パリの百貨店「サマリテーヌ」が2021年6月にリニューアルオープンを迎えた。主にポン・ヌフ館、ホテル「シュヴァル・ブラン」の館、リヴォリ館の3館からなる同店のうち、全面改装したリヴォリ館の設計を行ったのは、妹島和世+西沢立衛/SANAA(以下SANAA)。かつてパリの百貨店の代名詞だった「サマリテーヌ」の衰勢からリニューアルオープンまでの歴史、建物の全貌、そして市民の声は? パリを拠点とするライターの杉浦岳史がレポートする。【Tokyo Art Beat】
ルーヴル美術館にも近い、パリでもっとも古い橋「ポン・ヌフ」。そのほとりに1870年創業の百貨店「サマリテーヌ」がある。パリの百貨店といえば「ボン・マルシェ」「プランタン」「ギャラリー・ラファイエット」が知られるが、この「サマリテーヌ」も一時はパリでいちばんの栄華を誇ったという老舗だ。とりわけ1910年に完成したアール・ヌーヴォー様式の建物「ポン・ヌフ」館は、ガラス張りの天井から降りそそぐ光がまばゆく店内を照らし、人々を驚かせたと言われる。植物をモチーフに表現した繊細なデザインの手摺りや照明、「七宝」で絵付けを施した外壁のパネルなど、アーティスティックな面でも粋を集めた建築だった。
しかし、時が移りこの「サマリテーヌ」の人気も陰ってくる。2001年にはルイ・ヴィトン、ディオールなどのトップメゾンを所有するLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)が買収を決定。その頃には建物のガラスの天井は閉ざされ、ガラスの床はリノリウムに、七宝で絵付けをした壁は白く塗られ、と創業時のデザインは影を潜めていたという。そして2005年、LVMHは「サマリテーヌ」のリニューアルとこの地区の再開発に着手するため百貨店を閉店。その16年後の2021年6月23日に新生「サマリテーヌ」がついにグランドオープンした。
それから1年、「サマリテーヌ」の存在はすっかりパリの街並みに定着したように見える。この間ルイ・ヴィトン本社をはじめ、再開発に伴う周囲の建物も徐々にリニューアルが進み、2021年9月には再開発のもうひとつの目玉となる高級ホテル「シュヴァル・ブラン」もオープン。パリ市民のあいだでも、これまで長いあいだ街の中心部で空洞のように閉ざされていた地区が美しく生まれ変わったことを喜ぶ声が多く聞かれる。
フランス国内やヨーロッパ各地の人々を中心に、本格的に観光客が戻ってきた今夏のパリ。セーヌ川沿い散策のコース沿いということもあって、新しい「サマリテーヌ」を体験しようという多くの人の視線をあらためて集めているようだ。
新しいサマリテーヌは大きく3つの館に分かれ、それぞれ時代と様式の違う建築が特徴だ。先述したポン・ヌフ館のアール・ヌーヴォー建築(1910年完成)はフランツ・ジュルダンの設計。同じポン・ヌフ館のセーヌ川沿い、ホテル「シュヴァル・ブラン」が開業した部分はアンリ・ソヴァージュの設計によるアール・デコ建築(1928年完成)。そしてリヴォリ通りに面したリヴォリ館は、今回のリニューアルに合わせて改築され、妹島和世・西沢立衛が率いる建築事務所SANAAが設計を担当。波打つガラス張りのファサードを持った現代建築が、パリの目抜き通りに異彩を放つ。
このうちアール・ヌーヴォー様式のポン・ヌフ館は、歴史的建築物にもなっている建物の創業時の姿を取り戻し、新たな命が吹き込まれた。残されたオリジナルの部材と装飾を丁寧に取り外し、様々な工芸職人や専門家らの手によって修復。すでに失われた部分、再生が難しい部分は新たに制作して、しかもすべて現代の建築・防災基準に合わせなければならないという、難易度の高いプロジェクトでもあった。
最上階の孔雀の壁画は、南仏アヴィニョンの工房で修復。パネル上になったものを現場で組み合わせ、手作業で継ぎ目を補修してさらに表面を仕上げている。またシンボルの吹き抜けに面した金属製の手摺りも、当時のアール・ヌーヴォー調のデザインを継承しつつ色調をオリジナルに合わせ明るくリニューアル。中心にあるマロニエの花を模した鉄細工には、職人が新たに金属箔を施した。
ガラス張りの天井は開放され、建設当時の色を再現したフレームに、エレクトロクロミックガラスと呼ばれる光に応じて色合いが変わるガラスを採用した。強い光を和らげ、冬は明るい光を採り入れることで省エネルギーにも貢献する。
外壁を飾る色鮮やかな壁画にも注目したい。これは溶岩のプレートに七宝(フランス語で「エマイユ」)の技法で焼き付け装飾したもの。元の壁画は文化遺産の修復を専門とする工房SOCRAがオリジナルの鮮やかさを復元しつつ、損傷が大きい約20%ほどのプレートは新しく制作。ヴォルヴィックの溶岩層からプレートを切り出し、その上に「有線七宝」などの技法を使って装飾が施され、4回の焼成を経て完成したまさしく工芸品だ。
全面改築されたリヴォリ館を設計したSANAAは、ルーヴル美術館ランス館の設計などでフランスでもよく知られた存在だ。ウェーブを描くガラスの外観はクラシカルなリヴォリ通りの街並みとその上に広がる空を投影。これは長い歴史を重ねたパリの風景を映しだし、同時に時間や季節によって美しく変化するファサードであってほしい、という建築家の思いが込められている。
曲線を描く外側のガラスは、2.7m×3.5mの大きさのガラスパネル343枚を組み合わせて構成。建築家が求めるカーブを得るために選ばれたスペイン・バルセロナの工場では、平面のガラスを一枚一枚型に置き5~8時間をかけてゆっくりと加熱、冷却するという手間のかかるプロセスによって作られている。さらにその内側には太陽光を反射するガラスと断熱ガラスを組み合わせ、デザイン性と実用性を兼ね備えた建築であることにも注目したい。
リヴォリ館の改築では、街並み景観にそぐわないとして建設反対派が提訴し、一時は裁判所によって工事が中断されて話題になった。しかし完成から1年経ったいま、時代を超えた3つの様式を重ね合わせた「サマリテーヌ」のリニューアルは、パリの景観に新たなリズムを生みだしたかのように見える。
ベル・エポックの建築を工芸職人たちの技によってよみがえらせたポン・ヌフ館と、最先端の様式と技術で創りあげたリヴォリ館。それは「伝統と革新」をつねにテーマに掲げるフランスの文化を象徴しているようだ。