公開日:2021年12月29日

食材で構築されたオブジェの幻想的な写真。「フィリア — 今 道子」展(神奈川県立近代美術館 鎌倉別館)レポート

国内の美術館では初の個展。その軌跡を、初期作から近作まで約100点からたどる。

今道子 シスターバンビ 2017 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI

2022年1月30日まで、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館にて「フィリア — 今 道子」展が開催している。今回は展覧会の様子を、作家の遍歴を交えながら紹介する。なお、下記の内容については会場の解説パネルを一部引用した。

今道子は1955年生まれ。鎌倉市出身であり、「私が生まれて初めて立ち上がったころ、蓮池のある鎌倉の近代美術館で、イサム・ノグチのコケシの彫刻と一緒に、父が写した写真があります」と会場入り口展示パネルにも書かれている通り、本館ともゆかりのある作家だ。

高校卒業後、美術学校の版画科に進み、当初は写真や印刷物によるコラージュを用いた版画を制作していた今だが、自身の描くイメージを実現することへの困難を感じるようになる。そんななか、写真家の安齊重男に学んだことも一つの契機となり、写真というメディアへとフィールドを移し、独学での制作を進めていく。

今道子 繭少女 2017 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI

展示冒頭には、セーターを着て椅子に腰掛ける人物をキャベツで象った《キャベツ氏》(1981)など、今の写真家としての初期作が並ぶが、独自の作風、すなわち、市場に並ぶ魚や野菜などの食材と靴や帽子といった日常的なモノを素材とすること、それらを組み合わせたオブジェを自然光で撮影し印画紙に焼き付けた写真を作品とするスタイルが、すでに確立されていることが見受けられる。

35mmフィルムなどで撮影され、自費出版された最初の写真集『EAT』(1987)は、その異彩を放つ作風により大きな注目を浴びることになる。同年に第3回東川町国際写真フェスティバル新人作家賞、91年には第16回木村伊兵衛写真賞を受賞し、翌92年にはMITリスト・ビジュアル・アーツ・センターで個展を開催するなど、国内外問わず高く評価された。

今道子 キャベツ氏 1981 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI
今道子 蟹+剣道面(セルフポートレート #4) 1990 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI

構築されたオブジェは、撮影が終わると片付けられ、この世から消滅する。写真というメディアについて、今は「映像を止めることができ」、「いずれ、消えて、失っていってしまう体(植物や、魚や、蛸や、鳥や、虫や、人体や……)を封じ込めてしまう」と語る。オブジェが食材というすぐに腐敗してしまうもので構築されているがゆえに、そのすがたを「封じ込め」る装置として写真を用いているともとらえられるが、そもそもこのオブジェが作家のイメージを実現したものである以上、写真が「封じ込め」ているのは、生活のなかで時々刻々と変化する作家の身体感覚とも言えるだろう。

「フィリア — 今 道子」会場風景より

多くの作品タイトルが、《金魚+イクラ+歯ブラシ》(1985)のように構成物の足し算のように併記していることも興味深い。足し算の最後に記載されたモノが作品の主要なモチーフとなっており、各素材は必ず実物が使用される。

今道子 金魚+イクラ+歯ブラシ 1985 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI

素材同士の必然性のなさから「デペイズマン」(本来つながりのない異質なもの同士を組み合わせて予期せぬ関係性を作り上げる手法)を思わせることや、プリントされた写真がモノクロームであることから、今の作品はシュルレアリスム的と見なされるかもしれない。だが実際は、食材の鮮度や自然光の当たり方という制約を、作家は偶然性として手放すのではなく、自身のイメージへと近づけるために制御しようとする。その制作はシュルレアリスムというよりも、むしろ1980年代にみられた、「コンストラクテッド・フォトグラフィ」(あらかじめ想定された画面をつくるために、撮影者が演出家となり非現実的なイメージを作り上げる写真)の流れを汲んでいると言える。

今道子 鰍+帽子 1986 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI
今道子 蛸+メロン 1989 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI

キャリアを通じて一貫した作風を思わせる今の写真作品。だが、オブジェのモチーフには変化が読み取れるだろう。『EAT』刊行前後の初期は帽子、衣服、靴、椅子、歯ブラシ、植木鉢といった生活する空間に存在するもの、あるいは自身が所有しているであろうものが多用されたが、2010年前後の作品には女王、巫女、少年、少女など幻想的な「像」が多く登場する。

後半では、カラー写真も展示される。1994年から2002年にかけて約30点が制作されており、《赤い燕尾服》(1994)は赤色、《小鯵+帽子+髑髏》(2002)は青色のカラーフィルタが用いられている。いずれも単色であることから、あくまで今の関心がモノクロームにあることがうかがえるが、写真以前に銅版画特有の黒に親しみがあったことも大きいだろう。

今道子 赤い燕尾服 1994 発色現像方式印画 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI
今道子 小鯵+帽子+髑髏 2002 発色現像方式印画 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI

展示の最後を飾るのは本展タイトルと同じ名前が冠されたインスタレーション《フィリア》(2021)。1979年から2013年の作品が「祭壇」というイメージのもと並べられている。その配置は非対称であり、額縁の配色にも規則性は見出せない。だが「祭壇」という言葉によって、自身の作品たちを省み、供養しているようでもある。

展示風景より、今道子《フィリア》(2021)

展示タイトルにも用いられている「フィリア」はギリシャ語で「愛」を意味する。作家はフィリアという言葉の響きをきれいだと思いつつも抵抗感があったというが、被写体へのまなざしこそ、愛なのではないかと感じるようになったことがタイトルの決め手だったという。「何か、もの狂いなのかもしれない」。今が語ったこの言葉は、自身のイメージを作品として実現してくれる被写体への、狂気すら帯びた「フィリア」によって制作が続いていることを、私たちに示唆している。

今道子 シマウマのブーツ 1996 ポラロイド 作家蔵 © Michiko Kon, Courtesy of PGI

浅見悠吾

浅見悠吾

1999年、千葉県生まれ。2021〜23年、Tokyo Art Beat エディトリアルインターン。東京工業大学大学院社会・人間科学コース在籍(伊藤亜紗研究室)。フランス・パリ在住。