近年、国内外で再評価が高まる現代美術家、三島喜美代(1932〜)の展覧会「三島喜美代―未来への記憶」が、練馬区立美術館で開催されている。会期は5月19日〜7月7日。
三島喜美代は、1932年大阪府大阪市生まれ。高等女学校の担任が絵を描いていたことから自身も絵を描き始め、後に夫となる画家・三島茂司(1920〜85)に師事。具象画から抽象画、コラージュやシルクスクリーンの平面作品を経て、70年代に文字を陶にシルクスクリーンで転写し焼成した「割れる印刷物」を発表する。
80年代以降は巨大な陶作品やインスタレーションを、2000年代には産業廃棄物から作られる溶融スラグを用いた大型作品を手がけるなど、多彩な表現手法を用いて制作。急速に進む大量消費社会や情報化社会へ批評的な視線を投げかけながらも、遊び心をもった作品を生み出してきた。
本展は、初期から近作まで、70年に及ぶ三島の創作の軌跡をたどる4章構成だ。「第1章 初期作品 1950年代~1970年頃」では、今回が初公開だという油彩画やコラージュなどの平面作品が多数展示されている。
コラージュには、夫の茂司が買い集めた雑誌『LIFE』や外国の新聞、印刷会社が廃棄したポスターやチラシ、油絵具などが用いられている。規則的でグラフィカルな作品が、じつは茂司が捨てずに貯めていた競馬の馬券や出走表で構成されている、という後の創作へのつながりを想起するものも見られた。
また、1950年代当時、最新の潮流だったアンフォルメル風の抽象絵画の影響や、1960年代半ばのシルクスクリーンを用いたポップアート的な画風も。小さいながらも整然と展示された、素描のスケッチカードも珍しい資料だろう。
いずれも半世紀以上前の制作ながら、保存状態が良く、そのほとんどがケース越しではなく直接鑑賞できる。展示室で間近に対峙し、じっくりと鑑賞してほしい。
さらに奥の壁面には、「割れる印刷物」の初期作《Package'74》(1973〜74)が展示されている。作陶し始めてまだ日が浅いはずだが、すでにイメージを繊細な造形で表現できていることに驚く。続く「第2章 割れる印刷物 1970年頃~」には、半世紀にわたり独自の表現として展開してきた、様々な陶の作品がずらりと並ぶ。
ここでも平面作品と同様に、ケース越しではなく直接鑑賞できる作品が多い。どんなに近づいてじっくりと見てみても、紙や金属ではなく、陶で作られていること、また、徐々に巨大化していった作品を陶土で制作し続けた技術力の高さにも目を見張る。
思わず触って確かめたくなるであろう、多くの鑑賞者の期待に応えるかのように、本展の一角にはなんと実際の作品を「さわれる」コーナーが設置されている。質感や重さ、彩色など、直接触れながら細部まで体感してほしい。
三島はこの時期も、コラージュやシルクスクリーンを用いた1960年代の作品から一貫して、古い新聞紙やチラシ、雑誌などをモチーフに創作し続けてきた。その根底には、高度経済成長期を経た日本の資本主義・商業主義社会と、そこに氾濫する膨大な情報への不安感や恐怖感があったという。
それからたった数十年で、日本はおろか世界中で、当時とは比較にならないほどに膨大な情報が氾濫する社会となった。印刷物として存在していた新聞や雑誌は、もはやメディアそのものの存在意義すら揺らいで久しいかもしれない。
ちなみに、第2章に展示された作品の中には、陶ではなく、モチーフにした素材そのままを作品にしたものが混在している。本当にさりげなく設置されているので、ぜひ探してみてほしい。
そして「第3章 ゴミと向き合う」では、段ボールや空き缶など、暮らしの中にある身近なゴミを題材に陶で制作した作品が並ぶ。これらの作品には、1990年前後の環境への意識の高まりと、陶土も有限の資源だという気づきから多様化していった素材の変遷が伺える。
たとえば、産業廃棄物を1400度もの高温で焼成し生成されるガラス状の粉末、溶融スラグと廃土を混ぜた土で作られた大型作品は、マンガ雑誌をモチーフにしたユニークな形ながら、なんとも表現し難い独特の質感と雰囲気をまとっている。
2005年、かつて産業廃棄物の問題で揺れた瀬戸内海の直島には、三島が手がけた、高さ4.6mもの巨大なゴミ箱の野外彫刻が設置された。
また、「ゴミからゴミをつくる」と事あるごとに発言している三島。近年では、へこんだブリキ缶や鉄くず、廃車のパーツ、わざわざ渡米先から持ち帰ったというサビついてボロボロの古い時計までをも素材とし、作品を作ってきた。長らく制作している「割れる印刷物」とともに、こうした作品も展示されている。
会場では、2023年に撮影された三島のインタビュー映像が流れているが、三島は60年代からすでに「これからはゴミの時代だな、どこへ行ってもゴミがある」と感じており、時代を掴む感覚の鋭敏さが垣間見える。
また、「ゴミが作品になるから面白い。それをゴミと見るかどうかも、人によるから面白い。なんぼでもできます」とも語っているが、三島が世界をどのように見ているのか、そもそも「ゴミ」とはなんだろうか、思わず考えてしまうだろう。本展を観る前と後で、「ゴミ」の見え方も変わるかもしれない。
本展を締めくくるのは、大規模なインスタレーション《20世紀の記憶》(1984〜2013、個人蔵)だ。常設で展示する東京・大田区の「ART FACTORY 城南島」から、今回初めてまるごと移設し、フルスケールで展示されている。
空間に一歩足を踏み入れると、まずその物量に圧倒されるだろう。筆者は驚き以上に、まるで瓦礫だらけの荒野のような光景に、かの地の戦火や多くの災害の後を想起し、ただただ殺伐とした悲しさを感じた。
びっしりと敷き詰められた中古の耐火レンガは、会場で流れる映像によれば、かつて三島が使用していた窯で使われていたものだ。1万個を数えるその表面には、20世紀の100年間の新聞記事が転写されている。時の為政者の動静、戦況を報じる大きな見出し、日常のなんてことのない広告まで幅広く、文字通り20世紀の記憶の断片が視覚化されているようであり、時代に向き合い続けてきた三島の記憶そのものが刻まれているようにも見える。
三島は、紙に印刷された情報を陶に転写する行為を「情報の化石化」と名付けている。展示の終盤に置かれた《化石になった情報 88》(1986〜88、個人蔵)は、まさに発掘された化石をゴロゴロと載せたワゴン車のようだった。
2020年代に入り90代を迎えた三島は、第63回毎日芸術賞などの受賞や展覧会の開催が相次いでいるが、本展は東京都内の美術館で初めて開催される大規模な個展だ。
どこまでもユーモラスに時代と対峙し、精力的に表現し続ける三島の一貫した姿勢は、声高にわかりやすく叫ぶよりも、ずっと強烈かつ実感をともなって、情報の洪水に溺れる現状や切迫した環境問題、ひいては現代社会の諸問題を鑑賞者に意識させるだろう。
Naomi
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