私の原稿では毎回5つ星による評価をつけていきます。
白い☆が評価点。
9月5日に観た展覧会。
観に行った感想 ☆☆☆☆★
初めて観たのは渋谷ワンダーサイトの「東京画」という展覧会(2007)だったが、そのときには、アナログシンセで音をつくるときの概念図みたいな絵だ、と思ったのを覚えている。
貧乏な家で、どてらを着て
耳にヘッドフォンして
MTRとレトロなシンセで音楽つくっている子が描いたような絵
そんなイメージがあった。アクが強くて多少苦手なところもあった。
でも、横浜の住宅展示場を使ったアートフェア(横浜アート&ホームコレクション、2008)で出ていた作品くらいから、その辺りの野暮ったさというか、貧乏サブカル臭みたいなものが抜け、ややお洒落になってというか垢抜けた感じになって、今ではすっかり新人アーティストのなかでの個人的に彼は注目株である。
僕は、村上隆と近藤恵介の比較は、ジーコサッカーからオシムサッカーへの進展の過程と、どことなく似ていると思う。
悲願であったワールドカップ出場は果たした。が、しかしトルシエ、そしてジーコと続いて、本当に日本のサッカーは本質的な成長をしているのかと投げかけたのが、オシム就任時になされた「批評」であったのだと思う。
これまで日本は、サッカーでもアートでも、その筋では主流といわれる彼の地になっているスタイルを「借りてきて」、「真似よう」としてきた。「世界に通用するように」を合言葉に。
だがしかし、もはや世界=西洋という、上下関係ヒエラルキー的世界観でもなくなってきた今、サッカー話に引っ掛けて、というわけではないけれど、「日本化」した、自立した絵のスタイルがそろそろ出てきてもいい頃ではないか。
村上隆は、マーケティングという手法によって、国際進出するという短期的目標達成のためのお受験的勉強(それもある意味日本人らしいけど)をして、「絶対」である西洋に「乗っかってこう!」とした、言葉悪くいえば、媚売り世代。そこで掲げたコンセプトはスーパーフラットで外面的にはその通りだったけど、心中日本人って基本格下だよねと、卑屈になっている点で内面的にはフラットじゃなかった。
でも、おそらく今の20代はもはや西洋絶対、権威絶対とは思っていないのではないだろうか(もちろんジーコを経てオシムのように、村上隆という先行者がいたからこそ、こうした「もはや西洋コンプレックスなし」世代も出てこれるようになったとは思っているが)。
ちょっと大風呂敷な話になってしまったが、
僕は近藤恵介という作家の、どこか飄々とした態度を見ていると、これまで信じられてきた唯一価値、これぞ王道みたいなものに振り回されてないように感じるのだ。そして彼の作品を見るとき、日本化されたアートが生まれつつあるのではないかというスリルを覚える。
具体的に、近藤恵介の絵画で素晴らしいと思うのは、
(1)日本絵画のルーツ(大和絵とか)を踏襲しつつ<パースが無いことや余白で見せる点、スケールを任意に変えてしまっても良いと考えて絵作りしている点>、
(2)手先起用のお国柄という日本人長所を生かし<極細筆でちまちまと、しかし超精巧に描く職人>、
(3)現代日本のライフスタイルを上物として乗せ<モチーフとしてモダンインテリアに着目しているところが面白い>、
(4)ポップミュージックにおける構成の論理を絵に持ち込むという、ジャンルミックスのセンスを持ち <近藤恵介の絵に見る同じ要素の反復・差異の構図はシンセサイザーの音作りに似ている。モジュール(工学設計上の概念で、システムを構成する要素となるもの。音色のもととなる電波などの「部品」のこと)を一定のパラメーター(変数)で組み合わせてひとつの音色をつくるのだがその概念図を彼の絵は連想させる。>、
そして、これらを軽やかなバランス感でもって行う点である。
また、この作家がどんな環境で普段描いているのかも、僕は気になってよく勝手に想像するのだが、
おそらく欧州伝来的なアトリエではなく、どちらかといえば狭小な日本家屋空間で、
そこで机の上に鳥の子和紙を貼ったボードを置き(キャンバスではなく)、
ラスタマン(ジャマイカンレゲエに傾倒する人のこと。一言でいうとドレッド頭のレゲエ兄ちゃん)風の頭をしたこの青年は、
アメリカ系のグランジか何かの音楽を聴きながら
岩絵の具、水干、膠など日本画の材料で、
今の時代のインテリア、2バイ4のDIY用木材とかボールシーリングライトとか室内用観葉植物だとかを
ミニチュアモデルの職人ばりの緻密さで、極細筆でちまちまと、
源氏物語絵巻の空間表現に見るようなパースをわざとなくした描き方で
テクノミュージックばり人工的で規則正しい配列で描いているのではないだろうか。
とてもハイブリッドだ。
最初に書いた通り、学生の野暮ったさみたいなものが取れて垢抜けてきたし(余白がきれいにヌケるようになってきたし、絵柄や色使いも涼しげだ)、なかなか絵がいい塩梅になってきたと思う(ただし、陰気なサラリーマンみたいな人の顔の絵だけは未だに野暮ったさの域を抜け出ていない印象があって正直まだ抵抗感を覚える)。
コマーシャルギャラリーでの本格的な個展としてはまだ2回目だが、「今が買い」の作家、また個人的にはアートフェアでもいい、国際舞台で日本の注目ルーキーとして海外の人にぜひ見せて欲しいアーティストである。
ただ、日本の小屋的空間にはしっくりきそうな一方、海外のコレクターのゴージャス邸宅にはどんな風に合うのだろうかということだけ、頭の片隅で思いつつ。