今年1月、能登半島地震で被災した金沢21世紀美術館がついに6月22日に全面再開した。再開後第一弾の展覧会は「線」がテーマの展覧会「Lines(ラインズ)—意識を流れに合わせる」だ。会期は6月22日~10月14日。
プレス内覧会では、長谷川祐子館長から、休館中に寄せられた励ましのメッセージへの感謝とともに、今年20周年を迎える同館の記念ロゴマークも発表。「美術館のもうひとつの始まりを祝福してほしい」と語った。
続いて、副館長の山森健直からは震災の影響でガラス製の天井のひび割れや落下、天井パネルのずれ、キャスターが破損したことなどが説明され、800枚のガラスを取り外した露出天井で活動を再開すること、老朽化に伴い2ヶ年の大規模改修作業を予定していることが明かされた。実際に展示会場を歩いてみると、これまでのクリーンな会場から一転、構造が剥き出しになった天井が痛々しく、あらためて目の前にある世界の脆さを実感するような光景があった。
そんな状況下で開かれる今回の「ラインズ」展は、世界の脆さ、弱さを否定するのではなく受け入れていくようなたおやかな空気に満ちた展覧会になっていた。イギリスの人類学者、ティム・インゴルドの著書『ラインズ 線の文化史』(左右社、2014)にインスピレーションを受けたという思想がベースにある本展について、企画担当の黒澤浩美(金沢21世紀美術館チーフ・キュレーター)は次のように話す。
「雲や風の動きなど、生きとし生けるものが織りなす結節点を探求する展覧会になっています。本展はティム・インゴルド先生の思想が発端にあります。先生は毎朝散歩をするのですが、移動しているあいだに掴み取る変化こそが私たちを作っている世界なのではないかと考えます。それは早く進まないといけない線でも正確に進むべき線でもない、と。世界の亀裂を縫い合わせるヒントをアーティストや作品から感じ取ってほしいです」(黒澤)
出品作家は、エル・アナツイ、ティファニー・チュン、サム・フォールズ、ミルディンギンガティ・ジュワンダ・サリー・ガボリ、マルグリット・ユモー、マーク・マンダース、ガブリエラ・マンガーノ&シルヴァーナ・マンガーノ、大巻伸嗣、エンリケ・オリヴェイラ、オクサナ・パサイコ、ユージニア・ラスコプロス、SUPERFLEX、サラ・ジー、ジュディ・ワトソン、八木夕菜、横山奈美の16組。そのなかから、一部作品を紹介していく。
美術館の入口(出口)ドアで新作《死の海》(2024)を発表するのは、ブラジル生まれのエンリケ・オリヴェイラ。作品の先端がドアにまとわりつくように展示された本作は、ブラジルの廃棄場にあった合板を組み合わせて構成されおり、作家が20年近く取り組むシリーズの新作。彫刻、絵画、建築といった領域を往還する作家のキャラクターが反映されている。「本作は、函館で生け簀のタコを見た経験がインスピレーション源にあると思います。二次元的な表現、質感、触感への造り込みは私の作品の特徴です。表現が平面と立体を行ったり来たりしているのです」(オリヴェイラ)。
なお、本展のイメージヴィジュアルにも用いられている出品作、エル・アナツイの大型作品《パースペクティブス》(2015)も廃棄物が主に用いられており、遠くから見たときの迫力と間近で見た際のパッチワークのような手作業のギャップも両者に共通している。12mにもおよぶ《パースペクティブス》について「線が面に、面が立体になるという象徴的な作品」だと黒澤は話す。
画家の横山奈美は、作家の代表スタイルのひとつでもあるネオンをモチーフとした絵画《Shape of Your Words[In India 2023/ 8.1-8.19]》(2024)を出品。関わる人々に寄せ書きのように書いてもらった文字を業者がネオン制作し、横山が絵画として描くことで、人々の新たなポートレイトとなる。本作では、横山がインドで出会った人々が描いた「I am」の文字を作品化。「ネオンと言葉の構造が似ていると思ったのをきっかけにネオンを描き始めました。言葉は形があって意味が存在するがそれだけではなく、人の数だけ言葉の解釈は広がっていく、1本の線から枝分かれして無限に広がっているイメージ。そんなふうに私の作品を見てもらえると嬉しいです」(横山)。
「存在」とは何かをテーマに制作活動を展開し、近年では国立新美術館での個展も話題となった大巻伸嗣は、大陸を表す床の円盤とオブジェ、静かに動く振子からなる《Plateau 2024》(2024)を発表。中央に直立するオブジェは大和堆の上の空と海を、盤上を静かに動く振子には大和堆の大地(地形)を表した様々なデータにもとづく溝が刻まれており、大巻は「不確定な未来についての線の引き方を想像してほしい」と話す。作家が考える時間、空間、記憶などが折り重なる本作は、じっと眺めていると瞑想的な気分に誘われる。
オーストラリア・クイーンズランド州北西部のワニ族の末裔であるジュディ・ワトソンは、パンデミックの時期に制作した、アボリジナルの生活や文化を参照した作品を展示。たとえば、《記憶の傷跡、フィンガーライムの根、カスアリーナ・イエロンガスタジオで見つけたオブジェ》(2020)のタイトルにある「フィンガーライム」とは何千年もの間、アボリジナルの人々が種を守ってきたオーストラリア原産の柑橘なのだそうだ。あわせて展示される《グレートアーテジアン盆地の泉、湾(泉、水)》(2019)は、入植者の影響で水が枯れてしまった泉がモチーフになっているが、このように作家は一貫して植民地主義の複雑な歴史と、それらが先住民族コミュニティへ与える影響について考えてきたのだという。
ワトソンと同じくクイーンズランド州出身のアーティストで本展で唯一の物故作家は、ミルディンギンガティ・ジュワンダ・サリー・ガボリ(1924頃〜2015)。80歳から絵を描き始めたというサリー・ガボリは、出自であるカイアディルト族を中心に、アボリジナルの先祖が代々継承してきた土地、海、空を、まるで空を移動する鳥の視点から見下ろすように自由に描いた。作品群は横も縦も正位置が存在せず、キュレーターが好きなスタイルで展示できるという。アボリジナルは長きにわたって迫害され、サリー・ガボリが生きた時代も決して自由とは言えなかった。そのことを考えると、作品の持つ自由で誇り高い雰囲気に胸が詰まった。
移動にまつわる作品シリーズ「Passes」(2024)を展示しているのは、アーティスト、写真家の八木夕菜。福井と京都を結ぶ「鯖街道」と呼ばれる道筋を、料理家の中東篤志とともに訪ねた。豊かな自然、写真越しにも磯の香りが漂ってきそうな光景を収めた写真の数々は、直線的ではない展示方法と相まって鑑賞者の思索を促すような仕掛けがある。
いっぽうティファニー・チュンは難民たちの移動に着目した作品を発表。1975年以降のベトナム難民がアフリカ、中東、ラテンアメリカなど世界中に脱出した海路と陸路、出国プログラムの軌跡を描いた作品などを発表している。
フェミニズム、アイデンティティ・ポリティクス、翻訳などへの関心にもとづく作品を手がけてきたユージニア・ラスコプロスは、《作り直すまたは言及する》(2010)を展示。2つの映像からなる本作について「注意を払う、新しく歴史を作り直すというふたつのメッセージがある」と話す。作家と結びつきの強かった祖母のカギ編みをほどき、線にもどしていくことで、祖母の歩み、行いをたどって歴史を編み直しているのだという。
デンマークのアーティストコレクティブSUPERFLEXは作品2点を披露。なかでも《権力のトイレ デス・マスク》(2024)は、気候変動に関するあらゆる情報を発信する国連気候変動枠組条約(UNFCCC)事務局のトイレを題材に選び、金沢の土を用いて、地元作家の協力を得ながらトイレのパーツの彫刻作品を作った。それらは複製可能だが「いずれの作品も未焼成であり、いつかはぼろぼろになってしまう」と、メンバーのヤコブ・フィンガー。その二面性は、本展で展示されるマーク・マンダースの大型作品がまとう「脆さ」のイメージを彷彿とさせる。
「線」という大きなテーマのもとで世界各地から多彩な作品が集まっている本展。ある作品からほかの出品作への連関をイメージするなど、複数の作品同士が関わり合っているように見える場面がいくつもある点に興味を引かれた。同時開催される20周年記念のコレクション展では、同館を代表する選りすぐりの作品がピックアップされており、大ボリュームだ。会場全体を巡りながら考察を楽しんでほしい。
野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)