィトン東京にて(2024) Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

もうイギリスでは展示することのないサウンドシステム

──最後の質問です。今回の展示ではビデオ作品以外にもサウンドシステムとフィリックスの立体作品が展示されていましたが、あなたの展覧会の多くが同じように映像と立体が組み合わさったインスタレーション作品だと思います。映像作品の多くは具体的なテーマ設定を感じさせるいっぽう、立体作品は3Dデータのようなバーチャルで空虚な感覚があり、明確な意味付けに縛られない感覚を受けます。あなたの立体作品に関する考えを教えてください。

もし展覧会に来て、映像だけ映し出されていたらすぐに帰ってしまいますよね、だから空間を埋めなければいけません(笑)。それは冗談ですが、物質と非物質、バーチャルとリアルなど、展覧会のなかに対比をつくることを狙いとしています。またアートという非現実と、社会の現実との対比もあります。

たとえば、今回展示しているサウンドシステムの作品は、今後はもうイギリスで展示することはありません。サウンドシステムの立体作品は、そもそもレイヴシーンにおいて手作りのスピーカーが用いられたことに由来しており、自分のカルチャーですが、歴史を辿ればイギリスの植民地であったジャマイカの文化です。もちろん当時も歴史を知らなかったわけではないのですが、いまでは自分とサウンドシステムのつながりを重視するのではなく、ジャマイカの黒人の文化からそれが産まれ来たというつながりを重視しています。社会の変化のなかで作品の意味や価値が変わってくるのが、アートの面白いところであると考えています。

左:マーク・レッキー 右:松下徹 撮影:編集部

松下徹

まつした・とおる  アーティスト/SIDE CORE ディレクター
  化学実験や工業生産の技術によって絵画作品を制作。高電圧の電流によるドローイング、塗料の科学変化を用いたペインティングなど、システムが生み出す図柄を観測・操作・編集するプロセスにより絵画作品を制作。近年はパターンや記号など、一定のルールによって生成される幾何学的形態をハンドペイントで描く作品シリーズに取り組んでいる。ストリートカルチャーに関する企画を行うアートチーム SIDE CORE のディレクターの 1 人でもあり、国内のストリートカルチャーに関するリサーチ/執筆をおこなっている。