エスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中の、今は亡きアーティスト、ヘスス・ラファエル・ソトの展覧会。
本展のメインとなる作品は、ソトの代表作である《Pénétrable》(浸透/貫通できるという意味)シリーズより、象徴的なインスタレーション作品《Pénétrable BBL Bleu》である。垂直に吊り下げられた何百もの細い棒によって構成されたその集合体は、鑑賞者が入り込み、通り抜けることができる「空間」だ。ウルトラマリンブルーの森に身体を浸透させれば、視界は真っ青な動く直線でいっぱいになり、かき分けて歩みを進めるにつれ、抽象的な線が軽やかにさざめき合う音と感触を味わうことができる。
本展はフォンダシオン ルイ・ヴィトン(パリ)が館所蔵の未公開コレクションを世界4都市で紹介する国際的プロジェクト『Hors-les-murs (壁を越えて)』の一環として企画された。
オープニングにはアーティストの令孫で、ソト・アトリエのマリナ・ソトも来日し、訪れる鑑賞者のビビッドなリアクションを楽しそうに眺めていた。祖父ソトの作家としての思想と人生について、マリナに聞いた。
「1960年から1970年にかけて撮影された、初期の作品の展示風景を見ると、犬を散歩させながら通る人や、自転車で走り抜ける人、中に入って音楽を奏でる仲間たちなどが写っています。あるとき作品を通り抜けたら高校の友だちにばったり会った、と祖父は話していました。いまも設置する場所ではたえず子どもたちが大喜びで叫んだり笑ったり、自由な芸術体験を巻き起こしています」
展示する国や都市によって、観客のリアクションには違いがあるのだろうか?
「ベネズエラではエモーショナルな反応が返ってくることが多いですね。小国から国際的な美術史に名を残した数少ないアーティストなので、やはり誇らしい気持ちや愛着を持っている人が多いのです。パリをはじめヨーロッパの都市では、アートを理知的に捉えようとする鑑賞者が多いですね。とはいえ世界中どこでも、観る人の知識や知性を問わず、ほとんど同じリアクションが得られる、ユニバーサルな感覚をもたらす作品といえるでしょう」
1923年ベネズエラ生まれのソトは、オプ・アート、キネティック・アートと呼ばれる彫刻やインスタレーションで知られるアーティストだ。彼は作家としての形成期を生地で過ごし、1950年にパリへ渡り、彼の地でその生涯を終えた。1955年にはマルセル・デュシャン、アレクサンダー・カルダー、ヴィクトル・ヴァザルリらと共に「Le Mouvement (運動)」展に関わり、生涯を通じて抽象芸術を探求し続けた。1960年代後半に始まった、知覚を揺さぶる錯覚性を特徴とするキネティック・アートは、やがて空間に振動や音を生じさせるものへと発展し、本展の出展作である《Pénétrable》シリーズを生み出す。「知覚可能な空間の顕現」とソト自身が形容したように、数多くのバージョンを試行するなかで、視覚のみならず聴覚を含むさまざまな知覚体験を作品に盛り込むようになる。
一方で、ソトは音楽家としての才能にも恵まれ、奨学金で暮らしていた若い頃、夜はバーでギターを弾いて食いつないだ時代もあったという。演奏したのは主に中南米のフォークロア音楽だったというが、彼はバッハの作曲法についても関心を寄せていた。バッハの楽曲が持つ構造の科学的原理とその普遍性にソトは強く惹き付けられ、テイストや情感に影響されない、本質的な芸術表現のありように共感を覚えたともいわれる。
「ソトの作品の特徴の1つに、自ら身体を動かして体験したセンセーショナルな感覚を、あとから思い出して追体験できるということがあります。さらにもう1つ、あらゆる日常行為を作品空間の内部に取り込まれながら行うことが可能です。宇宙の一部である空間を、身体ごと通り抜けることで、自身が物理空間にいることに気づき、宇宙が周囲にあることを認識するのです」とマリナは語る。
どんなバックグラウンドを持つ者でも、万人にとって宇宙の空間原理を感覚で認識することのできる芸術体験を目指したアーティスト、ソト。彼の作品性が「クールな抽象」と称される由縁は、一見シンプルなワン・アイデアの具現化でありながら、永遠性の顕在化を探求したその思想にある。
住吉智恵
住吉智恵