ロサンゼルスを拠点に活動する俳優、ジョセフ・リー。Netflixオリジナルドラマ『BEEF』や映画『Search』など話題作への出演で注目を集めるいっぽうで、自身の表現を探究し続けるアーティストという顔もあわせ持つ。現在DIESEL ART GALLERYで開催中のアジア初個展「PLEASURE IN THE PATHLESS WOODS(道なき森の喜び)」の会場で、キャリア形成や、創作を通して表現する葛藤や苦悩についてなど、様々な話を聞いた。
人物の胸から上を切り取った肖像画に、散歩中の情景を残した風景画。ジョセフ・リーが選ぶ題材はオーソドックスだが、描かれた人物の表情は厚い絵具に覆われ、風景画は大胆なストロークによって抽象化されている。
肖像画のモデルは、実在の人物と想像とのミックス&マッチだ。友人を写した写真などの素材から、目、耳、輪郭といったパーツを拝借し、脳裏に思い浮かぶ想像上の顔と組み合わせる。最初は、顔のすべてを具象的に描く。その上から、ずっしりとした絵具の「うろこ」を少しずつのせていく。思考は極力シャットダウンし、本能に従う。オートマティズムにも近いプロセスを経ながらも、色彩やバランスを意識し、「その人」の感情をあぶり出してみる。
独学で身につけたこの作風は、幼少期に離れ離れになった父との関係性や、韓国系アメリカ人として育った自身の生い立ちと深いつながりがある。
「肖像画を描き始めたのは、僕が20代前半の頃、疎遠だった父が亡くなったことがきっかけでした。葬儀の席で、父の再婚相手から、父が写ったモノクロの写真をたくさん受け取ったんです。父とは長年会う機会もなく、顔もあまり覚えていなかったから、当時の僕は父の死をどう受け止めたら良いのかがわからなかった。悲しみに浸るべきなのか? もっと何か適切な感情があるのか? 写真を眺めながら1週間くらい考え続けました」。
リーは次第に、それらの写真をスケッチし始める。父の顔の輪郭や目の形をなぞりながら、無意識のうちに、父をより深く知ろうとしていた。その行為がいつしか自分自身の心を癒してくれていることに気づいた時には、すでに絵を描くことに夢中になっていた。
「僕は美術の教育を受けたことはないから、アートに関するフィロソフィーはまったく持ち合わせていなかった。でも、高校時代から演技の勉強はたくさんしていました。肖像画は、人の表情を観察しながら、これまで学んできた表現方法をアウトプットする場として、ぴったりだったんです」。
現在の作風への転換期となったのは、2018年。ドラマの撮影のために、両親の母国である韓国・ソウルに初めて長期滞在をしたときのことだった。アメリカで育ったリーは、アジア系の外見を持つことにも起因し、幼い頃から自身がアメリカ人であるという実感を持てずにいた。母国に帰れば、自分は韓国人であるという確信が得られるかもしれない。この長期滞在に、リーは少なからぬ期待を膨らませていた。
「ところが韓国にいる3ヶ月の間、僕は韓国人でもないということを知ってしまった。アメリカ人でもなければ、韓国人でもない。では僕は一体どこに属するのか? 胸の内の葛藤をぶつけるべく、滞在していたホテルの部屋で、買ってきた雑誌やアートブックの上からペインティングをしてみたんです。それが現在のスタイルにつながりました。僕にとって、肖像画は、バラバラになったアイデンティティと向き合い、僕自身を理解し、新たな自分を発見するための検証の場でもあるのです」。
リーがアーティストとしての活動を本格的に開始したのは、意外にもわずか7、8年前のこと。俳優として活動しながら日本料理店で働き、趣味で絵を描き続けていたリーに、友人が、作品を購入したいと話を持ちかけてきた。
「当時の僕は作品につける適正価格を知らなかったから、200〜300ドルくらいで売れれば良いと思っていたのですが、実際に彼からもらった封筒の中を見ると、それまで手にしたことがないほどの大金が入っていて。だいたい家賃の2ヶ月分でした(笑)。すぐに店をやめて、家賃が底を尽きる2ヶ月の間になんとか形にしようと決めたんです」。
現在も極力毎日スタジオに入り、キャンバスに向かう。最初はあまり触らずに、イメージが降りてくるのを待つ。時には数時間にも及ぶその「にらめっこ」を経て、一度筆を下ろせば、あとは自分自身がその中にどっぷりと入り込むような、深い関係を作品とともに築いていく。表舞台で活動するいっぽうでそうした時間を習慣的に設けることは、リーの人生において非常に重要な意味を持つという。
「人生にはバランス感覚が必要です。俳優の仕事に集中しているときは、自分がどれだけ小さい人間かということを思い知らされる。映像作品は大勢の人と一緒に作るもので、自分はあくまでその一部。己のエゴは最小限に抑える必要があります。いっぽうでスタジオに篭って絵を描いている間、僕はただひたすら自分自身と向き合うことができる。つまり純粋にエゴイスティックになれるんです。そうして自我と自制のバランスを保つことで、精神の平穏を保っているのかもしません」。
今回、DIESEL ART GALLERYに並ぶ作品の大半は、ここ数年挑戦しているという風景画だ。肖像画で表現してきた人間の感情を、風景画にも投影できないか? そうした実験的なアプローチで、カリフォルニアや、旅先のイタリアで目にした風景を描いた。
これらの作品に通底するテーマは、ジョージ・ゴードン・バイロンの詩を引用した展覧会タイトル「PLEASURE IN THE PATHLESS WOODS(道なき森の喜び)」に如実に現れている。
たとえば《Trespass》(2023)では、アメリカの一般的な住宅の前庭に立てられるピケット・フェンスが手前に描かれ、その先に見える道は途中で寸断されている。そこから離れたはるか先には何が待ち受けているのか? 本作から読み取れるのは、フェンスの中という安全地帯から一歩外に出たときの不安感や期待感、あるいは外に出ようとする決意そのものだ。
森のなかにたたずむ人影と、2匹の犬が描かれた《Just get past the dogs》(2023)。人影は自分自身のものであるとして、こちらに向かって吠えている犬たちは怒っているのか? 恐れているのか? そもそもなぜこの森の中にいるのか? 本作の解釈を委ねられた鑑賞者が感じとるのは、「道なき森」を一歩一歩探索しながら、自身が置かれている状況を判断していくことの重圧や高揚感だろうか。
「バイロンの詩が語っているのは、自然の中に自分を置いたときに感じる孤独感を通して、内なるトラウマや希望を発見できるということ。そこにとても共感したんです。人生もしかり。皆と同じ道、あらかじめ用意された道ではなく、“道なき森”の中を放浪したときに初めて、本来の自分自身を見つけることができると思うんです」。
会場で1点、他とは少し趣の異なる作品が飾られていた。色も形もバラバラな花が乱雑に活けられている様子を描いた《Same Differences》(2022)だ。花の下には「I love you. I’m sorry. I’m sorry. I love you」の文字が書かれている。
「父と離れてだいぶ経ってから、時折、電話では会話を交わすことがありました。亡くなる前、最後の数回の電話で、父は“I’m sorry”という言葉を口にしました。“I love you”とは決して言ってはくれませんでしたが、僕はその謝罪の言葉が、どことなく愛の言葉にも聞こえました。父は世代的にも、自分の感情を素直に表現することが得意ではないのかもしれません」。
結局はリーも、最後まで父に自分の気持ちを伝えることができなかった。だからこの作品を通して、父に花を贈ることにした。乱れた花は、父と自身との歪な関係性の象徴だ。
創作を通して、トラウマや葛藤と真っ向から向き合い、アイデンティティを模索し続けるジョセフ・リー。これから先も、「道なき森」を当てもなく、だが表現者としての確固たる信念を持って、彷徨い続けるのだろう。
会場では、展示作品をはじめ、本展のために特別に作られた限定グッズや、ディーゼルとコラボレーションによるプロダクトも販売中。
ジョセフ・リー「PLEASURE IN THE PATHLESS WOODS」
会期:2023年9月23日〜11月16日
会場:DIESEL ART GALLERY
住所:東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti B1F
開館時間:11:30〜20:00(変更になる場合があります)
DIESEL ART GALLERY ウェブサイト