近代日本画の巨匠、鏑木清方(かぶらき・きよかた)。没後50年という節目となる今年、東京国立近代美術館と京都国立近代美術館の2会場で「没後50年 鏑木清方展」が開催される。
鏑木清方は1878(明治11)年、東京・神田に生まれた。幼い頃から文芸に親しみ、13歳で歌川国芳の孫弟子に当たる浮世絵師・日本画家の水野年方に入門。挿絵画家としての活躍を経て、のちに肉筆画を手がけるようになった。なんと言っても有名なのは、上村松園と並び称される「美人画」の名手としての姿だろう。
しかし本展は、そんな従来の鏑木清方像に待ったをかける。
本展を担当する鶴見香織(東京国立近代美術館主任研究員)は記者会見で、この展覧会の目的は、「生活の手触り」を描き、それを市井の人々と共有することを喜びとした画家として、清方を紹介することだと話す。
願はくば日常生活に美術の光がさし込んで
暗い生活をも明るくし、
息つまるような生活に換気窓ともなり、
人の心に柔ららぎ寛ろぎを与へる
親しい友となり得たい
──「美術の社会に対へる一面」(昭和2年2月)『鏑木清方文集 七 画壇時事』
「需めらて画く場合いはいわゆる美人画が多いけれども、自分の興味を置くところは生活にある。それも中層以下の階級の生活に最も惹かるる。
──「そぞろごと」(昭和10年4月)『鏑木清方文集 一 制作余談』
清方が残したこれらの言葉が、その目指すところを端的に伝えていると言えるだろう。「《明治風俗十二ヶ月》はこの言葉を残した昭和10年の作で、まさに言動一致している」(鶴見)。《明治風俗十二ヶ月》は、江戸時代の浮世絵師、勝川春章の作品から想を得て、清方が明治30〜32年までの風俗を描いたもの。一月ごとに一幅を描いた、十二幅による作品だ。「一月」はかるた、「四月」は花見といったように、季節に応じた人々の営みが生き生きと描かれている。
もう1点、同時期に描かれた《鰯》(1937、昭和12)も明治時代を回想して描いた傑作だ。鰯を売る少年と呼び止める若女房。すだれ越しに見える台所内部が隅々まで描かれ、たとえば展示では見えづらいくらいの小ささで描かれたある物は、夏場の水あたりよけに効能があるとされていた駒込富士神社の麦藁蛇だということが判明しているという。このように清方は、その当時の風俗を克明に伝えられるほど、日常空間にあった物を具体的かつ詳細に描かいてる。
1923年の関東大震災も、変わりゆく日常風景を描き止めようとする画家の志に大きな影響を与えたようだ。
本展図録によると、「清方は美人画家というレッテルと戦い」、「昭和に入ってからはさかんに美人画というジャンル分けをやめようと提唱したり」していたという。本展では風景画や風俗画など、自身の作域を自覚的に広げ、多様な仕事をした作家として、清方の作家像を新たに提示してみせるものだ。
本展の目玉のひとつとして、重要作品である《ためさるゝ日》(左幅、1918、大正 7)が、30年ぶりに展示される。本作は江戸時代の長崎での踏絵を題材に、年中行事となった踏絵にのぞむ遊女を描いた作品。左右対幅の作品だが、この左幅が公開されるのは、1992年の展覧会以来で30 年ぶり。左右あわせての公開は 1982 年の展覧会以来、40年ぶりだ。
本展の「遊び心」として、キャプション上部に 「☆☆☆」=会心の作、「☆☆」=やや会心の作、「☆」=まあまあ、という作家による自己採点が添えられてる作品が23点ある。
これは清方が、いつ、何を描いたかを記録した「制作控帳」に自身で残した採点で、《ためさるゝ日》は「会心の作」だった。自己採点のついた約 500 点の作品のうち「会心の作」はたった 16 点で、そのほとんどが現在は所在不明。それを思えば、《ためさるゝ日》の重要性がいっそうわかるだろう。
過去の展覧会ではこういった採点が展覧会で明らかにされることはなかったという。
鶴見は、「『☆』=まあまあな作品を『☆』としてさらしてしまって良いのかという良心の呵責の問題もあったと思う。今回は『☆』も出してしまっているのですが……」と笑いを誘いつつ、しかし「『☆』『☆☆』の作品にも、一般の方々が清方だと思わないものが含まれているのが面白いところ。風景画で後景を細々と描いているものがある」と紹介。「制作控帳」に載っている作品だからという理由で展示のために借りにいった作品もあるそうなので、この採点をひとつの頼りに、本展を見ていくのも面白いだろう。
《築地明石町》(1927、昭和2)は、長きにわたり所在不明だった幻の代表作。2018年に再発見され、本作と合わせて三部作となる《新富町》《浜町河岸》(ともに1930、昭和5)とともに、翌年東京国立近代美術館のコレクションに加った。本作は東京・京都ともに会期を通していつでも見ることができる。
ちなみに本展は貴重な作品を様々な収蔵先から集めていることもあって、東京会場では5回もの展示替えがある。東京のみ/京都のみの出品作もあるので、訪れる時期などはぜひ公式サイトを確認してほしい。
東京会場は、「生活をえがく」「物語をえがく」「小さくえがく」の三章による構成。「物語をえがく」では、文学と芝居の熱心なファンとして面目躍如といえる作品が多数展示されている。
戯作者で新聞社主の父、無類の芝居好きだった母のもとに生まれた清方は、幼少期より文芸に親しんだ。たとえば清方は挿絵画家となった10代の頃から泉鏡花の文学を愛読し、のちに鏡花の作品に挿絵を描くようになる。そんな若き日のふたりが話している風景を描いたのが《小説家と挿絵画家》(1951、昭和26)だ。
また大ファンであった樋口一葉の姿を描いた《一葉》(1940、昭和15)、一葉の墓を尋ねた際に「たけくらべ」のヒロイン・美登利の幻を見たという経験をもとにした《一葉女史の墓》(1902、明治35)も、並んで展示されている。
また芝居では歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」を好んで主題に。恋の妄執にとらわれた女性の姿を、様々なかたちで描いている。
「卓上芸術」とは、大正時代後半から清方が提唱した作品のあり方。展覧会で展示される「会場芸術」や、調度品として個人宅に飾られる「床の間芸術」とは対照的に、「卓上芸術」は、ひとり机の上に広げて手もとで味わうことを想定している。また複製されることで、高価な掛け軸が買えない庶民でも手に取ることができる。つまり、芸術を庶民に届けるという清方の理想が込められた作品のかたちなのだ。こういった作品が、「小さくえがく」の章で展示されている。
日常生活に現われる美しく尊い瞬間を描き、それを庶民と共有しようとした清方。コロナ禍において「日常」のあり方に改めて目を向けることになり、日々スマホ片手にイメージを摂取している現代人にとって、その作品は新鮮かつ共感を持って見ることができるかもしれない。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)