公開日:2024年10月3日

タイ深南部パッターニーの芸術祭「Kenduri Seni Patani 2024」開幕レポート:紛争と共に生きる人々の熱を感じて(文:小鷹拓郎)

タイ深南部パッターニーは、国民の9割が仏教徒であるタイにおいて住民の約8割がイスラム教徒である地域だ。タイ国内ではイスラム過激派による爆弾テロの頻発地帯としても知られているこの地域を舞台に、今年で3回目となる芸術祭「Kenduri Seni Patani」が開幕した。会期は12月31日まで。2018年に初開催された芸術祭から参加アーティストとして関わり続けている小鷹拓郎が現地からレポートをお届けする。(撮影:筆者)

会場風景より、Wanmuhaimin Etaela《PERARAKKAN Baling-baling kertas》

タイ深南部パッターニーとは

タイ深南部とは、有名な観光地プーケットよりもさらに南にある地域。美しいビーチなど豊かな自然に囲まれている。住民の多くはイスラム教徒で、女性はヒジャブを身に纏う。マレーシアとの国境が近いことも影響し、雰囲気はむしろマレー世界に近い。公用語のタイ語のほかに、マラユー語と呼ばれる特有言語が日常的に使われる。タイの都心部と比べて一般犯罪は少ないが、政府軍とイスラム教過激派との紛争で爆弾テロが頻発している地帯であり、2024年9月現在、日本の外務省のHPでは危険度が上から2番目の「レベル3:渡航は止めてください(渡航中止勧告)」がタイ深南部に発令中だ。パッターニーでは3kmごとに軍の検問所が設置されている。各検問所には大きな銃を抱えた重装備の軍人たちが配置され、地元住民たちは24時間、監視下に置かれながら日常生活を送っている。

パッターニーアートと筆者の出会い

筆者が初めてタイ深南部に関わるようになったのは2017年。当時タイ北部のチェンマイで活動していた頃、周りから「タイ深南部の爆弾テロ地帯に超ポリティカルなイスラム教徒のアートシーンがある」という噂を聞くようになった。次第にタイ深南部に足を運ぶようになり、制作活動を通して現地言語を学び、パッターニーのアーティストたちと交流を深めていった。

2018年にタイ深南部で初めて開催された芸術祭「RE/FORM/ING PATANI」、2022年に開催された2回目の芸術祭「Kenduri Seni Nusantara」、そして3回目となる今回の芸術祭「Kenduri Seni Patani」で参加作家として関わり続けてきた筆者が、日本ではあまり知られていないタイ深南部の最新情報をレポートしていく。

タイ深南部パッターニーの郊外にあるアートスペース「Patani Artspace」
タイ深南部パッターニーの郊外にあるアートスペース「Patani Artspace」

タイ深南部のアートシーンに欠かせない場所「Patani Artspace(パタニ・アートスペース)」

2012年にパッターニー郊外に設立されたスペースPatani Artspaceは、タイ深南部のアーティストたちがつねに集っている本拠地だ。「アチャンチェ」の愛称で慕われているムスリムアーティスト、Jehabdulloh Jehsorhoh(ジェアブドゥラ・ジェソーホー)が代表をつとめる。アートスペースの建設時は家族とスコップで土地を掘り起こすところから始まった。いまでは展覧会を開催するギャラリースペースのほか、作家の関連グッズを販売する売店、カフェ、レジデンススペースなどが併設されている。

タイ深南部のアートシーンの魅力

タイ深南部のアーティストたちがほかの地域の作家たちと異なる点は、その表現が非常に強い政治性を持っていることだ。モチーフは彼らが日常的に触れている爆弾や銃火器、戦車、軍であることが多い。

さらに彼らの凄いところはサバイバル能力の高さである。彼らはスペースの運営やイベント開催、自分の作品制作に至るまで、すべて自分の作品の売上げや働いた給料だけで賄っている。展示会場であるアートスペースさえも自力で建築してきた。筆者が2017年に初めてPatani Artspaceを訪れた際はたった2棟の建物しかなかったが、2024年現在、なんと6棟の立派な建築物ができており、3階建ての鉄骨ビルでできたアートスペースやレジデンススペース、2階建ての全面ガラス張りでできた展示ギャラリー、見晴らしの良いカフェ、イスラム教徒たちのお祈り部屋などが立ち並んでいた。これらを建築・設計・施工したのもすべて地元のアーティストで、建築費用もアート作品の売上げや給料で賄っている。行政や企業からの援助は一切受けていないのだ。

芸術祭のチケットは、ナンバリングされた「枯れ葉」

タイ深南部で100組のアーティストが参加する芸術祭が開幕

8月10日、タイ深南部では3回目となる芸術祭「Kenduri Seni Patani」が開幕した。

芸術祭の開催場所は、Patani Artspaceをメイン会場とし、市街地にあるカフェ、大学、お寺、空き倉庫、郊外にあるギャラリーといった異なる特色をもつ9つの会場だ。現地のアーティストたちはネガティブで危険なイメージがついているタイ深南部の地域資源や多様性をアートの力で世界に発信することで、この地域で起きている問題の本質を見極めるきっかけとなることを目指している。

今回のテーマは「Before birth and beyond death」(誕生前、そして死後)。社会問題や環境問題、国家の枠組みを意識しているアーティストがタイ国内外から100組参加。日本からは筆者の他に、居原田遥+澤隆志による共同プロジェクト「たてなおシアター」も出展している。

各エリアで見られる作品の一部を紹介したい。

メイン会場のPatani Artspace
メイン会場のPatani Artspace

9つの会場でアート作品が展示

会期中のPatani Artspaceでは、同アートスペースの代表でタイ深南部のアートシーンを牽引する最重要ムスリムアーティストのひとりJehabdulloh Jehsorhohの作品を見ることができる。これまでタイ軍による暴力や弾圧をテーマにしてきた彼は、伝統的なマレーの建築家屋をアシスタントらとゼロから建築し、パッターニーでは安全のシンボルとなっているカラーコーンを組み合わせた新作《Structure and emotional debris of insecurity》を発表。

展示風景より、Jehabdulloh Jehsorhoh《Structure and emotional debris of insecurity》
展示風景より、Jehabdulloh Jehsorhoh《Structure and emotional debris of insecurity》

仏教徒でありながらムスリムアーティストたちとも親交が深いアーティストKorakot Sangnoy(コラコット・サンノイ)は、金箔をあしらったココナッツを青い部屋に吊り下げた《​Low ceiling》を発表。社会を統治する権力と、支配された市民の不平等の構造を展開した。

展示風景より、Korakot Sangnoy《​Low ceiling》

世界各地の展覧会に参加してきたマレーシアの版画コレクティブ Pangrok Sulap(パンクロック・スゥラップ)は、パッターニーで地元住民らと触れ合いながら滞在制作した5mの大きな版画作品《Bumi Patani》を制作。版画を通して、タイ深南部の文化、伝統、そして人々を悩ませ続ける根強い対立を表現している。

展示風景より、Pangrok Sulap《Bumi Patani》
展示風景より、Pangrok Sulap《Bumi Patani》

相乗りバイクで軍の検問を突破、9つの会場を巡るアートツアー

オープニングセレモニーでは、相乗りバイクに観客と参加アーティストが同乗し、点在する9つの会場を1日かけて巡るアートツアーが開催された。ツアー参加者のほとんどはタイ深南部の外から来ていた人々。物々しい軍の検問所をすり抜けて、スリルを味わいながら各会場を巡っていった。

ツアーの様子
ツアーの様子

元児童養護施設の展示会場

児童養護施設だったPattani Home for Childrenでは、各フロアごとに様々なアート作品を見ることができる。

タイ深南部で最古参の現代アーティストPichet Piaklin(ピチェット・ピアクリン)は、白いマットレスの上に昆虫の羽や小石、陶器の破片などを並べた《The body and the disintegration of the worthless soul》を発表。傷ついた市民の心体を癒し、落ち着かせる安全な空間をイメージしている。

展示風景より、Pichet Piaklin 《The body and the disintegration of the worthless soul》
展示風景より、Pichet Piaklin 《The body and the disintegration of the worthless soul》

新世代のムスリムアーティストWanmuhaimin Etaela(ワンムハイミン・エサエラ)は、学習机と椅子でつくられたバリケードの奥に、平和や希望を象徴する紙の風車を持ったイスラム教徒の学生らが行進するヴィデオインスタレーション《PERARAKKAN Baling-baling kertas》を発表。暴力を経験した人々に希望と励ましを与え、平和な社会の願いを空間に反映させた。

展示風景より、Wanmuhaimin Etaela《PERARAKKAN Baling-baling kertas》
展示風景より、Wanmuhaimin Etaela《PERARAKKAN Baling-baling kertas》

参加アーティスト対抗のボートレース

ツアーが終わってPatani Artspaceに戻ると、眼前に流れている川で参加アーティスト対抗のボートレースが開催された。さらに現代的な音楽ライブや伝統的な舞踊、人形劇なども行われ、アート関係者だけではなく、地元住民も多く来場して楽しんでいた。

ボートレース
ボートレース

例年の芸術祭と比べて変化した点

2017年に開催された初回の芸術祭では参加アーティストは20組程度だったが、2回目には50組に増加、今回は過去最多となる100組以上のアーティストが参加し、芸術祭の規模が拡大した。

変化の兆しを感じたのは地元アーティストたちの共通意識だ。これまではタイ深南部の内側に向いていたものが、本芸術祭ではヌサンタラ地域(ヌサンタラとは、13世紀にマジャパヒト王朝が制覇した地域の名称。現在のインドネシア、マレーシア、シンガポールに該当)を強く意識して作られた作品が多く、国家の枠組みを越えてマレー世界を見据えてきたように感じた。

観客もマレーシアやインドネシアから来訪しており、タイ語よりもマラユー語やマレー語が多く飛び交っていた。タイ国内で心身ともに疲弊するなか、彼らの意識がマレー世界に向いてきたのは自然な流れなのかもしれない。

寺院の作品撤去騒動

芸術祭オープニングは終始和やかな雰囲気だったが、その翌日、タイ深南部ならではのハプニングが発生した。芸術祭会場のひとつだった仏教の寺院 Lak Muang Temple(ラック・ムアン寺院)にタイ軍が突然おしかけ、展示されていた芸術作品がすべて撤去される事態になった。

問題が起きた寺院「ワット・ラック・ムアン」

ある観客から寺院で展示されていた芸術作品に対してクレームが入り、国家、宗教、王室に対する冒涜であると非難されたことで、軍が出動したのだ。

そのうちのひとつは、Pichit Sonkom(ピチット・ソンコン)《littel boy》という作品。広島に落とされた原子爆弾、通称「リトルボーイ」を朽ちていく段ボールで制作した作品。原子爆弾の悲劇を人類が再び繰り返さぬよう、戦争、暴力、破壊が朽ちて価値がなくなる願いを込めて制作したとのこと。クレームの理由として「タイ軍を批判しているのでは」と意見が入ったため、撤去された。

撤去された作品のひとつ、Pichit Sonkom《littel boy》

11人のアーティストで結成されたラオスのコレクティブ Lost JigSaw(ロスト・ジグソー)が制作した数点からなる抽象画シリーズ《Telling to you》。人類の進化と負の歴史をテーマにしている作品で、薄く白い綿布にそれぞれ異なるタッチや描き方で空間を構成するというものだった。クレームの矛先は作品自体ではなく、作品の裏地として使用していた赤い布。「赤はタクシン元首相のイメージカラーを表現している」という意見により撤去された。

撤去された作品のひとつ、Lost JigSaw《Telling to you》

ココナッツを使って戦車をモチーフにした彫刻作品を作り続けて来たムスリムアーティストSuhaidee Sata(スハイディー・サタ)は、自然素材と暴力を対比させた作品《Symbol of violence》を制作。しかし「モチーフの戦車が明らかに軍を批判している」との意見陳述を受け、何者かによって作品が破壊された。軍からは「犬が噛んで作品を壊した」と説明を受けた。

撤去された作品のひとつ、Suhaidee Sata《Symbol of violence》
破壊された作品

地域住民への説明会

翌日、筆者を含む参加アーティストは、不安を募らせていた寺院周辺の地元住民らに対する説明会に出席し、自身の作品について丁寧に説明を行った。しかし、結果的に寺院に展示されていたアート作品はすべて撤去されることになった。

地元住民に事情を説明するキュレーターAnuwat Apimukmongkon (アヌワット・アピムモンコン)
説明会の様子

代表のJehabdullohはマイクを握りしめ「みんな本当にすまない。みんなのおかげで素晴らしい芸術祭を開催することができたのに、作品が撤去される騒動に発展してしまった。しかし今回のようなことは初めてじゃない。これがタイ深南部の日常だ。ここでは軍による抑圧や暴力が日常的に起こっている。しかし、我々は武力による抵抗ではなく、アートの力を信じて、アートによる対話を続けていきたい。みんな、どうかこれからも力を貸してほしい」と静かに、そして熱く語っていた。

作品撤去騒動の夜、参加アーティストのみがPatani Artspaceに集められ、事件の現状や芸術祭の進むべき方向性について夜遅くまで話し合いがおこなわれた

タイ深南部のアーティストたちは日々、軍の脅威と抑圧に苛まれながら成長を続けてきた。そんな彼らに魅了され、続々と集まってくる外部の人々。紛争がやまないこの地でパッターニーのアートシーンはどう変化していくのだろうか。これからも見守り続けていきたい。

Kenduri Seni Patani2024の参加アーティスト一同で記念撮影

Kenduri Seni Patani
会期:8月10日〜12月31日
会場:全9会場(このうち寺院は展示中止)
Patani Artspace、Ratchaprachanukroh 40 school (Pattani) 、Sandy Gallery ( PSU Visualart)、Lak Muang Temple、Pattani Home for children、ETAM Art Etkatery & Gallery、Patex Warehouse ( Pattani Industry)、Sapakafe 36 Premium、Pattani Garden Arts Space
主催:Patani Artspace
キュレーション:Anuwat Apimukmongkon 
参加アーティスト:タイ、マレーシア、インドネシア、カンボジア、ラオス、香港、ドイツ、イタリア、日本など100組以上のアーティストが参加

小鷹拓郎

小鷹拓郎

アーティスト。社会の分断を抱えた地域でフィールドワークをおこない、ドキュメンタリーとフィクションを往来するアートフィルムを制作。問題の当事者や専門家と協働しながら、表現規制や検閲、現代社会の抜け穴を模索する。近年はサブリミナル効果やモールス信号といった技法を導入したモキュメンタリー映画を発表。 主な展覧会に北アルプス国際芸術祭、ジャカルタビエンナーレ、奥能登国際芸術祭など。主な映画祭にドイツ・オーバーハウゼン国際短編ドキュメンタリー映画祭、インドネシア・ジョグジャNETPACアジアン映画祭などがある。2017年度文化庁新進芸術家海外研修員、2019年度ポーラ美術振興財団在外研修員。