「息をのむような虚ろな視線」(シュウゴアーツ、2023)展示風景 Copyright the artist Courtesy of ShugoArts Photo by Shigeo Muto
六本木のシュウゴアーツで現在、リー・キットの個展「息をのむような虚ろな視線」が開催されている。会期は12月23日まで。
リー・キットは1978年香港生まれ。絵画を日常的なオブジェや画像、映像、サウンドのプロジェクションとともに展開し、センシブルで詩情ある空間を作り出してきた。
Tokyo Art Beatでは、世界がコロナ禍で混迷の様子を呈していた2020年9月、キットにメールインタビューを行った。そこではパンデミックに加え、香港国家安全維持法への大規模な反対デモと逮捕者と死傷者、可決したばかりの同法案を受け、キットは以下のように心境を綴っていた。
シュールで、もどかしくて、傷ついて、なんだか「ミュート」されている感じでしょうか。
しかし、メールインタビューを行った時期を経て、キットの心のなかには悲しさとともに拭いきれない怒りが居座っていたことを今回の個展で知ることになった。
キットが5年ぶりに日本を訪れ自らインスタレーションを構成した本展。2つに分かれた展示室のうち、手前の空間は、空をたゆたう雲などの身近な風景が描かれた絵画作品がメインだ。作家にしては珍しく絵画の支持体として金属素材を用いており、どこか緊張感のある画面になっている。そして、足元にはハンマーで壊された冷蔵庫が転がっている。
いっぽう奥の部屋では、雲の絵画作品や日常風景の映像作品に加え、キットが数年前偶然ドイツの教会で目にしたというある男性の後ろ姿の映像作品が部屋の印象をつかさどっている。「その日はとても暑い日で、男性は教会で長い時間感情をあらわにしていました。その後ろ姿が印象的で思わず動画に収めたんです。投影されているのは映像ですが、静止画のときはまるで絵画のように見えませんか?」とキット。
鑑賞者の頭上では、MIDIデータ風にアレンジされたギルバート・オサリバンの「Alone Again」がスーパーマーケットのBGMのように気楽な雰囲気を作り出すが、この空間でも壊された洗濯機が床の上に横たわっている。様々な要素のミスマッチが印象的だ。
キットといえば、2018年に原美術館で大規模な個展「僕らはもっと繊細だった。」を行い、原美術館の特色ある空間とマッチした作品世界が話題を呼んだ。そのことについてキットは、「原美術館は美術館自体がとても美しかったので、それに沿うような展示にするというオブセッション(強迫観念)があった。今回はシンプルなホワイトキューブなので、自由に展示を構成できたと思います」。また、「昔は東京が持つ寂しさや悲しさに惹かれてそれを作品化したけど、いまはそうではない。2019年以降の香港の件があってからはそのことで頭がいっぱいになりました」と話す。
作家がいま抱く感情は限りなく「怒り」や「虚しさ」に近いものだということは、硬質な素材、ハンマーで壊された電化製品、リラックスしたBGMと教会の前で嘆くような男性の後ろ姿といったミスマッチな要素からもじゅうぶんに伝わってくる。そのことを作家に伝えると「自分が人々に見せているのは“コーヒー”。コーヒーを出されて、コーヒーを淹れた人の気持ちを察することはありませんよね? コーヒーだけを楽しんでもらえたら嬉しい」と笑顔を見せた。
本展から見えたのは作家の怒りだけではない。筆者は、日々混迷を呈する世界情勢の報道の最中で本展を見て、作品に頻出する雲にいまの社会全体を地続きに覆う問題を見たような気がしたし、壊れた電化製品からはそうした大きな問題に対面したときに自分が抱く無力感とやるせなさを読み取った。キットの持つ怒り、そして本展タイトルでもある「息をのむような虚ろな視線」が意味するところを、2023年末の私たちは直感的に理解できるのではないだろうか。
野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)