映画『HANA-BI』(1998)が第54回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したほか、国内外で多くの映画賞を受賞。『菊次郎の夏』(1999)、日英合作『BROTHER』(2001)、『Dolls』(2002)に続き、『座頭市』(2003)では自身初の時代劇に挑戦し、第60回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞するなど、日本を代表する映画監督のひとりである北野武。
北野にとって6年ぶり19作目の監督作となる新作映画『首』が、11月23日(木・祝)より全国公開される。本作は1582年に明智光秀が主君・織田信長を襲撃した「本能寺の変」とそれに至るまでの裏切りの連続や大スケールの合戦を描き、刷り込まれた歴史観を覆す展開を描いたもの。ビートたけし、西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、遠藤憲一、浅野忠信、大森南朋、小林薫、岸部一徳らが戦国時代の代名詞と言うべき面々を演じる。
北野が構想に30年をかけたという本作を、東京工業大学准教授で映画研究者/批評家の北村匡平がレビューする。【Tokyo Art Beat】
北野武の約6年ぶりの新作『首』は、ビートたけしに加え、加瀬亮、西島秀俊、浅野忠信、小林薫、中村獅童といった豪華俳優陣が集結し、広く知られる「本能寺の変」を題材に壮大なスケールで描かれた戦国スペクタクル時代劇である。初期の名作『ソナチネ』(1993)の時期に脚本が書かれたというから、構想からじつに30年ものあいだ、温めていた企画ということになる。男組織の抗争を描く点で『首』は、シナリオ執筆時と同時期の『3-4X10月』(1990)や『ソナチネ』を彷彿とさせるが、本作が明示的に参照し、乗り越えようとしているのは「アウトレイジ」シリーズであろう。
事実、『首』の序盤は、天下人につかえる家臣たちを横移動のカメラで映すと、次に頂点に君臨する織田信長をフレームの中心に据え一点透視図法で捉える。これは山王会という巨大組織のヒエラルキーを視覚的に描きわけた『アウトレイジ』(2010)の序盤の引用になっている。その直後に信長が荒木村重の口に刀を突っ込んで掻き回す残酷な暴力も、大友が村瀬の口に差し込んだ歯医者の治療器具で血が噴き出る凄惨な暴力シーンを想起させる。裏切、嫉妬、謀略——「全員悪人」という「アウトレイジ」シリーズのキャッチコピーのごとく『首』にも善人はいないし、正義もない。序盤のシーンは、トップの「首」を獲るために野心を燃やすヤクザの抗争を、前近代に移し替えた「戦国版アウトレイジ」という宣言だ。とはいえ、過去作への目配せは自身の作品にとどまらない。
これまでもブレッソンやゴダールといった巨匠との類縁関係が指摘されてきたが、誰よりも影響関係が深いのが黒澤明だろう。殺陣のシーンのスローモーションの使用やグロテスクな傷跡の可視化、そしてオーバーな刀の斬殺音と飛び散る血しぶきなどの黒澤時代劇の残酷描写は、たとえば『座頭市』(2003)や「アウトレイジ」シリーズに散見される。『首』のバイオレンスもこうした映画の系譜にあり、スクリーンを引き裂くような強いワイプの画面処理も黒澤映画を感じさせる。実際、黒澤が生前、「これを撮れば、『七人の侍』と並ぶ傑作が生まれるはず」と期待したというから、間違いなく北野武の脳裏には黒澤明の存在と『七人の侍』があっただろう。北野武は、絶えず自ら作家性を解体することも厭わず、新たな表現に挑戦し続けてきた映画作家だ。『首』もまた、これまでにない主題やかつての映画を乗り越えようとする野心がある。それは何か。
端的にいえば、北野武が本作で描き出した、これまでにない要素とは男同士の愛憎劇である。むろん、かつてのヤクザ映画でも「ホモソーシャル」な欲望は濃厚に描かれてきた。近年、この言葉はネット上を中心に広く認知され、気軽に使われるようになったが、本来はイヴ・K・セジウィッグが著した『男同士の絆――イギリス文学とホモソーシャルな欲望』の議論が根底にあり、女性を媒介にした二人の男性間において、女性を排除するミソジニー(女性に対する嫌悪や蔑視)と、ホモフォビア(同性愛に対する嫌悪や恐怖)によって成り立つ親密な関係性のことを指す。すなわち、男同士のホモソーシャルな絆は、女性を嘲笑したり蔑んだり、ホモセクシュアルを抑圧したり揶揄したりすることで強化されるのだ。
たとえば『3-4X10月』での上原と玉城、純代の三角関係からは女性を贈与として扱い、女性に暴力を行使するミソジニーとホモフォビアが見出され(男同士の性的な接触は「ネタ」のように演出されている)、典型的なホモソーシャルが築き上げられている。その後のヤクザ映画『BROTHER』(2001)や『アウトレイジ』シリーズでは、女性キャラクターはほとんど姿を見せなくなる。けれども、男同士のエロティックな接触もなくなり、男性間には厳密な距離が保たれ、ホモソーシャルを保持するためにクィアな要素はテクストから排除されてしまった感があった。そんななか『首』は、ホモエロティシズムへと一気に振り切れた作品になっているのだ。
男組織の同性愛を描いた時代劇として有名なのは大島渚の『御法度』(1999)だろう。松田龍平演じる若い美少年が、持ち前の魔性によって男を次々に魅惑し、新撰組組織の秩序を混乱に陥れてゆく。ミステリアスで妖艶なイメージをあてがわれたこのオム・ファタールは徹底して異端視され、「バケモノ」として排斥される。男同士の性愛も美化され、架空のものとして仕立て上げられている。こうして組織に跋扈する強烈なホモフォビアによって、同性愛者はスティグマを負わされるのだ。だが、日本では古くから男色が当たり前のように流行していたことは周知の事実であり、これが徐々にタブー視されるようになったのは、明治維新とともに西洋化を推し進めるようになってからである。したがって『御法度』は、男色がそれほど悪とみなされていない幕末を舞台にしながら、同性愛が禁忌であるという西洋的価値観の前提で物語化しているといえる。
そのいっぽう、『首』における同性愛者の睦み合いは公然と描かれている。もちろん、戦国時代において、身分や年齢差がある男同士の性愛、いわゆる衆道はタブーではなく男色が広く浸透していたことはよく知られている。男同士のホモセクシュアルな欲望とホモソーシャルな絆は明確に切り離されることなく連続的なものだったし、男同士の性愛も公認されていた。こうした時代背景のもと、北野武は同性愛的欲望を思う存分スクリーンに炸裂させ、現代社会のアクチュアリティを提示できている。加瀬亮が怪演する織田信長は狂気に憑かれ、何をしでかすかわからない恐ろしさと危うさがある。西島秀俊が扮する明智光秀は忠義を尽くす信長に幾度もいたぶられる。遠藤憲一演じる荒木村重は謀反を企て愛に溺れ、嫉妬に狂う。本作では異様な狂気とブラックユーモアたっぷりの笑いが混じり合い、クセの強い三人の愛憎劇が物語を引っ張ってゆく。BLファンにとってもたまらない極上のBL戦国映画になっているだろう。
いっぽうにはストーリーを駆動させる男同士の愛欲というメロドラマがあり、もういっぽうには裏で誰が絵を描いたのかという陰謀のサスペンスがある。これらが巧く絡み合いながら進んでいくシナリオが秀逸で、入り組んだ知的なプロットと暴力描写はクエンティン・タランティーノを連想させる(ただし、タランティーノが冗長な会話劇で進むのに対して、北野武は台詞を最小限にして絵で語っていく映画作家だ)。そこにシュールなコメディの要素が加わり、北野映画のなかでも、もっともジャンル混淆した型に嵌まらない魅惑的な作品に仕上がっている。
さらに映画史的記憶が喚起させられる点も愉しい。オープニングのタイトルバックでは黒い漢字の「首」が赤色に変わって、上方が刀の斬殺音とともに切り落とされる。このグラフィック・デザインはヒッチコックの『サイコ』(1960)の切り刻まれるクレジット、あるいは黒沢清の『cure』(1997)の名前が切断されるエンドロールを彷彿とさせる。冒頭で謀反を企て、城を囲まれた荒川村重が廻縁で矢を放たれるシーンは、黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957)の終盤で下から無数の矢を浴びる三船敏郎を思い出さずにはおれない。貧しい百姓の中村獅童が大将の首を狙って戦国大名に成り上がろうとする姿は、溝口健二の『雨月物語』(1953)で敵大将の首を拾い、手柄を立て、侍になろうとする藤兵衛が重ねられるだろう。本作は自作を含む数々の映画史へのオマージュがちりばめられているのだ。
さて、それでは北野武の『首』は、自身の過去作や戦国時代を描いた黒澤明の傑作時代劇『七人の侍』(1954)に対して、何をなそうとしているのか。まずは上述したように、自身の作品の閉塞したホモソーシャルな絆の世界に亀裂を入れたことに加え、黒澤時代劇では検閲の関係で描けなかった男同士のホモセクシュアルな欲動を前面に押し出したこと、すなわち『七人の侍』のテクストに潜在していたホモセクシュアリティを可視化したことがあげられる。そして『首』には、初期から北野映画を支えていた男のロマン主義的な死の美学はなく、黒澤映画に見出されるヒロイズムもいっさいない。
『首』の登場人物は誰もが人間臭く滑稽で、ドロドロとして生々しい。農民と武士の図式的な対立だけでなく、武士、百姓、僧侶、忍、茶人、芸人など多様な人物が入り乱れ、欲望と嫉妬をむき出しにして動乱の世を生きている。「武人の本分が立たない」と首にこだわる武士たちに対して、農民出身の秀吉は武士の様式美にはまったく関心を向けない。とりわけラストシーンで秀吉がとる皮肉たっぷりのアクションが痛快でたまらない。世界の巨匠が作り上げた待望の新作『首』は、こうしたキッチュかつクィアな世界観で多くの映画ファンを虜にするに違いない。
映画『首』
2023年製作/131分/R15+/日本
原作:北野武「首」(角川文庫/KADOKAWA刊)
監督・脚本・編集:北野武
出演:西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、木村祐一、遠藤憲一、勝村政信、寺島進、桐谷健太、浅野忠信、大森南朋、六平直政、大竹まこと、津田寛治、荒川良々、寛一郎、副島淳、小林薫、岸部一徳
製作:KADOKAWA
配給:東宝・KADOKAWA
公開日:11月23日(木・祝)全国公開
https://movies.kadokawa.co.jp/kubi/
北村匡平
北村匡平