東京都とトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)が2018 年より実施する現代美術の賞「Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)」。中堅アーティストのさらなる飛躍をサポートするために創設された本賞の第3回を受賞した志賀理江子と竹内公太の受賞記念展が、東京都現代美術館で3月18日から始まった。会期は6月18日まで。
TCAAは複数年にわたる継続的な支援が特徴で、受賞者は受賞記念展の開催のほか、賞金300万円と海外での活動支援、国内外での発信に活用できるバイリンガルのモノグラフ(作品集)の作成の機会が授与される。今回の受賞記念展は、同館3階を会場に志賀と竹内が支援を得て制作した新作を中心とする大規模な展示を展開。入場料無料ながら、国内外で活躍するふたりの作品を鑑賞できる貴重な機会になっている。
志賀は1980年愛知県生まれ。2008 年に宮城県に移住し、その土地の人々と出会いながら、人間社会と自然の関係、死と生の想像力、何代にもわたる記憶などを題材に写真を中心に据えた制作活動を展開する。東日本大震災を経験し、2019年の個展「ヒューマン・スプリング」(東京都写真美術館)では、人間の精神と身体、時間の問題に切り込む作品を発表。自身の仕事場を開放し、訪れた人たちの交流の場にするオープンスタジオも行っている。
竹内は1982年兵庫県生まれ。2012年に福島県に移住し、「パラレルな身体と憑依」をテーマに綿密なリサーチに基づく作品を発表してきた。時間的・空間的隔たりを超えた人間とメディアに対する関心に根差して、制作ではストリーミング映像、UAV(ドローン搭載型カメラ)など多角的な視点をもたらす機材を駆使。また、2011年の東京電力福島第一原発事故後に敷地内のライブカメラを指さした、通称「指さし作業員」の代理人としても活動している。
今回は受賞記念展のタイトルに初めて「さばかれえぬ私へ/Waiting for the Wind」という言葉が冠された。その経緯をTOKASの石川達紘学芸員は次のように説明する。
「志賀さんと竹内さんが話し合いながら展覧会を作ったことが、それぞれ個展を行う形式のこれまでの受賞記念展と大きな違いになる。タイトルの言葉はふたりの対話から生まれた、本展唯一の共同作品とも言える。設営期間に展示がアップデートされた部分もあり、ひとつの展覧会として鑑賞していただける空間になった」
印象的なタイトルは、どのように発案されたのだろうか。ふたりは、2021年のTCAAの受賞発表後すぐに志賀が竹内に個人的にコンタクトを取り、初めて会ったという。志賀は「住む場所が近いし、共通する問題意識があると思いました。あと受賞者が展覧会の枠組みに能動的にアプローチすることで賞の枠組みをユニークにとらえる展覧会をしてみたいと考えた」と振り返る。福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」(2020年開館)を一緒に訪れるなど対話を重ねるうちに、浮かんだのが内省を誘う日本語のタイトル「さばかれえぬ私へ」と撮影時の「風待ち」などから着想した英語タイトル「Waiting for the Wind」だった。
「自分と志賀さんの作品にとって『風』は大きな意味を持つ。会場に椅子やピローをたくさん用意したので、風を待つように自然の厳しさや穏やかさも感じながら過ごしてほしい」(竹内)
「東日本大震災後の12年間を、作品を見る人が自分達の日々の問題と繋がっていると考えるきっかけになるような展覧会にできればと思っている」(志賀)
展示は、志賀の新作ビデオ・インスタレーション《風の吹くとき》からスタート。1階からエスカレーターで上がり、振り向くと薄暗い通路の向こうにマイクを持つ女性の顔が大きく映っている。展示室に入ると、長さ30m超の壁面に目を閉じた別の女性や男性の姿、赤く発光する海の波、砂時計の砂が流れ落ち続けているような光景などが現れる。闇を背にした人物は上半身や腕が揺れ、暗く長い道を歩き続けているのだと分かる。
マイクを握った女性は語る。昔この地に頻繁な飢饉を起こした偏東風「ヤマセ」のこと、今も続く中央による搾取の構造、東日本大震災後の「復興」に群がった大資本、政治や巨大資本による企業誘致活動に翻弄され疲弊していく人々……。女性の声音は淡々としているが、その眼はつぶったままの人たちと対照的に開かれ、ニュース番組で現地からリポートする記者のようにこちらを真っすぐに見て話し続ける。
志賀が最初移住した宮城県の「北釜」と呼ばれる集落は、津波により甚大な被害を受け、人が住めない災害危険区域になった。本作は、その地に築かれた防潮堤の上を「途方に暮れてひたすら歩いた時間のなかで、『歩く』行為に含まれる知覚の変化、己の精神を保つ働き、抗議デモなどの抵抗の歴史や前近代的な意味を考え始めた」ことが制作の端緒になった。「眼を閉じて歩くと、真っすぐだと自分は思っても全然違う方向へ行ったり、強い風で方向感覚が失われたりする。私たちは普段何を信じて前へ進んでいるのか、素朴な『歩く』という身体行為に問われた思いがした」と志賀は話す。
続く展示室は、天井近くまで3面に張り巡らされた志賀の巨大な「写真壁画」が鑑賞者を迎える。まず目を引くのは、「瓦礫」と呼ばれる壊れた車両や船、ユンボなどの重機だ。すべてが澄んだ青色に染まり、海の波際に沈んだ様子を思わせる。その光景の上に東北沿岸部に出現した新たな風景や人々の姿、動植物などの写真や言葉が無数にモンタージュされ、さらに真っ赤な線で海岸線や網目状の道路を描き込んでいる。展示室中央では、フェンス囲いの中で土嚢が時折上から落下し、土嚢状のピロー(中に古着が詰められて座ることが出来る)も一角に積まれている。
壁面に折り重なる画像の焦点距離は様々で、立つ位置により違うイメージが現出する。原子力発電所の位置や、被災地に持ち込まれたカジノを中心とする統合型リゾート施設建設の説明会、新築の巨大ショッピングモールの写真も見える。本作《あの夜のつながるところ》と今回の展示について志賀はこう説明する。
「東日本大震災後、巨大資本が跳躍する国家の「復興」計画に圧倒され続けた。もっと豊かにと追い立てられて、人々の心のバランスが崩れ、やり過ごすことも多く、私もその一人だった。まるで『早送りした戦後日本のデジャヴ』を見るようで、その間に疲弊して命を落とした人が周りに少なからずいた。本作は、この12年間に私の中で蓄積された内的イメージの可視化を試みた。これまでの「戻らない時間」を再演することで、ここに関わった人たちの魂に語りかけたかったという思いもある」
「本展は東京都が主催のひとつで、入場も無料のいわばパブリックな展覧会になる。宮城に住む自分は、その意味を考えざるを得なかった。ここ東京で、自分の体験や思考を伝え、なるべく多くの人と共有できたらと思っている」
続く竹内の展示は、第二次世界大戦末期に日本軍が開発した「風船爆弾」を扱った作品が広い空間に並ぶ。風船爆弾は、直径10mの紙製気球に焼夷弾を搭載した無人兵器で、米国本土の直接攻撃を企図して約9300発が国内から空に放たれ、その基地のひとつが竹内の住む福島県いわき市にあった。大半は太平洋に落下したが、数百発が米国に着地し、うち一発により6人の民間人が死亡した。敗戦後に日本軍が風船爆弾の証拠を処分したため、竹内は米国の国立公文書館に保管されたかつて機密扱いだった文書記録や写真、地図を調べ、各地の落下地点にも足を運ぶなど、リサーチに基づく制作を続けてきた。
展示室中央にへたり込んだ気球が、徐々に天井近くまで大きく膨らみ、脱力するように再びしぼんでいく。風船爆弾と実寸大の《地面のためいき》は、本展のために制作した新作インスタレーション。今回TCAAの支援を得て、2021年に再渡米し、ワシントン州の核開発拠点ハンフォード・サイト近くの風船爆弾が落ちた地面を撮影した写真300枚が使われている。78年前に風船爆弾を追いかけ銃で撃った警備兵と同じ場所で竹内が撃つジェスチャーをしたり、落下地点に「×」印を付けたりした写真作品も展示されている。
長崎に落とされた原子爆弾のプルトニウムを生成したハンフォード・サイトは、米国有数の先進科学研究施設の集積地として発展した。放射能廃棄物の汚染地を抱えながら農業も盛んで、福島・浜通り地方の「復興モデル」とされた。竹内は「戦時中マンハッタン計画の中心的施設のひとつだったハンフォード・サイトでは、周辺の風船爆弾について綿密な報告がされていて、当時の写真から落下位置を正確に探し当てることができた」と説明する。会場では、UAVカメラ(ドローン搭載型カメラ)を飛ばし風船爆弾の飛行や歴史を再演したビデオ・エッセイ《盲目の爆弾、コウモリの方法》、着地点や発見地の衛星写真をペンで描いた200点超のドローイングも見ることができる。
竹内は、風船爆弾と制作テーマの「憑依」についてこう語る。
「東日本大震災後、SNS上に飛び交う差別や誹謗中傷、流言飛語の暴力性に戸惑いを感じていたときに風船爆弾の存在を知った。風船爆弾は、兵器だがメディアのようでもあり、SNSはメディアだが人を傷つける兵器にもなる。風任せの風船爆弾は、相手を「見ようとしない」人間や社会の恐ろしさと通底し、遠くへ爆弾を運ぶ遠隔攻撃技術は精度を高めて今も戦争に使われている」
「私たちは過去に起きた出来事を見ることはかなわない。だが、風船爆弾を作った人々やこの爆弾が見たであろう光景、現地で発見された痕跡を作品に提示することで、鑑賞者と疑似的な体験を共有できるのではないか。すべてが事実に基づく「証拠」とは言えないが、見る人の想像力を動かすトリガーになりえると考えている」
志賀作品とのつながりを感じさせるのが、別室に展示された映像インスタレーション《三凾座の解体》。三凾(みはこ)座は、竹内が住むいわき市に明治時代に建てられた劇場で、土地が炭鉱業で栄えた頃は連日観客で賑わった。国の登録有形文化財に認定されていたが、東日本大震災でダメージを受け、2013年に解体された。
本作は、三凾座の解体現場の映像が銀幕に流れ、今ベンチに座る観客の姿がそれと重なり合う。銀幕もベンチも三凾座で使われたもので、映像は竹内が劇場内部から撮影した。解体が進んで外光が差し込むにつれて、銀幕に映る観客の姿は徐々に薄れ、遂に消えてしまう。
竹内は「鑑賞者による追体験を目指した本作をきっかけに、歴史的な出来事やそれを伝えるメディアに目が向くようになった。近代社会が生んだ劇場と人間の関わりを見つめた本作は、近代と人間精神の根源を問う志賀さんの作品とも共通性があると思い、今回出品した」と語った。
過去の出来事や記憶に根差し、それらを再構築する志賀と竹内の作品は、方向性は異なっても共に見る者の眼差しを内面に向けさせる。各展示室がつながったシームレスな会場構成もそれぞれの作品を生かし切っていた。時間をかけて対話と相互理解を深め、充実した「2人展」になった本展をぜひ目撃してほしい。