公開日:2022年10月3日

「沖潤子 さらけでるもの」展(神奈川県立近代美術館鎌倉別館)レポート。自由な針目で表現する「まざりあい」の美学

注目の刺繍アーティストの美術館初個展が、2023年1月9日まで開催中。(撮影:筆者)

会場風景より、《exposed》(2022)の部分

「刺繍」の概念を超えて

神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「沖潤子 さらけでるもの」展が2023年1月9日まで開催されている。刺繍の手法による作品を手掛けるアーティスト、沖潤子の美術館での初個展になる。

沖は1963年埼玉県生まれ、鎌倉市在住。デッサンなど実技が主体のセツモードセミナー(東京、2017年閉校)を卒業後、2002年から針と糸を使う刺繍での表現を開始し、2009年から本格的に作品制作を始めた。2017年に資生堂が新進作家の活動を支援する公募展「shiseido art egg」の大賞(shiseido art egg賞)を受賞。これまでに国内外のギャラリーなどで精力的に発表を行い、金沢21世紀美術館に作品が収蔵されるなど、独自の作風が注目されている。

会場風景より

本展のタイトル「さらけだすもの」について、沖は「作り手の意志と関係なく、作品から曝け出るものが“本当”だと思う。作家として活動を始めたのは遅かったが、嘘がなく背伸びもしていない、いまの自分にしっくりくる言葉だと感じた」と話す。会場の入り口付近には、タイトルに込めた思いを綴った文章や、約25年前に娘から贈られた手製の手提げ袋などが展示されている。沖の母の遺品だった布を大胆に切り、小さかった娘が刺繍を加えた手提げ袋は、「作る」ことへの沖の認識を揺さぶり、創作を始める契機になった。

会場風景より、沖が本展に寄せた文章
会場風景より、沖が娘から贈られた手作りの手提げ袋

本展は、初期から最新作まで約80点を作品の傾向別に紹介し、制作の全貌をたどるものだ。いずれの作品も美術館での公開は初めて。冒頭は古い麻袋や布、身に付けるバッグや衣服など既にある物に作家が刺繍を加えた、比較的早い時期の作品が並ぶ。平面状の作品は、古い窓枠などと思われる木枠で額装され、英語による短文や語句を添えたものもある。

会場風景より、《祈り》(2009)。作家活動を始めた初期の作品
会場風景より、《soul》(2015)

沖の作品の特徴としては、一般的な「刺繍」の手法や概念を超える自由な表現が挙げられる。作家の話によると、下絵は描かず、思うままに針を運び、糸の絡まりやほぐれも受け入れながら制作を進める。作品完成まで数ヶ月を要することも珍しくないという。

おびただしい緻密な針目が支持体(布)を這い回るように抽象的なモチーフや線を描く作品は、絵画の位相を備える。モチーフは永続性や生命を想起させる渦巻きの円形や十字架、細胞のような有機的な形が多い。それらがしっとりと古色をまとった布や額装と共鳴し、時間の重なりも感じさせる。

鑑賞者の想像力を羽ばたかせる作品タイトルや言葉にも注目したい。たとえば赤白の布の対比が鮮やかな《異邦人》(2013)は、アルベール・カミュの同名小説から取った主人公の一言が添えられている。使い古しのバッグに細密な刺繍を施すいっぽう、コム・デ・ギャルソンなどハイファッションを用いた作品の意匠は比較的ひかえめだ。マントの背に十字架のモチーフを付けたり、ジャケットの胸に勲章調の装身具を飾ったり。刺繍の「介入」により、シンプルなデザインの服が象徴性を帯びて見える。

会場風景より、《異邦人》(2013)
会場風景より、刺繍を施した古いスイスのミリタリー・バッグ(2013-2022)
会場風景より、左から《gris gris ジャケット》(2014)、《ジャケット(Martin Margiela⓪⑩)》(2013)、《マント(Comme des Garçons)》(2015)

強烈なインパクトと瑞々しい表現

続くコーナーは、繰り返し用いてきた「球体」に基づく作品がそろう。解説パネルによると、沖は布を球体にするために花火の玉皮を用い、それを内側に残す、途中で抜き去るなどの技法を使い分ける。丸い形をそのまま、あるいは脱皮したような形状を活かした作品は、空間に働く彫刻的な量感に加え、刺繍による絵画性も併せ持つ。内部が覗く赤い立体物に白い針目が走る「蜜と意味」シリーズ(2018)は、血管や内臓を連想させ強烈なインパクトがある。

会場風景より、左から《Fingertip》(2021)、《蜜と意味》シリーズなど

作品と入れものを巧みに調和させたのは《初恋》(2015)。純白の球体へ部分的に同色の繊細な刺繍を施し、人形用のガラスケースに収めた本作は、ノスタルジーに満ちた詩情へ見る者を誘いそうだ。

会場風景より、《初恋》(2015)
会場風景より、《初恋》(2015)の部分

続いて、植物をモチーフに制作した2020年以降の近作を紹介する。具体的な花や果物を主題にしながら、その形ではなく、イメージや瑞々しさを抽出したような表現が印象的だ。果実の量感や内なるエネルギーが感じられる《レモン1》(2021)は、黄色い糸を束のまま盛り上げる大胆な手法が使われている。

会場風景より
会場風景より、《レモン1》(2021)

図録によると、沖は創作を通じて他者や事物と「混ざり合いたい」とたびたび表明してきたという。会場には、色や状態が様々な麻や絹、綿の布片をいにしえの旗のように継ぎ合わせた大作もある。本展の英語タイトルと同名の《exposed》(2022)をはじめ最新作も並び、作家の“現在形”を知ることができる。

会場風景より、左から《地球》(2015)、《time machine》(2017)
会場風景より、左は《exposed》(2022)
会場風景より、《exposed》(2022)の部分

ラストは、鉄枠や車輪、道具箱など古道具を用いて額装した刺繍の作品群がインスタレーションふうにひとつの展示室に並ぶ。《You are what you wear 01》(2019)の、含意を感じる作品タイトルと服を身にまとった女性の姿を連想する形にドキリ。天吊りされて、立体感と陰影に富む布と糸の表情を彫刻のように多様な角度から鑑賞できる作品もある。

刺繍、絵画、彫刻、古さと新しさ、創造と偶然性……。領域を越えて様々な手法と事物を自らの手で混ぜ合わせ、特異な作風を紡いできた作家の個展にふさわしい締めくくりだった。

会場風景より
会場風景より
会場風景より、《You are what you wear 01》(2019)

なお旧作が中心の本展に加え、品川のKOSAKU KANECHIKAでは沖の新作展「よれつれもつれ」が10月15日~11月19日に開催される。ぜひ併せてチェックしたい。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。