太陽の温かい光、月の冷めた光。移ろいゆく自然光や人工灯による均質な光。あるいは精神の表象としての光や人間の視覚に訴える物質としての光──。
様々な光の表現を紹介する「テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ」が東京・六本木の国立新美術館で7月12日に開幕した。テート(TATE)美術館のコレクションから選りすぐった18世紀末から現代までの約120点を展示する。会期は10月2日まで。
イギリス政府が所蔵する美術作品を収蔵・管理する「TATE」は、ロンドンのテート・ブリテンとテート・テートモダンなど4つの国立美術館を運営している。その7万7千点を超すコレクションから「光」をテーマにした作品を集めた本展は、2021年より中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランドで巡回開催され、話題になってきた。最終会場の日本では、作品の多くが日本初出品で、マーク・ロスコやゲルハルト・リヒターらによる12点の日本限定展示も含まれる。絵画、彫刻、写真、インスタレーションなど多様な作品を、ときに時代や地域を超えてともに展示しているのも特徴だ。
開幕前のプレス内覧会で、国立新美術館主任研究員の山田由佳子は「歴史的作品と現代作品の対話をインスタレーションのように見せているのも本展の面白さ」と説明。テートで本展を担当したアシスタント・キュレーターのマシュー・ワッツは「幅広いテートの収蔵作品から『光』というレンズを通して作品を厳選した。美術家がどのように光をとらえ、表現してきたかを見てほしい」と話した。さっそく会場を巡ってみよう。
展覧会は、「精神的で崇高な光」をテーマにした展示室からスタート。神が人間にもたらした災いを描いたジェイコブ・モーア《大洪水》、ロマン主義を先駆けたウィリアム・ブレイクの《アダムを裁く神》など、宗教的主題を光と闇により表現した18世紀末~19世紀初頭のイギリス絵画が並ぶ。2003年に制作された、巨大な卵型が光沢を放つ闇を抱え込むアニッシュ・カプーアの彫刻「イシーの光」も同じ空間に立つ。
ジョン・マーティンによる《ポンペイとヘルクラネウムの崩壊》は、紀元79年に起きたイタリア・ヴェスヴィオ山の噴火と逃げ惑う群衆が精緻に描かれる。暗い空に走る白い稲妻、吹き上がるマグマの赤い光が禍々しい。宗教的主題において暗闇にゆらめく光は希望を表わすが、歴史上の大災害から着想した本作では人間を圧倒する自然の力が強調されている。
大気と光を新たな手法で表現し、風景画に革新をもたらしたのがジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーとジョン・コンスタブルだ。ドイツ文学者ゲーテの『色彩論』から影響を受け科学的アプローチに取り組んだターナーに対し、コンスタンブルは自然の細部を見つめ忠実な再現を追及した。
会場では、ターナーによる人物の輪郭が風景に溶け込む《陽光の中に立つ天使》、抽象画のような《湖に沈む夕日》などの作品と彼が光と影の関係を研究した素描、空の変化をとらえたコンスタブルの《ハリッジ灯台》や手掛けた版画作品を紹介。見比べることで、両者の表現や眼差しの違いが感じられるだろう。
続いて、イギリスのラファエル前派兄弟団やフランスの印象派の絵画が登場。産業革命により工業化が進む社会に反発し結成されたラファエル前派は、精神性に溢れる光の表現を目指した。代表的作家エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズによる《愛と巡礼者》に描かれるのは、キューピッドを思わせる人物が巡礼者をイバラの茂みの中から連れ出す場面。「闇から光の中へ」の比喩が巧みに絵画化され、演劇的な効果を挙げている。
移ろいゆく自然の様相を画布に留めようとした印象派のクロード・モネ。《エプト川のポプラ並木》は、異なる時間帯で同じ木々を描いた連作のひとつ。水面の反射光や葉のそよぎが勢いがある素早いタッチでとらえられ、さわやかな大気の動きを感じさせる。
いっぽう、イギリスのジョン・ブレットによる《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》における光の表現はあくまで精密だ。海面を照らす太陽光線や反射による波の表情が超絶技巧的に描かれ、画中の海に飛び込みたくなる。画家が空と海を丁寧に観察し、その関係を忠実に再現しようとしたことがうかがえる。
同じ展示室には、草間彌生による《去ってゆく冬》も展示されている。鏡面の立方体に幾つもの穴があけられ、そこからのぞき込むと、内部の無限的な反射光を見ることができるインタラクティブな作品だ。展示室の中央に置かれ、先人の絵画作品が表面に映り込む本作は、現代まで連綿と続く美術家の光の探求を象徴しているようにも感じられた。
近代最大の発明のひとつである写真も光を用いた表現。1919年にドイツに開校した造形芸術学校「バウハウス」は、やがて新たな表現手法として写真を認識し、活動に取り入れた。本展では、バウハウスの写真制作を主導したモホイ=ナジ・ラースローの抽象絵画《K VII》や映像作品、バウハウスで学んだ山脇巌やラースローの影響を受けたルイジ・ヴェロネージによる光の特質を生かした実験的な写真を展示。前衛写真グループ「芦屋カメラクラブ」で活動したハナヤ勘兵衛による、長時間露光を用いた先駆的な作品も紹介している。
光が当たる角度により違う色に見えるなど、光と色は切り離せない関係にある。第二次世界大戦後、欧米の抽象画家たちは色同士の関係性が生み出す視覚的効果に注目。それぞれ新しい絵画表現を生み出していった。
反復する幾何学的パターンを使い、知覚の本質を追及するイギリスのブリジット・ライリー。1993年制作の「ナタラージャ」は、鮮やかな小さい色面がリズミカルに並び、画面が揺らいでいるような感覚をもたらす。その前に設置された、アメリカのペー・ホワイトによる《ぶら下がったかけら》は、482本の糸と印刷した紙片で構成したモビール・インスタレーション。ふたつの作品が織りなす、色彩と動きのハーモニーに目を凝らしたい。
アメリカ抽象表現主義のマーク・ロスコとバーネット・ニューマン、ドイツのゲルハルト・リヒターの絵画も並ぶ。いずれも色と形体に深い関心を寄せ、鑑賞者に解釈を委ねるような作品を制作した。東京国立近代美術館で昨年開催された個展が話題を呼んだリヒターの《アブストラクト・ペインティング(726)》は、日本限定展示作品のひとつ。最初に描いた画面から絵具を削り取り、ひっかき落とした画面は、ぼんやりとしたイメージが流れる光に包まれているように見える。
19世紀半ばに発明された電球は20世紀以降、生活に浸透し、産業の発達に伴いネオンサインなど広告にも利用されるようになった。そうした社会状況を背景に、第二次世界大戦後に出現したのが人工の光そのものを素材とするアーティストたち。本展後半では、コンセプチュアル・アートの先駆者スティーヴン・ウィラッツによる4色の光をコンピューター制御した《ヴィジュアル・フィールド・オートマティック No.1》、ミニマリズムの作家ダン・フレイヴィンの蛍光灯を用いた彫刻《ウラジーミル・タトリンのための「モニュメント」》、プログラミングした光を絵画に照射し色との相互作用を見せるピーター・セッジリーの《カラーサイクル Ⅲ》など代表的な作品が並ぶ。
高々と積み上げられた色とりどりのライトボックス。スコットランド出身のディヴィッド・バチェラーの《ブリック・レーンのスペクトル 2》は、華やかな照明が夜の都会を想起させる。デンマーク出身のオラファー・エリアソンの《黄色vs紫》は、緩やかに回転する黄色いディスクと、照明投射器で構成したインスタレーション。壁面に時折、この場に実在しない紫色のディスクが現れ、私たちが「色」を知覚する拠りどころを揺さぶる。
シンプルな描画と色彩が特徴的な人物・風景画で知られる英国出身のジュリアン・オピー。日本で初めて展示される3点は、自ら撮影した自然や都会の風景をデジタル加工し、再構成した連作の一部だ。ひと昔前のコンピューターゲームのように平面的な画面なのに、人工の明りと自然の光では明らかに違って見えるのが興味深い。
ラストを締めくくるのは、オラファー・エリアソンの体験型インスタレーション《星くずの素粒子》。展示室では、鉄骨とガラスで作られた球状多面体が、天井に設置されたモーターから吊り下げられ、ミラーボールのように回転しながら反射光を周囲に投げかける。鑑賞者は、繊細な結晶を思わせる多面体を見上げながら、光に満たされた空間にたたずんだり、歩き回ったりできる。
気候変動に強い関心を抱くエリアソンは、人々と周りの環境との関わりを重要な制作テーマにしてきた。一瞬ごとに光の見え方が変わる本作は、鑑賞者に地球のもろさと美しさを改めて意識させ、自省を促しているように感じられた。
目に見えるのに形を持たない「光」。それゆえに多くの美術家が、実態をとらえようとあがき、思索を深め、実験的な創造を重ねてきたのではないだろうか。その流れが俯瞰できる本展は、近現代の美術史の重要な一面を伝えているといえそうだ。
なお本展は東京のあと、大阪の大阪中之島美術館に巡回する。開催期間は10月26日~2024年1月14日。