絵に飲み込まれる。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で6月17日に開幕した 「中園孔二 ソウルメイト」展の会場は、まるでおもちゃ箱がひっくり返った床面のように絵が広がり、すぐさま中園の絵画の世界に引きずりこまれていくような感覚があった。展覧会の会期は6月17日~9月18日。
本展担当学芸員の竹崎瑞季は「人を惑わせるような中園さんの作品の雰囲気を、会場デザインやちらしのデザインにも反映してもらった」と話す。公式ウェブサイトでも、うねるように怪しく動く「ソウルメイト」の文字がとらえどころのない中園の作品世界を表現。ちらしデザインはグラフィックデザイナーの畑ユリエ、会場デザインは建築家の大石雅之が担当した。
中園孔二は1989年生まれ。2012年に東京藝術大学を卒業し、その翌年「中園孔二展」(小山登美夫ギャラリー・東京)で作家デビューを飾った。2014年末に山と海に囲まれた香川県の土地柄に魅かれ移住したが、翌年夏、香川県瀬戸内海沖にて消息不明となり25歳の若さで生涯の幕を閉じた。本展は、わずか8年の作家人生で約600点の作品を残した中園のキャンバス作品約220点、ドローイングやメモ70冊、自宅やアトリエにあった資料を含めた約300点が集まる最大規模の個展となっている。
本展タイトルの「ソウルメイト」とは、中園が残したノートのなかに書き記していた言葉で、展覧会の軸となるキーワードでもある。「魂の伴侶のような親密な存在という意味でとらえてほしい。中園さんはつねに誰かを求め、他者を希求しながら制作のエネルギーに転換させていました。また、絵画を描くこと自体が“親密な何か”であったのではないかとも想像します」と竹崎は話す。
「ぼくが何か一つのものを見ている時、となりで一緒になって見てくれる誰かが必要なんだ」
これは、中園のノートに残された一節だが、このような中園の言葉は会場各所に掲示され、本展を見るうえでの手引きとなっている。中園が見たことや考えたことを知ること、ひいては中園と「ともに見る」かのような体験を得ることが本展のねらいだ。
「描き続けること」「ひとびと」「多層の景色」「無数の景色」「場所との約束」「イメージの源泉」「ソウルメイト、ともにあるもの」の7章で構成。迷路のような会場デザインは素直に順路を進むことを許さないが、その混乱が楽しい。
1章「描きつづけること」の章では、中園が「アートアワードトーキョー丸の内2012」で小山登美夫賞とオーディエンス賞をダブル受賞した実質的なデビュー作《Untitled》(2012)からスタート。若き中園の才能にいち早く着目したギャラリストの小山登美夫は当時、作品の魅力を「内容にともなった技法の多彩さにある。何を描くか、そしてどう描くか。素材がどう使われるかで異なる空間が浮き上がり、モザイクのように組み合わせられた集まりから絵画が立ち現れる。その実験に果敢に取り組む姿は、すばらしい」(*1)と評価。様々なイメージが氾濫する同作はすでに中園のスタイルを予言しているかのよう。
2章「ひとびと」では、人、顔、あるいは人のようなイメージが頻出する作品にフォーカスする。「人間・非人間の境界線上にあるような謎めいた表現が多いのが特徴です。また、人の中に人があるような入れ子構造のようなスタイルもよく見られます」と竹崎。たしかに、一見ただの幾何学模様に見える衣服の模様を凝視するとそこに人の顔があることに気付いたり、ぼんやりと謎めいた人の顔イメージもあったり、人のようなものが多数描かれていることに気づく。なかには「星のカービィ」が好きだったということがわかる造形もあり、早熟な鬼才のイメージが強い中園の等身大も見え隠れするようで微笑ましい。
3章「多層の景色」と4章「無数の景色」では複雑な「景色」を作り出している作品群が、2枚の壁が顔を合わせるように配置されている。3章はキャンバスの奥から手前にいくつかのレイヤーがあり作品を眺める距離によって違うモチーフが見出せる作品、風景画と顔とが重なる作品など、描き込みが目を引くパワフルな章。
いっぽう4章「無数の景色」は、溢れ出るエネルギーをそのまま描きつけるような作品が集まっており、支持体としてアクリル板を使用した作品など中園の実験精神も炸裂。この3、4章は本展でもっとも作品点数が多いセクションだが、「中園さんの世界に入り込んでほしいということからこれだけの点数を展示しました」と竹崎。腰掛けるスペースもあるため、そこに座って目の前に広がる作品群を景色のように眺めるのはどうだろうか。描いているものはバラバラだが「景色は一個」(*2)と語った中園のメッセージもすとんと腑に落ちるだろう。
もともと自然が身近にある土地で生まれ育った中園は、夜の森を連日長時間ひとりで歩いていたというエピソード(*3)もあるほど、山や海などの自然に親しみを持っていた。5章「場所との約束」は、そんな中園が最後に暮らした自然豊かな地・高松で描かれた作品が集まってる。関東からひとり縁のない地に移り住み、絵画に向き合った中園は何を考えていたかはもう誰にわからない。だが本章では、広大な自然をひとり分け行って歩く人物、ひとり佇む人物など中園の自画像かのように見える作品も散見され、当時の中園の眼差し、表情までもが生々しく立ち上がってきているように見えた。
展覧会はここで終わりではない。6章「イメージの源泉」では、中園が大量に描いたドローイングや実現には至らなかったインスタレーション構想のスケッチ、ノート類の資料を展示し、中園の思考をさらに深掘りしていく。なお、8月18日には本章で紹介されるようなドローイングや日記、家族や関係者の取材を通して生涯と人物像、画業に迫る初の評伝『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』(村岡俊也著、新潮社)が出版されるため、作家の思考に興味を持った方はそちらにも楽しみに待ちたい。
最終章となる7章「ソウルメイト、ともにあるもの」に並ぶのは、中園とともにあったマンガや小説、作品集たち。「絵画や身近な人物以外にも、音楽や映画などのカルチャー、過去の絵画の営みが彼の世界観を支えていたことがわかります。それらも彼の“ソウルメイト”と言えるものだったのかもしれません」と竹崎。
さらに、壁には中園がノートに書き記した絵画に関するいくつかの言葉が掲示されている。たとえば以下のようなものだ。
「絵画は性質的に、うそをつくことのできない、純度の高い“優しさ”である」
「自分は、絵画と関係をもっている。続く限り、絵画は自分にとって、唯一、フェアであると言える」
それらはまるで中園から絵画に向けたラブレターのようでも、絵画という宿命を受け入れた覚悟のようにも見えてくる。中園にとって絵画を通してどんな景色を見てきたのか、 この章に行きつく頃には、見る人それぞれのなかで答えが出ているかもしれない。
人間は誰しも多面的なものだが、中園の作品や資料を見ると、それはミラーボールのように限りなく球に近い面の数があるのではないかと思えてくる。若くして伝説化してしまった画家の眩い軌跡を目の当たりにしてほしい。
*1──アートアワードトーキョー丸の内2012ウェブサイト https://www.marunouchi.com/lp/aatm/2012/ja/awards/
*2──8/ TV配信動画:中園孔二 展、8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama https://youtu.be/6Fhzw5thoSM
*3──村岡俊也著『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』(新潮社、2023年)「はじめに わからなさの手触り」より
野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)