公開日:2024年5月30日

美術館の裏側を伝える展覧会「鎌倉別館40周年記念 てあて・まもり・のこす 神奈川県立近代美術館の保存修復」レポート

会期は5月18日〜7月28日。保存・修復をはじめとする美術館の取り組みを紹介する展覧会の見どころを担当学芸員の言葉とともにお届け。

会場風景 撮影:編集部

保存修復の専門家がいる美術館は全国でもごくわずか

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館「鎌倉別館40周年記念 てあて・まもり・のこす 神奈川県立近代美術館の保存修復」が開催中だ。会期は7月28日まで。

本展覧会は、普段は一般の観客の目に触れることがない、いわば美術館の裏側で行われている仕事や取り組みに光を当てるものだ。

会場風景 撮影:編集部

ポイントは、タイトルにもなっている「てあて」「まもり」「のこす」という3つの視点。保存修復というと、しばしば修復作業によって作品が美しさを取り戻すというビフォー・アフター的な部分に注目が集まりがちである。それはこの仕事の重要性はもちろん、修復による成果や修復家の職人技の凄さが、視覚的にもわかりやすいといった理由も大きいだろう。しかし、本展ではこうしたピンポイントの成果にとどまらず、美術館の財産である作品を未来へとつなげていくために美術館が継続的・長期的に行っている事柄の全体像を紹介する、という意欲的な企画だ。

企画は同館で保存修復を担当する橋口由依学芸員。同館で保存修復を担う専属職員ふたりのうちひとりであり、2020年から勤務している。もうひとりは2003年から同館で保存修復を担ってきた伊藤由美研究員だ。

修復作業イメージ 撮影:佐藤克秋

ふたりは今回の展覧会のポスターに使われた修復室の写真にも登場していて、個人的にはこのポスターの写真とデザインに心くすぐられた。周年記念の展覧会で、人気作家の個展や大きなテーマを掲げた展覧会を開くのではなく、美術館の取り組み自体を主役に据えるというのは、見方によってはちょっぴり地味で、チャレンジングかもしれない。そんななか、こうしたポスターや、小さなジャコメッティの彫刻を修復している様子の写真など、気の利いたビジュアルに、企画の工夫が感じられる。

撮影:佐藤克秋
作品の輸送箱(クレート) 撮影:佐藤克秋

そもそも保存修復の専門家が専任で勤務している美術館は、全国でも数館に限られるという。1951年に日本で初めての公立美術館として鎌倉の鶴岡八幡宮内に開館した神奈川県立近代美術館も、2003年に伊藤さんが着任するまで長らく専任者が不在だった。

同館に限らず美術館における保存修復への意識が高まったのは、1995年に阪神淡路大震災が起きたことがきっかけだった。さらに2011年に発生した東日本大震災によって、より一層の防災対策が要請されるようになった。

また同館においては、1951年開館の旧鎌倉館が2016年に閉館し、作品が鎌倉別館や葉山館へと移送されたという経験も大きいだろう。

展覧会の見どころ

本展では、まず展示室入ってすぐのところに修復などの作業で使われる道具一式が展示されている。なかには医療用のメスや大工道具などもあり、修復において様々なものが使われていることがわかる。

会場風景 撮影:編集部

展示室には保存修復等の作業を経た作品がずらりと並んでいるが、これがまた名品揃い。福沢一郎、古賀春江、松本竣介といった日本近代絵画を代表する画家たちから、2022年に葉山館での個展が大きな注目を集めた朝倉摂、マティスのリトグラフ、そして2015年に若くして亡くなった画家・中園孔二の絵画まで、様々な作品を見ることができる。

会場風景 撮影:編集部

「てあて」

「てあて」の章では、傷ついた作品を直し、新たな損傷を防ぐために施される修復に焦点を当てて紹介する。

大きな特徴はキャプションだ。作家名やタイトル、制作年等のほかに修復歴が記載され、その作品がいつ・誰によって修復されたかが明示されている。作品によっては1回ではなく違う担当者によって2回の修復を経ているものもある。

キャプション 撮影:編集部
会場風景より、鳥海青児《塹壕のある風景》(1939)

「2003年に伊藤が当館に入るまでは、外部の専門家に修復を外注していました。館内で修復が行えるようになってからも、伊藤や私は油絵が専門なので、日本画や彫刻などは外部の方に依頼しています。今回の展覧会では、私たちだけでなく、こうした修復作業に関わった方たちのお名前を出したいと思いました」(橋口)

作品は美術館職員だけでなく、外部の専門家との協働によって直され、守られている。こうした支え合いのネットワークを提示していることにも、本展の真摯な姿勢が伺われた。

またキャプションの作品解説は、それぞれの来歴や、作品が被ったトラブルや破損、それらにどのように対処したかといった内容で興味深い。読んでいると、1点1点にまったく違った経験があり、作品ごとの要請に応じて、修復という一言では片付けられないような様々な対処法が考案され、修復が施されてきたことがわかる。

たとえば、古賀春江の大きな絵画作品《窓外の化粧》(1930)は、ワニスの塗りむらと黄化で汚れていたが、1992年の修復で洗浄されもとの色合いを取り戻した。その劇的な変化には、当時の学芸員たちが戸惑ったというエピソードがある。

古賀春江 窓外の化粧 1930 キャンバスに油彩 神奈川県立近代美術館蔵

松本竣介《工場》(1942)は、同館への収蔵以前に事故で真っ二つに割れるという大変なことが起きていた。応急的に接着されていたものの、2007年の修復で割れていたことがわからないまでに直された。

松本竣介 工場 1942 板に油彩 神奈川県立近代美術館蔵

朝倉摂の《夫婦》(1952)は2015年に受贈され、その後裏面と木枠とのあいだにもう1枚別の作品が挟まれていることを発見。調査の結果、もう1枚の作品は《街頭に観る》(1942)という初期作であることがわかり、それぞれを個別に鑑賞できるよう仕立て直された。こうした成果は作家の調査研究にも大きく貢献するものだ。

会場風景より、朝倉摂《夫婦》(1952)と《街頭に観る》(1942) 撮影:編集部

本展では、作品の基本情報を記した作品台帳や、取り扱いの注意事項が書き込まれたチェックシートなども資料として展示され、作品管理の一端を見ることができる。

会場風景 撮影:編集部

「まもり」

「まもり」は、保存修復における「保存」、つまり損傷を予防するための取り組みを紹介する。

たとえば高橋由一《江の島図》(1867〜77)は、古く価値の高い額縁がついているが、額縁に貼り付けられた布が劣化しており、取り扱いに注意を要する。そのため、オリジナルの額物に入れて展示するのは同館のみに限定し、他館への貸出時にはもとの額縁を模して作られた貸出用額縁をつけている。本展ではオリジナル額縁がついた本作の横に、貸出用額縁も並んで展示されている。

高橋由一 江の島図 1876−1877 キャンバスに油彩 神奈川県立近代美術館蔵
会場風景より、高橋由一《江の島図》(1867〜77)と貸出用額縁
オリジナルの額縁。布が痛んでいる

「修復の作業だけではなくて、作品を守り残していくための環境作りに多くの時間を費やしています。修復だけじゃないんだということが、美術館で働き始めてから強く感じていることですね。作品が壊れたら直すことが大事ですが、そもそも壊さないようにすることができたらそれがいちばんです。そのための保存のあり方を、伊藤と私だけではなく学芸員みんなで考えて取り組んでいます。

1万6000点のコレクションがあるので、すべての作品のコンディションを把握して万全にしておくことは難しい。当館で展示するだけでなく、他館への貸出も多いので、そういうタイミングは作品の安全な保存方法を考えるきっかけになります。いまのままでは移送する際に破損の危険があるから安全な状態にしようとか、作品を綺麗な状態にしてからお貸し出ししよう、というように」(橋口)

昨年、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館「中園孔二 ソウルメイト」に貸し出された中園孔二の絵画。もともと額縁がない作品だったが、側面にも絵具が塗られており、保護のために額縁を装着。展示される際、ほかの額縁のない作品とも馴染むような白い色の額縁になっている。

会場風景より、中園孔二《Untitled》(2009)
会場風景より、中園孔二《Untitled》(2009)

また作品だけでなく、作品の移送や収納、空気環境や光、虫からいかに作品を守るかといった資料も展示されている。

「のこす」

旧鎌倉館の庭園に設置されていた彫刻作品は、閉館にともない鎌倉別館や葉山館へと移送された。展示ではドキュメンタリー映像や資料を通して、こうした作品を「のこす」ための事例を紹介。

たとえば、旧鎌倉館の庭園で、美術館の歩みを長年に見守ってきたイサム・ノグチの《こけし》(1951)。職員によって大事に梱包され葉山に再設置される姿には、その可愛らしい表情も相まって思わずうるっとしてしまった。

神奈川県立近代美術館 葉山館に現在展示されているイサム・ノグチの《こけし》(1951) 撮影:編集部

現在、各地の美術館で、収蔵庫のスペースの逼迫や、保存修復といった専門職の担い手不足、作品のアーカイブ化、それらにかかる予算の問題など、様々な課題があがっている。美術館とその財産である作品や資料を、どのように次世代へと受け継ぐことができるのか。本展は、普段は一般の鑑賞者から見えづらい美術館の実直な取り組みを紹介し、そのあり方や意義、未来について改めて考えさせてくれる。ぜひ多くの人に足を運んでみてほしい。

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。